010 いや、それ、本名でしょ
「ええー」俺の耳に、男の子の声が響く。「ちょ、自分で自分のこと最強って、ありえなくね?」
見ると、槍の上の少女――谷明日香の側に、小さな黒い犬が浮かんでいる。どうやら、あれがさっきの声の主、彼女のワンコちゃんみたいだ。
「う、うるさいわね」明日香がすとん、と槍から下り立ち、ちらりと俺を振り返った。「時間がない。新人ワンコちゃん。コアをまひるちゃんの腕ごと切断するから、復元お願い」
「分かった」どうやら、この助っ人は状況をすべて把握しているようだ。「よろしく頼む」
「オーケー」
目の前の槍を片手で引き抜き、明日香は腰を落として構えた。槍の先端が十文字になっている。
「いくわよ。宝蔵院時影流奥義」明日香が叫ぶ。「光円峻烈斬・穿!」
ドン。
明日香の姿が消えた。
四方から襲いかかってくる触手が一瞬で消滅、ゴムまり本体の中心が丸く穿たれ、まひるの体が丸見えになった。
本体の向こう側で、明日香が着地している。ゴムまりを突き抜けたのか。
ざくん、とまひるの両腕が切断されたのを視界に捉え、俺は「両腕復元」と告げつつ、本体に突進する。
まひるの体がぐらりと傾き、俺は彼女の体が屋上に落下する直前で制服の襟を咥え、そのまま上空へ離脱した。
まひるは気を失っているようだ。
ゴムまりは触手を伸ばしてまひるの腕ごとコアを回収し、早くも復元を始めている。
明日香が体を反転させ、構えに入った直後、ゴムまりは猛烈な勢いで上空に飛び去り、あっという間に姿を消した。
「逃げたか」耳元に、明日香の声が響く。
俺は降下して、屋上にまひるをそっと横たえた。
明日香は槍を手に、こちらにやってきて、まひるの額に手を当てた。
「クルーナーの影響は残ってないみたい」明日香は俺に顔を向けた。「よかったわ。なんとか間に合って」
「お姉ちゃーん」明日香の黒い犬がふわふわとこちらに漂ってきた。「ボク、そろそろ撤収していいかなー。宿題しなくちゃなんだー」
「そうね」明日香は周囲を見渡した。「気配はもうないし、いいんじゃない?」
「じゃあねー」という言葉を残し、黒い犬はヒュッ、と姿を消した。
「助かった」俺は明日香に言った。「ありがとう」
「いえ、お互い様だから。それに、まひるはまだ新人だし。ええと、まひるのワンコちゃん……」
「山田雄作です」
「いや、それ、本名でしょ」
「ん? そうだけど」
「あ、そうか」明日香は手のひらをパチンと叩いた。「まひるちゃんと直接契約したんだっけ」
「ああ。それで?」
「通常、魔法少女のワンコちゃんは代々名前が決まっているの。ちなみに、さっきの子は、黒曜丸。くろちゃんって呼んでる」
「代々、っていうことは、中の人間が変わるのか」
「変わるわ。頻度は人によるけど。私はあの子が二人目よ」
「そうか。またいろいろと教えてほしい。何せまだよく分からないことだらけなんだ」
「いいわよ。まひるちゃんが連絡先知ってるから、あとで聞いて」
「ありがとう。それと、さっきは本当に助かった。あと、奥義まで使わせてしまって、すまなかった」
「それは別に構わないわ」明日香は手をひらひらさせた。「うちの奥義、十六手あるから」
「ああ、そう」いや、それもう、奥義って言わんだろ。
「それより、もう戦闘モード解除していいわよ。いつまでもその姿だと不便でしょ」
「いや、それが、俺の場合、十二時間後じゃないと解除できないんだ」
「ええー。そうなの?」明日香が俺を覗き込んだ。「それって、めっちゃ不便じゃない?」
「いや、めっちゃ不便だよ」
「とりあえず、下まで降りましょう」明日香は立ち上がった。「ケイさんに迎えに来てもらうわ」
「そうしてもらえると助かる」
「それと」明日香は上空を見上げて言った。「あのクルーナー、まだ人を取り込んだままだから」
そうだった。結局、中の人は助け出せないままだ。
「たぶん、またすぐ出現すると思う。そのつもりでいて」
「ああ」俺はうなずいた。「わかった」
それから、ケイさんは車を飛ばしてすぐに来てくれた。明日香はどうやらかなり遠くに住んでいるみたいで、瞬間移動で帰っていった。
まひるはずっと気を失ったままで、とりあえず俺の家まで運び、ケイさんの助けを借りて、ベッドに寝かせた。
しばらくしてケイさんが帰り、俺はベッドの脇の床に体を丸めて目を閉じた。
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