026 はい、山田さん

「遊園地なんて来るの、何年ぶりだろう」

 俺が心に浮かんだ言葉を完全にそのままつぶやいたしんちゃんに、俺は思わず「うん」と、うなずいていた。

 かえでがまだ小学校低学年の頃に、一度行った記憶がある。それからはもう、ほとんどどこかに一緒に出掛けた記憶がないな。

「はやくー」と、入口のゲートで手を振っている明日香たちの方へ、俺としんちゃんは歩き出した。魔法少女三人とくろちゃんは、駐車場で車を降りると、さっさと駆け出して行ったのだった。

「若いもんは元気だなー」

「そうっすね」

 と、俺の言葉にしんちゃんが同意する。すぐそばに人はいないが、俺たちは小声で会話をしていた。

「しんちゃんって、いくつなの?」

「自分、二十七っす」

「そっか」としか言えない。

「あ、あの」しんちゃんは俺を見上げた。一応首輪をして、リードを俺が持っている。「あ、ありがとうございます。今日、呼んでもらって」

「いや、今回の企画立てたの、あかねだし」

「でも、山田さんも、ちょうど同じことを考えてたって」

「まあね」

「自分、戦闘時以外は、この姿でもほとんど外に出ることがなくて。本当は、今日参加するかどうか、すごく悩んだんっすよ」

 なるほど。

「最初はちょっと怖かったっすけど。なんかちょっと、なんて言うんだろ、人って、普通に生活してるんですよね。自分がどうなってようが、何してようが関係なく、世界って動いてるんっすよね。当たり前なんすけど。なんか、今日、それ、すごく実感して」

「それは、しんちゃんにとって良いこと?」

「正直、分かんないっす。でも、悪くはない感じはします」

「悪くなければ、上出来じゃないかな」

「そ、そうっすね。そうかもっすね」

 ちょうど俺たちは、待っているまひるたちと合流した。

「もう、おそーい」

 口を膨らませている明日香に、俺としんちゃんは――しんちゃんは小声で――謝り、遊園地へ入場した。

 往きの質問攻めで気力を持っていかれた俺は、もっぱらくろちゃんとしんちゃんの飼い主役として、女の子たちがアトラクションで遊んでいる間、ベンチに座って彼女たちを眺めていた。

 三人は、すべてのアトラクションを制覇する勢いで、遊びまわっている。途中まで三人の移動に付き合っていたが、途中からはもう、公園の芝生の上に座って、彼女たちが戻ってくるのを待つことにした。くろちゃんとしんちゃんも、芝生の上で寝転がっている。

「くろちゃんも、乗りたかったんじゃないの、ジェットコースターとか」

「うーん。そうでもないかな」

「そうなんだ」

「だって、実際の戦闘のほうが、よっぽどスリルあるから」

「もしかして、ワンコちゃんになったのは、ゲームに活かせるから?」

「うん。本当に敵と戦うなんて、なかなか経験できないことだし。これ、やるっきゃないって思った」

 本当に敵と戦う。その言葉に引っ掛かりを覚えるのは、俺が考えすぎるからだろうか。

「でも、そういうことだけじゃなくて、いろんなこと経験したいからっていうのもある。ゲームの世界で強くなるためには、ゲーム以外のことをたくさん経験しなきゃダメだって、いつもお父さんに言われてるんだ」

 しっかりしたお父さんでよかったな。俺はまったく偉そうなことは言えないのだが。

「いいお父さんだな」

「そう?」

「じゃあ、なおさら、遊園地も体験しときたかったな」

「それは大丈夫。実はボク、ここ来たことあるんだ」

「そうなんだ」

「うん。一時期、遊園地のアトラクションにハマっちゃって」

「そいつは申し訳なかったな」

「ううん」くろちゃんは首を振った。「こうやって、お姉ちゃんたちや、しんちゃんと普段会うのって初めてだから、なんか、楽しいよ」

「そっか。そいつはよかった」

 でも、普通のワンコちゃんたちは、契約が終わったら、ワンコちゃんだったときの記憶は消えてしまうんだよな。もちろん、くろちゃんたちもそれは承知の上で契約しているのだけど。俺はそのことには触れず、くろちゃんの頭を撫でた。

