011 くすぐったい
わさわさわさ。
誰かが、俺の頭を撫でている。
誰だ。
ちいさい手だな。そうか、かえでか。
お前はまたお母さんに内緒で。
背中にへばりついている娘の方を振り返ろうとして、目が覚めた。
いつの間にか寝ていたみたいだ。
夢の続きのように、俺の頭の上に誰かの手が置かれている。
見上げると、ベッドから身を乗り出すようにして、まひるが俺の頭に手を伸ばしている。
まひるは、慌てて手を引っ込めた。
「起きたか」俺は首を伸ばしてまひるを見た。「よかった。大丈夫か」
まひるは、こくり、とうなずいた。
時計は十一時を指している。
「どこか具合が悪いところはないか」
まひるはまたこくり、とうなずき、上半身をヘッドボードにもたせかけた。
「まだ寝てたほうがいいんじゃないか」
という俺の言葉に、まひるは首を振った。
「大丈夫です」
「ちょっと、話してもいいか」
こくり、とまたまひるはうなずく。
「いつもあんな戦い方をしてるのか」
まひるは無言だ。
「もし助けが来なかったら、本当に危なかった」
うなだれたままのまひるに、俺は続けた。
「俺もまだ慣れてなくてな。足を引っ張ってしまうことがあると思うが。でもなるべくうまくサポートするから。だから、もう少し俺にも分担させてくれ。無茶してもいいが、その無茶も分担させてくれ。それで、本当の無茶は、もっと最後の最後まで取っておいてくれ。いいかな」
まひるは小さな声で答えた。
「はい」
「なんか、欲しいものあるか。食べたいものとか。君が近くにいるから魔力は使えるんだよな。といっても、あんまりたいしたものはできないかもだけど」
「いえ、大丈夫です」まひるは首を振って、ふと、視線をベッド脇にあるナイトテーブルに向けた。「この子……」
ナイトテーブルの上には、リビングのテレビ台に置かれているものと同じ写真が置いてあった。
「娘のかえでだよ。君と同じ歳なんだ。今、中二。俺たち夫婦は離婚して、今は母親と暮らしている」
「そう……なんですね」
俺は魔力を使って空中に浮いてみたり、物を動かしたりしてみた。
「飲み物くらい作れそうだな。コーヒーと紅茶どっちがいい?」
「紅茶」
「砂糖とミルクは入れる?」
「はい。あの……」
「ん?」
「わたし、後悔したくないんです」
「うん」
「もう、二度と後悔したくないんです」
「そうか」
俺はじっとまひるを見上げた。
「はい。あの……」
まひるは、自分の太もものあたりを指さした。
「ここ……」
どうやら、そこに乗れと言いたいらしい。
俺はふわりと空中を漂い、まひるが伸ばしている足の付け根あたりにちょこんと座った。
「暖かくて、安心します」
それはよかった。
「小学校の時、いじめがあって」まひるは、とつとつと話し始めた。「そんなに深刻なものじゃなかったんですけど。わたしが標的になっちゃって。無視とか、シャーペン隠されたりとかして。でも、仲の良かった子が、瞳ちゃんっていうんですけど、その子が、その子だけが、かばってくれて」
「うん」
「でも、今度は瞳ちゃんが標的になってしまって。しかもわたしのときよりもひどくなってて。それなのに、わたしは、何もできなかった。ただ、見てるだけで。瞳ちゃんは三学期に入る前に転校していきました」
「そうか」
「卒業して、中学生になって、わたし、偶然、いじめてた側のリーダーみたいな子に会ったんです。わたしとは別の中学に行ってて。でもその子、わたしたちをいじめてたことを覚えてないんです。最初は嘘ついてるんだと思ってました。でも違った。本当に覚えてなかった。その子にとっては、いちいち覚えていないくらい、どうでもいいことだったんです。わたしは、思いました。それでいいのかもって。そうやって、わたしたちも忘れてしまえばいいのかもって。でも、次の日、思うんです。もしもいじめがなかったら、わたしは瞳ちゃんとずっと一緒で、中学も一緒で、部活とか、いろんなことできたのにって。なかったことになんてできないって。それでまた、次の日に思うんです。忘れちゃったほうがいいんだって。それでまた、次の日に……思う……」
まひるの頬に涙が伝った。
残念だけど、まひる、俺にはその堂々巡りを止めてあげられる言葉を持っていない。
気がつくと俺は、まひるの頬の涙をぺろりと舐めていた。
一瞬、引かれるかと思った。
でも、まひるは、ふふ、と笑った。
「くすぐったい」
俺は、まひるの両頬の涙をぺろぺろと舐めた。
まひるは、ふふ、ふふ、と笑った。
突然、まひるは俺をぎゅっと抱きしめた。
「ごめんなさい」まひるは俺を抱きしめながら言った。「ごめんなさい」
流れてくるまひるの涙を、まひるが泣きやむまで、俺は舐めた。
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