012 はい、あーん

 しばらくして落ち着いてからも、まひるはずっと俺を抱えたままベッドに座っていた。

 犬の体温は高いから、抱いていると安心するんだろう。

 突然、ぐうーとまひるのお腹が鳴った。

「何か、食べるか?」

 まひるは、こくり、とうなずいた。

「あんまりたいしたものは作れないけど」

 という俺に、まひるは「手伝います」と、キッチンについてきた。

 まひるは牛乳も卵も大丈夫だと言うので、とりあえず、フレンチトーストを作ることにした。それくらいなら、俺が魔力を使って作れそうだったが、作り方を指示してまひるに作ってもらうことにした。

 どうやらまひるはほとんど家で料理をしたことがないみたいで、手元がかなりおぼつかなかったが、なんとか焦げつくことなく出来上がった。

 まひるはダイニングキッチンのテーブルに着き、俺も向かいの椅子の上に座った。俺の頭が、なんとかぎりぎりテーブルの上に、ひょっこりと出た。

 フレンチトーストを食べたのは初めてらしく、まひるはいたく感動していた。はちみつをたっぷりとかけて、まひるはぱくぱくと、あっという間に完食してしまった。

 俺はと言えば、犬になったとはいえ、犬のように食べるのはさすがに抵抗があるので、小さく切ったものをフォークに刺して、まひるに食べさせてもらった。

「はい、あーん」

 と、まひるに言われて食べさせてもらっている自分ってどうなんだ、と思わなくもなかったが、まひるも楽しそうだったので、まあ良しとしよう。

 そのあと、俺が入れたミルクティーを飲んでいるまひるに、俺は尋ねた。

「今さらなんだけど、家の人は、ほんとに大丈夫なのか」

 猫舌らしく、ふうふうとやっていたまひるが、答えた。

「はい。わたしが家にいない間は、わたしのアバターが代わりにいてくれるので。わたしの行動パターンを完全に再現して、ちゃんと会話もできるんです」

「それって、鼻の頭を押したら自分の姿になってくれる人形みたいなやつ?」

「いえ」まひるは、キョトンとした。「魔力で構成されている、幻のようなものだそうですけど」

 さすがにネタが古すぎたか。

「なるほど」ついでに、俺はずっと気になっていたことを聞いてみた。「あのさ、俺の前のワンコちゃんって、いたんだよな」

「はい」

 まひるが、がくっと肩を落としたので、俺は言った。

「別に話したくなかったらいいんだけど」

「いえ」まひるは首を振った。「大丈夫です。なんていうか、わたしが悪いんですけど、急にやめるって言われて」

「それってもしかして、俺と初めて会ったときか」

「はい。戦闘中に。やってられないって、勝手にリンク解除されました」

 うーん。たぶん、また無茶な戦い方をしたんだろうな。ということは言わないけれども。

「それで、魔力切れを起こして落ちてきたのか」

「はい」まひるはうなだれた。

「もうそんなことは起きないから、心配するな」

 まひるは、こくん、とうなずくとマグカップを置いた。「あの、あのクルーナーは。あの人はどうなったんですか」

「どこまで覚えてる」

「明日香ちゃんが来てくれて、奥義の構えに入ったところまでです」

「そのあと、明日香ちゃんは、奥義で君の腕ごとコアを切断して、直後に俺は君を回収した。クルーナーは中に人を取り込んだまま、逃げて行った」

「そうですか」

「明日香ちゃんが言うには、おそらく、またすぐに出現するだろうって」

「今度はもう、あんなことはしません」

「うん」

「でも、あの人は助けたいです」

「これまでも、人が取り込まれてしまったことはあるのか」

「わたしが遭遇したのは初めてです。でも、これまでもそういうことはあったみたいです。完全に取り込まれてしまったら、助かる見込みはないって言われています」

「そうか」気休めを言っても仕方がない。「とにかく、俺たちにできることを、全力でやるしかない」

 まひるはまた、こくん、とうなずいて、うなだれたままじっとマグカップを見つめている。

 なんとなく分かってきたのだが、こういうときは、まひるが何かを言いたいときだ。

「ひとつ提案があるんだが」反応がないので、俺は続けた。「これからも俺たちはクルーナーと戦わなきゃならない。そのためには、チームワークが不可欠だと思うんだ。それで、そのなんていうか、遠慮はしないでほしいんだ。いきなりは難しいかもしれないけど、少しずつでいいから、思ったことを言ってほしい。いいかな?」

 まひるは少し迷ったそぶりを見せてから、口を開いた。

「あの、名前」

「名前?」

「まひるって。戦闘中に、呼びました」

 思い当たるまで数秒かかった。

 ええとつまり、戦闘中に、俺がまひるを下の名前で呼んだっていうことか。

「ああ。え。そうだっけ」正直思い出せないけど、たぶんそうなんだろう。「ごめん、つい、とっさに。これからはちゃんと、安藤さんって呼ぶようにするから」

 まひるは首を振って、「明日香ちゃん」と言った。

「ん?」

「明日香ちゃんは、ちゃんづけ」

 ええとつまり、下の名前で呼ぶのはいいけど、なぜ、まひるは呼び捨てで、明日香ちゃんはちゃんづけなんだ、ということか。

 うーん。

「じゃあ、まひるちゃん」

 まひるはものすごく複雑な表情を浮かべて、たっぷり十秒間くらい熟考したのち、言った。

「やっぱり、まひるでいいです」

 だー。もー。

 そういえば、BBやケイさんはひーさんとかひーちゃんって呼んでたな。

「ひーちゃん、じゃダメなの?」

 再び十秒間の熟考ののち、まひるは言った。

「まひるで」

 はい。

 俺はくすくすと笑い出した。

 そんな俺を、まひるは怪訝な表情を浮かべて見ている。

「よかった」俺は言った。「思ったこと、ちゃんと言ってくれて。ありがとうな、まひる」

 まひるはまた顔を伏せて、首を振った。

「さて。お腹も少し落ち着いたことだし」俺は時計を見た。十二時半だった。「変態解除までまだもうひと眠りできそうだな」

 まひるを寝室のベッドに寝かせて、俺は食器をシンクに入れ、リビングのソファの上で丸くなった。

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