魔法少女の犬
Han Lu
第一章
001 わたしの犬になってください
「お願いします」
その少女は左手を差し出して、俺に言った。
「わたしと契約して、わたしの犬になってください」
※
女の子が落ちてきた。
空から。
といっても、別に有名なアニメ映画のお話ではない。おやかたぁー、空から女の子がぁーっ。いや、空から女の子が落ちてくるアニメはもうひとつあったな。おもし蟹。でもあれは屋内だから空から、とは言わないか。それにあちらは小説が原作だった。と、そんなどうでもいいことを考えながら、俺は目の前の地面にへばりつくように横たわっている女の子を観察した。人間、あまりにも想定外の出来事に遭遇すると、かえって冷静になってしまうものらしい。
会社からの帰り道、俺の目の前に突然女の子が落ちてきた。その子は、学校の制服を着て、どちらかというと、ガハラさんよりも、シータに近い年齢に見えた。
びたん。
その女の子の体は、本当に、びたん、という音をさせて、まさにアニメの表現のように、地面に叩きつけられたあとバウンドし、うつ伏せになった状態で動かなくなった。
カエル。
という言葉を脳裏に浮かべながら、はたしてどうしたものか、と思案した。
投身自殺だと思えなかったのは、そのどちらかというとシリアスさに欠ける体勢のせいだけではなかった。
右手は公園、左手は駐車場で、近くに高い建物はない。
近くの建物から落下してきたというよりは、どこか遠い場所から吹き飛ばされて、ひゅるるるると落ちてきた、といった感じだった。
では、この子はいったいどこから落ちてきたのか。
落下時の衝撃からみて、かなりの上空から落ちてきたみたいだけど、その割には特に外傷は見られない。とは言え、街灯の明かりだけだとよくわからない。
俺はスマホを取り出しながら、女の子の方へと近づいて行った。
やっぱり目立った怪我はしていないように見える。
女の子のそばにしゃがみ、一応救急車を、とスマホに目をやったとき、女の子が、がばっと上体を起こした。
すぐに俺に気づくと、はっとした顔であたりを見渡し、言った。
「あの、奴らは」
奴ら?
「いや、君しか見てないけど」俺は答えた。「それよりも、君、だいじょう――」
俺が言い終わらないうちに、彼女は言った。
「ここから立ち去ってください、すぐに」
「え」俺は彼女の真剣な表情にたじろいだ。「何を――」
とん。
飛び起きた彼女が俺の胸を突き、俺は後ろに数歩よろめく。
次の瞬間、黒い帯が高速で降ってきた。
幅三十センチほどの黒い帯は、伸ばされた彼女の右腕を肘のあたりで切断した。
さくん。
どうやったら人体がそんなふうに切断できるのか、俺の頭はまったく事態に追いついていないが、とにかく彼女の腕はきれいに分断されて肘から先が地面にころがり、黒い帯はひゅっという音とともに上空に姿を消した。
腕を失った少女は、かくん、と両膝をつき、うなだれたまま動かなくなった。
逃げろ。
頭の中の自分が告げる。
さっきこの子が言った通り、すぐにここから立ち去るべきだ。
立ち去って、こんな訳のわからないことはすぐに忘れるべきだ。
夢でも見ていたんだと言い聞かせて。
この子を置いて?
だって、しょうがないだろう。
そんな自分の声とは裏腹に、俺は動けない。
――しょうがない、です、よね。
俺のじゃない、かつて聞いたその言葉が俺の耳元に響いたとき、俺は少女に向かって一歩踏み出していた。
「おい」
彼女に触れるべきなのかどうかもわからず、俺は声をかけることしかできない。
反応はない。
「おいっ」
俺は彼女の肩に、恐る恐る手を伸ばした。
はっ、と少女が顔を上げ、俺は慌てて手を引っ込めた。
「すみません」少女が軽く頭を振った。「怪我のショックで、数秒間気絶していました」
気絶って。
「でも大丈夫です」
いや、大丈夫じゃないだろ。
少女は残された上腕部をつかんだ。
「ただ、傷口の止血と痛み止めに最後の魔力を使ってしまいました」
ようやく俺は、彼女の腕から血が流れていなことに気が付いた。いや、待て。
「まりょく?」
俺の問いには答えず、彼女は頭を下げた。
「だからすみません、今のわたしでは、あなたを守ることができません。うわーどうしよう。結界が切れてる。しかも通信途絶だなんて」
再び顔を上げて、少女は俺を見た。
「このままだと、わたしたちは確実に命を落とします」
命を落とす。
彼女の年齢と外見にあまりにもそぐわないその言葉には、でもなぜか妙な実感がこもっていた。この子がそう言うのなら、本当にそうなんだろうと思える何かが、この子にはあった。重ねて彼女は言った。
「生きたいですか」
目の前に、少女の瞳があった。
誰かの瞳をこんな間近でじっと見つめたのは、ずいぶん久しぶりな気がする。
「死にたくないですか」
ようやく、俺はかすかにうなずくことができた。
「わかりました。では」
少女は無事な方の手を伸ばした。
「お願いします」
その少女は左手を差し出して、俺に言った。
「わたしと契約して、わたしの犬になってください」
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