054 私には充分だった

 イミの掛け声とともに、青い球はクルーナー=クシーへと打ち出された。

 青い球は、まるで水滴のように、クルーナー=クシーを丸ごと飲み込み、バシン、と大きな音を立てて消滅した。

 俺の手足の痛みが消えた。

 クルーナー=クシーの体から出ていた棘が、ひゅっと引っ込んでいく。でも、クルーナー=クシーの心臓のあたりから出ている大きな棘と、背中から出ている大きな棘が残っている。それはまるでクルーナー=クシーの体を貫いているように見えた。

 俺の手足から生えている棘も消えない。

「イミさん」まひるが言った。「クシーをクルーナーから切り離すにはどうしたらいいんですか」

「それは一概には言えんな」イミは俺を見た。「おぬしのときと、同じというわけにはいくまい」

「たぶんだけど」明日香が言った。「クシーの場合って、山田さんのときとは違うんじゃないかな」

「わ、わたしもそう思います」と、まひる。「クシーはあのとき、言いました。あなたが誰かが分かったって。クルーナーの正体が分かったってことですよね」

「イミ」俺は言った。「さっきの、カ・ムってどういう意味だ。クルーナーのことを、カ・ムの御使いって言ったよな」

「おい、堕ちたもの、聞いておるか」イミが虚空に向けて言った。「この時代では――BBとやら。このものたちに話してもよいのか」

 しばらく間があって、BBからの通信が入った。「いいわ」

 イミは、うむ、とうなずいて、俺たちを見た。

「カ・ムとは、この時代の言葉では神、創造主という意味なのじゃが」イミはとんでもないことをしれっと言った。「ただ、それだと、やや語弊があるようだの。正確には、創造者、と言うべきじゃな」

「え? つまり?」と、美穂。

「つまり、この世界を作った者、という意味ね」と、明日香。

「この世界の創造者」俺は言った。「だからクシーは、あのクルーナーの言うことを聞いたのか」

「ワレらはカ・ムを畏れ、崇め奉る一方で、カ・ムからの直接的な攻撃には密かに対抗し続けてきたのじゃ」

「なぜ」くろちゃんが言った。「なぜ、カ・ムはそんなことをするの。この世界を作った存在なんでしょ」

「さあな。本当のところはワレらには分からないし、分かりようもないのじゃが、おそらくは、ワレらの出来が悪すぎたのではないかの」

 俺は深くうなずきそうになって、思いとどまった。

「さっき、イミは魔法少女のことを『忌まわしきモノの使い手』と言ったな」俺は言った。「俺たちの力は正の力のはずじゃないのか」

「忌まわしきというのは、奴ら、カ・ムから見た場合の話じゃ。ワレらがやっておるのは、言わば神殺しのようなものじゃからな」

「クシー」まひるは、クルーナー=クシーがいる空域を見上げた。「今のクシーはもう攻撃してこないんですよね」

「おそらくは」イミもクルーナー=クシーを見上げる。「じゃが、完全に分離して、消滅させない限り、いつかまた復活するじゃろうな。なんせ、あの魔法少女はすでにカ・ムの御使いのコアとなってしまっているからの」

 まひるは、少し上昇し、クルーナー=クシーのすぐそばまで近づいた。

 俺たちもまひるに続き、クシーの周りを取り巻くようにして滞空する。

 クルーナー=クシーは目を閉じ、うなだれた状態で空中に浮かんでいる。彫像のようなグレーの表面はやはりなめらかで、月の光を浴びて、うっすらと光っている。まひるはさらに近づき、手を伸ばすと、そっとクルーナー=クシーの腕に触れた。

 まひるが近づくと、クルーナー=クシーの四メートルの体がひときわ大きく見える。

 ぐぐぐぐ、とクルーナー=クシーの体が、胎児のようにまるくなっていった。

「クシー!」

「うう」と、かすかなうめき声が、クルーナー=クシーから聞こえてくる。

「よかった」まひるが、クルーナー=クシーの大きな腕をつかむ。「クシー、なんとか離脱して。そこから離れて――」

「……して」クシーの声が、クルーナー=クシーの中から聞こえてきた。クルーナー=クシーの外観は変化なく、目を閉じた顔もそのままだ。ただ、クルーナー=クシーの内部から、クシーの声だけが聞こえてくる。「私を、消して」

「そんな」まひるがわずかに身を引く。「何言って――」

「この――あの方の御使いの力が戻ってこないうちに。コアごと。私ごと。消して」

「だめだよ、できるわけないよ」と、まひる。

「クシー」明日香が呼びかける。「自らの意思で、コアとクルーナーの結合は解けるはずよ。とにかくやってみて」

「だめ」クシーが言った。「あの方の御使いが、私に言った。コアになるように、と。あの方の御使いの言葉は、あの方の言葉と同じ。私はあの方の言葉に逆らえない」

「おぬしが考えている存在と、あの方とは、少し違っていると思うがの」と、イミ。

「それでも、この世界を創造した存在だということに変わりなない」

「まあな」

「その人の声は聞こえているの?」まひるが言った。「その人はまだ、クシーに、言ってるの? そこにいろって、言ってるの?」

「違う」クシーが言った。その声は自信なく揺れていた。「違う。本当はそうじゃない。本当は。本当は、私、怖い」

 まひるは、じっとクシーの声に耳を傾けている。

 クシーは言った。「私が目覚めて、私はいろんなことを知って、みんなに会えて、私はたぶん、欲しい、ということを知った。それまでの私は、真水だった。色のついていない、透明な水。そこに、絵の具が落ちた。最初は赤。それから、青。どんどん、いろんな色が落ちてきた。そうやって、いつしか水は黒く濁っていった。これからも、どんどん私は濁り続けていく。私は怖い。もしも、真っ黒に濁ってしまった私が、そんな私が、もう一度、あの方の御使いに取り込まれてしまったら。今度こそ、取り返しのつかないことになる。だから、私は、こうする」

 突然、俺の視界に、『解除権限強制返還』の文字が浮かぶ。警告音。

「しまっ――」

 クルーナー=クシーにまだこんな力が残っていたとは。

 クルーナー=クシーの周りの空間がゆらゆらと揺れる。

「やばい」くろちゃんが叫ぶ。「みんな、気をつけて!」

 それまで丸まっていたクルーナー=クシーの体が、徐々に伸びていく。

「待って、クシー!」まひるが手を伸ばし、その体を明日香とあかねが押しとどめる。

「初めから、私には充分だった。初めから、私は充分足りていた」クルーナー=クシーは、今はもうまっすぐに立って、滞空している。

「第三段階限定解除。重力反転」

 クルーナー=クシーが目を開いた。瞳が銀色に輝く。

「ハッシャバイ」

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