030 あなたは、神様?

『気がつくと、私は、ベッドの上に寝ていた。

 知らない天井だった。

 知らない部屋だった。

 そして私は、自分のことを知らなかった。

 自分が誰なのか、思い出せなかった。

 名前も、年齢も、家族も。何もかも。

 ただ、とても苦しいことが起きて、そのあと、光に包まれた。その出来事はかすかに覚えていた。光に包まれて、それから気がつくと、私はここにいたのだ。

 光の中に、誰かがいた気がした。

 もしかしたら、神様なのかもしれない。

 たぶん、そうだ。

 だとしたら、ここは天国なのだろうか。

 私は心の中で祈った。アーメン。

 天国の部屋の天井には、小さな穴がたくさん開いていた。

 天井には、蛍光灯もあった。

 窓の外は明るくて、蛍光灯は点いていない。

 私は左目だけを閉じた。

 次に、右目だけを閉じた。

 蛍光灯の位置が、移動した。

 私はしばらくそれを繰り返した。

 たぶん、ここは天国じゃない。

 でもやっぱり、私は自分が誰なのか、思い出せなかった。

 自分のことは分からなかったけど、自分がどういう存在なのかは、分かっていた。

 私は誰かの似姿だった。

 誰かの代わりとして、私は存在している。

 ただそのことだけが、はっきりと分かった。

 やがて、人が部屋に入ってきた。

 白いシャツを着た男の人だった。

 私は上半身を起こした。

 男の人は、ベッドわきの椅子に座った。

「あなたは、神様?」

 と、私は言った。

「いいえ」

 と言って、男の人はほほ笑んだ。

「私のことはBBと呼んで」

 と、男の人は言った。

「BB」

 と、私は言った。

 BBという人はうなずいた。

「あなたは自分が誰なのか、分かる?」

 と、BBは言った。

「分からない」

 と言って、私は首を振った。

「そう」

 と言って、BBはうなずいた。

「心配しなくてもいい。あなたが誰なのか、これからゆっくりと知ってもらうことになるけど、とりあえず今は、好きなことをしていて。そうね。あとで何か読むものでも持ってくるわ。何か――何か、ほしいものはある?」

 と、BBが言った。

「聖書を」

 と、私は言った。その言葉は、自然に私の口をついて出た。

「分かったわ」

 と言って、BBは立ち上がった。

「神のご加護がありますように」

 と、私は言った。

「ありがとう」

 と、BBは言った。

「あなたは、神様を信じる?」

 と、私は言った。

「いいえ、残念ながら」

 と、BBは言った。

「でも、もし、許されるのなら、私もあなたに言うわ。神のご加護がありますように」

 と、BBは言った。

「ありがとう。あなたが許されるよう、私はお祈りするわ」

 と、私は言った。

 そして、BBは部屋を出て行った。

 私は心の中で、BBのために祈った。

 私は窓を見た。

 薄いカーテンが閉められていて、外の景色ははっきりとは見えなかった。

 カーテンを透かして、淡い緑色の植物が見えていた。

 遠くからかすかに鐘の音が聞こえてきた。

 近くに教会があるのだろうか。

 あとでBBに聞いてみようと、私は思った。』

 俺はここまで読んで、いったんスマートフォンの画面から目を離した。

 報告はここで区切られていて、日付は今からちょうど一年前のものが記載されていた。

 遊園地から戻り、クシーと会って、ひみかと夕食を食べた翌日、月曜日の早朝に、BBからメールが来た。メールにはpdfファイルが添付されていた。それは、クシーに関する報告書だった。おそらく原文は英語だったのだろうが、日本語に翻訳されていた。

 内容のほとんどは医学的なもので、俺にはちんぷんかんぷんだったが、その中に、クシーが書いた日記のようなものが挿入されていた。どうやら、クシーは定期的に、その日あった出来事を書いて、提出していたようだった。

 メールには、ひみかのアドレスも記載されていた。専門的な部分は、今度ひみかに聞いてみよう。

 俺は朝食を作り、クシーの日記の続きを読み始めた。

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