002 魔法少女です
犬って、いったいどういうことなんだという疑問を浮かべながらも、俺はほとんど無意識のうちに、少女が伸ばした左手に、自分の右手を伸ばしていた。
彼女が手のひらを開き、俺の手のひらもそれに合わせる。
俺たちの指が絡まり、彼女の細い指をしっかりと感じたとき、手のひらが熱を帯びて、合わせた手のひらの間から光があふれだした。
光は俺の視界を奪い、俺は思わず目を閉じた。
そして、次にまぶたを開けたとき、俺の目はこれまで見たこともないものを映し出していた。
なんだこれ。
視界のあちこちにいろんな文字が浮かんでいる。
スマートグラスをかけて、そこに表示されているものを見ている感じだった。
突如、大量の情報が頭の中に流れ込んできた。
こめかみが焼けるように熱い。
それに、なぜか視点が低くなっている。体が縮んでしまったような変な感じだ――と思って自分の体を見て驚いた。
もふもふ。
この状況下で自分でもどうかしていると思うが、最近もふもふ動画にハマっている俺としては思い浮かんで当然の言葉なのだった。
どうやら彼女が言っていた犬というのは、比喩的な意味ではなく、本当に動物の犬のことらしい。俺は茶色い毛におおわれた自分の体を見た。どう見ても犬だった。小型犬だな。何犬かは知らないが。
ということはあれか。俺がサポート役のマスコットキャラ的存在で、この子が魔法か何かで戦うとか、そういうやつなのか。
「おい」俺は少女を見上げた。彼女の顔がめちゃくちゃ高い位置にある。首が痛い。とりあえずさっき浮かんだ疑問をそのまま投げてみた。「ということはあれか。俺がサポート役のマスコットキャラ的存在で、君が魔法か何かで戦うとか、そういうやつなのか」
「あ、はい。その通りです」
合ってた。
「まじか」
「ごめんなさい、細かな説明は後で――」
彼女の言葉は、頭の中に突如鳴り響いた警告音に遮られた。同時に、視界正面に『回避』の文字が現れる。その瞬間、俺の体は勝手に動いた。
動いた、というか、飛んだ。
直後、俺のいた地面に、数本の黒い帯状の物体が突き刺さった。
その光景を俺は上空から見下ろしていた。
見ると、すぐそばに彼女も滞空している。
彼女に声をかける間もなく、俺の耳に再び警告音が響き、俺はまた無自覚のうちに回避行動を取った。
空と地面がぐるぐると入れ替わる視界を、さっきの黒い帯が横切る。俺は、上下左右から襲い掛かってくる複数の黒い帯を、マクシミリアン・ジーナスばりの驚異的な動きで回避し続けていた。
普通の人間なら、とっくに気絶しているような激しい回避運動を行いつつ、俺は視界の表示の中でひときわ目立っている『最優先』という赤い文字に意識を向けた。
最優先。
俺がそうつぶやくと、『最優先』の下に、いくつかの文字と数値が現れた。数値は刻々と変化している。一番上に書かれている文字を、俺は声に出して読んだ。
「右腕復元」
視界の隅で少女の右腕が光りながら復元されていくのがちらっと見えた。
ばしん。
大きな破裂音とともに、黒い帯が一本消滅した。
黒い帯たちの動きが一瞬止まった。
少女が長いスティックのようなものを持ち、少し離れたところに浮かんでいる。スティックの先がスプーンのようになっているあれは、確か、ラクロスで使う道具のような――と思っていると、彼女はその道具を思い切り振り下ろした。
柄の先から光の玉が飛び出し、別の黒い帯に当たると、帯は消滅した。少女が放つ光の玉は、次々と黒い帯を消していき、最後に一本残ったそれは、するすると上空へ撤退していく。
俺の視界に変化が現れた。
左側に、二つの赤い点が明滅している。
「二体いる」
「わかってます」即座に彼女が答える。「魔力が戻ってきました。追います」
ひゅん。
目の前から彼女の姿が消えた。速い。俺も彼女を追う。
いったいどういう原理なのかまったくわからないが、高速で飛行を数秒間続けると、いた。