 それから俺たちは、フードコートでお昼ご飯を食べて、彼女たちは池に浮かぶペダルボートに乗ることになった。

「あれ、二人乗りやん。うちは明日香と乗るから、まひるんはおっさんと乗ったら?」と、あかねの提案。

 まあそうなるわな。

「じ、自分たち、さっきの公園にいるっすから」と、しんちゃんも言ってくれて、俺はまひるの隣できこきことペダルを踏むことになったわけである。

「部活はどうだ?」と、俺は白鳥の形をしたボートの中で、まひるに聞いた。「練習、きつくないか?」

「きついです」

 まひるは真剣な表情で前を向きながら答えた。いや、これもっとリラックスして漕ぐものなんだけど。

「でも、去年一年間でものすごく体力がつきました」

「そっか」

「わたし、小学校までは体力ぜんぜんなくて、運動会とか、マラソンとか、いつもびりっけつで。でも、中学で部活やり始めてからはどんどん変わって、今、クラスでたぶん一番速いんじゃないかな」

「すごいじゃん」

「え、えへへ」と、まひるは照れたように笑った。「でも、チームプレーがなかなかうまく――」

「お先にぃー」と、あかねたちのボートが俺たちのそばを通り過ぎて行った。

「抜きます!」まひるが、がっとペダルを踏みこむ。

「ちょっ」

 言ってるそばからこれか。俺もまひるに合わせて全力でペダルを漕ぐことになり、足がつりそうになった。あっさりとあかねたちを抜き去って、停止したボートの中で俺は言った。

「お前、ほんっと、負けん気が強いよな」

「うっ」と、まひるはうなだれた。「す、すみません」

「いや、それは決して悪いことじゃないと思うよ。でも、たぶん部活でも言われていると思うけど、団体競技は、一人の力じゃ決して勝てないから。逆に、抜きんでた人間がいなくても、チームプレーを活かせば、どんな敵にも必ず勝てる。これはチーム競技の基本的概念であり、かつ、真理だ」

「あの、山田さんって、何かスポーツやってたんですか」

「むかーし、野球を少々」

「そうだったんですか。あの、ポジションは」

「キャッチャー」

「し、渋いです。あの、チームプレーを身に付けるにはどうすればいいですか」

「うーん。まあ、まずはドカベンを読め。とりあえず、不知火高校戦あたりまで」

「ど、どか? べ?」

「いや、知らなかったらいい。そうだな、まず、チームメンバーのことを、お互いがそれぞれ、ちゃんと知らなくちゃならないんじゃないかな。で、それぞれの得意不得意を踏まえたうえで、最適な役割分担を決められたら、ベストだろうな」

「わ、分かりました」

「俺はラクロスのことはほとんど知らないけど、ちょっと勉強しておくよ」

「あ、ありがとうございます!」

 俺の方に身を乗り出すようにして、まひるはぺこりと下げた。

 顔を上げたまひるは、俺と目が合うと、さっと正面を向いた。

 沈黙。

「そろそろ、戻るか?」

 まひるは、こくりとうなずいたまま、うつむいた。

 俺たちは、こきこきと、ペダルを漕ぎ始めた。

 さらに沈黙。

 こきこき、きこきこというペダルの音に、ほかのボートから上がる楽しそうな声が、かすかにかぶさる。

「わたし……」と、正面を向いたまま、まひるが口を開いた。「わたし、ヘン、ですよね」

「いや」まあそうだけど。「そんなことないけど」

「たまに急に、あのときのこと思い出しちゃって、たまに急に、すごく恥ずかしくなっちゃって、それで、たまに急に、ヘンな感じになっちゃって、それでまた、たまに急に――」

「分かった」ちょっと落ち着け。

 たぶんまひるは、あのとき、ギャン泣きしたときのことを言ってるんだろう。まあ、気持ちは分からないでもないけど。

「ありがとう」

 ひゅっ、という音を立てて、まひるが息を吸い込んだ。

「あのときのこと、ちゃんとお礼を言ってなかっただろ。ありがとうな、まひる」

 まひるは、きこきことペダルを踏みながら、前を向いたまま上半身が固まっている。

「俺がコアとの融合を解除できたのは、まひるのおかげなんだ。どうしてなのかは、説明しても多分うまく伝わらないと思うけど、ただ、その事実だけは、確かだからな。それだけは忘れないでほしいんだ。ごめんな、もっと早く、きちんと伝えておくべきだったな」

 俺たちの漕ぐペダルは、どちらからともなくゆっくりになっていって、やがて止まった。

「だから、恥ずかしがることはない。まひるのおかげで、あのとき、俺は助かったし、その結果、たくさんの人の命が助かったんだ」

 まひるは、ゆっくりと俺の方を向いた。

「だから、たまに急に、あのときのことを思い出しても、ふふん、って思えばいい。あのとき、わたし、やったじゃんって。ふふふん、って思えばいいんだよ。だからもう、大丈夫だよ、まひる」

 まひるは、目を見開いて、やがて、ぱっかりと、口を開いた。それから急に、はっと、口を閉じると、またゆっくりと、正面を向いた。

 そして、まひるは、ほんの少しだけ微笑んで、こう言った。

「はい、山田さん」

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