005 住み込みのバイトをしてるから

 男(だよな?)は本棚に本をしまい、「どーぞ」と長いすの方に手のひらを向けた。

 まひるは手前の長椅子に、リュックサックを前に抱えたまま腰かけた。男も向かい側の長椅子に座る。

「さてと」男は、足を組み、膝の上に握り合った手を乗せた。手足が長い。「まずは自己紹介からすべきよね」

 俺は男の言葉にうなずくと、改めて彼を観察した。整った顔立ちは海外の血が入っているようにも見える。年齢がつかみにくい顔だ。三十五歳以上だとは思うが、手にはほとんど皺がない。

「私はビッグ・ブラザー。BBって呼んで」男は言った。「よろしく、山田雄作さん」

「なかなか自虐的なネーミングだな」俺はさっき男が立っていた本棚をちらっと見た。「オーウェルが愛読書か」

「ふふふ」BBは満足気にうなずいた。「あなたとは楽しいお話ができそう。でも、いろいろと聞きたいことがあるのでしょう」

「ある」

「最初に言っておくわ」BBは右手の手のひらを俺に向けた。「いったんこの子と契約してしまったら、簡単に解消することはできないの」

「そうか」

 沈黙が訪れた。

「どうやら」手のひらを上に向けて、BBは肩をすくめた。「まず、あなたからの質問を聞いたほうがよさそうね」

 俺はうなずき、BBは、どうぞ、というように手で俺をうながした。

「では聞くが、労働基準法というものがあるのを知っているか」

 BBは反応を示さないので、俺は続けた。

「法律では、十五歳に満たない児童を労働者として使用することはできないとされている」

「それで?」

「俺は別に、魔法少女とやらの働きを労働とみなし、労働基準法を遵守しろと言っているわけではない。十四歳という年齢は、こうやって法律で守られなければならない存在だ。この子がそういう存在だということを認識しているのか、まずそれを聞きたい」

「残念ながら」BBは特に表情を変えず、かすかな笑みを浮かべたまま言った。「答えはイエスでもノーでもないわ。それ以前の問題なの。さっきあなたが遭遇したような事態に対応できる者、つまり、魔力を行使して奴らを排除できるのは十五歳までの女の子に限られているの。だから、この子たちがそういう存在だとしても、この子たちがやらなければならないのよ」

「ふん」俺は鼻で笑った。「まるでネットの小説投稿サイト出身作家が書いた、ぺらっぺらなラノベの設定だな」

「挑発しても無駄よ」BBは手のひらをひらひらと振った。「それが厳然たる事実なんだから」

「さっき、『この子たち』と言ったな。魔法少女は安藤さんのほかにもいるんだな」

「ええ」

「どれくらい」

「現在、世界で三百十六人よ」

 三百十六人。そんなにもいるのか。

「ちなみに」BBは続けた。「日本は五人。一番多いのは中国で、今確か五十六人だったはず」

「ではもうひとつ聞く」本当はこの子の前では聞きたくなかったが、仕方がない。「魔法少女の死亡率は」

 BBは無言で立ち上がると、長椅子の後ろにある机まで行き、引き出しを開けて、何かを取り出して戻ってきた。長椅子に座り、手にした電卓をローテーブルの上に置いて、計算を始めた。

「データベースにアクセスしてないから、概算だけど」BBは、電卓のキーを叩き終えた。「約〇.六%ね」

「それ、母数は何なんだ」

「これまでの魔法少女の数よ、もちろん」

「これまでって」

「五〇〇年から現在までの累計よ。それ以前のデータは消失してしまってるの」

 五〇〇年?

「西暦五〇〇年という意味か?」

「もちろん」BBはうなずいた。「始まりはおそらく人類発祥と同時だと言われているけど。ちなみに、記録が残っているうち、命を落とした魔法少女は百名よ」

「千五百年間で百名か」

 果たしてそれが多いのか、少ないのか、俺には判断できない。

「そうね。ただ、ここ数年、死者は出ていない。これは誰かが引き継いで行わなければならないことなの」

「そちらは今のところどうでもいい。どうせまた薄っぺらなラノベ的設定を聞かされるのが落ちだ。事態は動き始めていて――というか、大昔に始まっていて、今更降りることはできないんだろう。俺が知りたいのは、この子に何かあった時、誰がどう責任を取るのか、ということだ」

 BBの微笑が一割程度減少した。

「私が今言ったことは、すべて彼女に伝えているわ。それをわかったうえで、この子は自分で決断した。魔法少女になるって」

「千年前ならいざ知らず、最初に俺が言ったように、今の時代、この子の年齢では働くことすら許されていないんだ。そんな子供の決断にいったいどんな意味がある」

「それは、この子自身に聞いてもらうしかないわね」

「いや」俺は、リュックサックを通して伝わるまひるの気配を感じながら言った。「今はいい」

「そう」BBの微笑が一割増加した。

 数秒間の沈黙ののち、BBが口を開いた。

「それで、どうする? まだいろいろと聞きたいことがあるんじゃない?」

「今日はもうやめておこう」俺は壁にかけられている時計を見た。もう十時近い。「夜も遅い」

「あの時計は合ってるけど」BBも壁の時計を見た。「この部屋自体は時間の流れの外にあるから、時間は進んでいないのよ。でも、今日はもうお開きにしたほうがいいわね」

「今後、君にコンタクトを取りたい場合はどうすればいい」

「ここに来てもらえれば、いつでも。私はここで住み込みのバイトをしてるから」

 バイトなんだ。しかも住み込み。

「ところで」俺はダメもとで言ってみた。「元の姿にもどるのは、やっぱり十二時間後なのか」

「そういうシステムなの、残念ながら。でもそうね、システムエンジニア二名が徹夜すれば、早朝にはなんとか」

「そういうブラックな冗談はやめてくれ」

「ふふふ」BBが笑った。「帰りは、マダムに言えば手配してくれるわ」

「マダム?」

「受付に座ってたでしょ。ちなみに、彼女はひーさん――この子のおばあちゃんで、元魔法少女よ」

 まじか。

 俺は顔を上げて、まひるを見た。

「大丈夫か。俺ばっかり喋っちゃったけど」

 まひるは大丈夫だというように、ゆっくりと首を振って、立ち上がった。

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