黒い帯が絡まって団子のようになっている物体二つと、彼女が空中戦を繰り広げている。
その二体は、昔のビデオテープの中身を引っ張り出して、ぐちゃぐちゃに丸めた状態を連想させた。二体から伸ばされる帯をかわしながら、彼女は攻撃を続けているが、一本消えてもすぐに別の帯が襲いかかっていく。あれではきりがない。
彼女に近づきつつ、俺は告げる。
「攻撃はするな。俺の動きを真似て逃げ続けろ」
すぐさま彼女から離れ、俺は一体に近づき、帯を引き寄せる。そのまま複雑な飛行パターンを描きつつ、彼女も同じ動きをしていることを確認すると、俺は彼女と進路を交差させた。
思惑通り、二体が伸ばしていた帯たちは結び目を作り、動きが止まる。
別の帯が伸びてくる前に、俺はつぶやく。
弱点。
二体の中心に、赤い点が表示される。
「俺が合図したら、指示した角度から中心に撃ち込め」
たぶん通信できているはず。
「わかりましたっ」
案の定、彼女からの答えが俺の耳に返ってきた。
おとりとなった俺に、新しい帯が伸びてくる。
彼女は高度を上げて、たぶん共有している俺の視界にある映像をもとに、適切な位置取りを行っているはずだ。
高速で動き回る俺を追って、大量の新しい帯が襲いかかってくる。
「今だ」
本体を覆っている帯が薄くなった場所を狙って、彼女が放ったひときわ大きな光球が、一体の中心を貫いた。
『E1:コア消滅』
核を破壊したことが視界に表示される。
一体が完全に消滅した。
二体目は、俺への攻撃をやめて、あっという間に飛び去って行った。
「どうする」俺は彼女に尋ねる。「追いかけるか」
「いいえ。やめておきます」
「わかった」
彼女はふうーっと大きく息を吐いて、肩を落とした。
普段の癖で、お疲れさま、と言いかけて、俺は口をつぐんだ。お疲れさま、はないよな。では、どう言えばいいのか皆目わからず、結局俺は「そうだな」とつぶやくように言っただけだった。
とりあえず、俺たちは彼女が落ちてきた場所まで戻ることにした。
切断された彼女の右手は消えていて、道路には黒い帯の攻撃によってつけられた穴だけが残っていた。
すぐそばの公園に、俺たちは降下した。
着地すると、彼女の手から、ラクロスのスティックが消えた。
俺は彼女の視線の高さの空間に体を浮かべた。小さな犬が空中にふわふわと浮かんでいるわけで、人に見られるとやっかいな状態なのだが、この時間、このあたりはほとんど人通りがないので、俺はそのままにしておいた。
ジャングルジムの隣に立っている時計の針は九時を指している。
数か月ぶりに早く帰れたと思ったら、とんでもないことになってしまったな。
いや、そんなことよりも、まず気になることがあった。
「この状況でこんなことを聞くのもどうかと思うけど」俺は言った。「こんな時間まで外にいて、おうちの人は心配してないのか」
彼女は一瞬ポカンとした表情を浮かべたあと、首を振った。
「いえ、そのへんは大丈夫なんです。いろいろと考えてもらっているみたいで」
なんだかよくわからないけど、俺はひとまず、そうか、とうなずいておいた。
「それよりも、あの、本当にごめんなさい」彼女は胸の前で両手を握りしめた。「わたしのせいで、大変なことに巻き込んでしまって」
「まあ、なんて言ったらいいのかよくわからないが、ともかく、君が無事でよかった」
彼女は複雑な表情を浮かべると、小さな声で「あ、ありがとうございます」と言った。
「説明してもらわなければならないことが山ほどあるんだが、まずはその前に」ふわふわと浮かびながら俺は名乗った。「山田雄作、四十五歳。会社員だ」
「よ、よろしくお願いします」彼女は制服のブレザーをぱたぱたと叩きながら、一歩前に出た。「わたしは」
俺の目の前に、少女の瞳があった。
「令禅学園中等部二年三組安藤まひる」彼女はぺこりと頭を下げた。「魔法少女です」
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