006 山田さんの変態

 俺たちは応接室を出て、雀荘に引き返した。

 まひるが受付の机に近づいていくと、今回はそこに座っている人物――BBがマダムと呼んでいたまひるの祖母――がスポーツ新聞から顔を上げた。

「話は聞いてる。ちょっと待ってな」

 マダムはスマートフォンを取り出すと、電話をかけ始めた。

「ケイちゃん、今大丈夫? そう。まひる。ありがと」

 と、それだけ言って通話を切ったマダムに、客が声をかけた。

「マダムー、今日、BBはどうしたの」

「いるよ」再びスポーツ新聞を広げながらマダムが答える。

 ほんとにここで働いてるんだ。っていうか、BBって呼ばれてるし。

「えー。なんだぁー」

「今日はメンバー足りてるし、常連ばっかじゃないか」マダムは電子タバコのスイッチをカチリと入れた。「いなくても平気だろ」

「そうだけどさー。お土産持ってきたのになー」

「あとで渡しておいてやるよ。あんたたち」マダムがまひると俺の方をちらっと見た。「迎えがすぐ来るから、下に降りてな」

 まひるは無言でうなずき、雀荘を出ると、エレベーターで下に降りた。

 俺たちがビルの入り口に出たとき、ちょうど目の前にタクシーが停車した。

 タクシーのドアが開き、まひるは後部座席に乗り込んだ。あいかわらず、俺が頭を出しているリュックを抱きかかえている。

「お疲れ、まひるちゃん」

 こちらを振り返ったのは、六十代と思しき女性ドライバーだった。

「こんばんは、ケイさん」まひるがぺこりとおじぎをして、俺の顔を覗き込んだ。「ええっと、山田さん、おうちってどのあたりですか」

 え。

 俺は答えていいのかどうか戸惑った。

「あ。ケイさんなら大丈夫です」

 ケイさんは、にこにこと微笑みながらうなずいている。BBとは違って、自然で、しごく真っ当な笑顔だった。

「わ、わかった」俺は言葉を発した。「山下町五丁目なんですけど」

「あら。近所じゃない」ケイさんはパチンと手を合わせた。「ここから三十分もかからないわ」

「あの、あなたも、その」俺はケイさんに尋ねた。「魔法少女、だったんですか」

「違う、違う」ケイさんは、けたけたと笑いながら手を振った。「まあ、なんていうか、たまたまそのあたりのことを知っちゃってね。マダムとは昔馴染みだったもんだから」

「そうなんですか」

「ええ。でも、あれね」ケイさんがまひるに言った。「珍しいわね。ひーちゃんが平常時に、ワンコちゃんと一緒にいるなんて」

「山田さんは、私と直接契約したんです」と、まひる。

「へえー。それは確かに珍しいケースね。なるほど、それでこの人のおうちまで行くわけか。そっかそっか。じゃあ、あれね、ひみかちゃんパターンね。ふうん。そっかー」

 ケイさんは一人でうなずきながら、車をスタートさせた。

「安藤さん」俺はまひるを見上げた。「これって、珍しいことなのか」

「はい」まひるは答えた。「通常、ワンコちゃんたちはBBさんがスカウトしてくるんです。あの、ワンコちゃんの役割って、わかりますか?」

「ああ、まあだいたいは」俺は電車の中で、例のヘルプ機能を使って、おおよそのことは把握できていた。「一番大事な役割は、俺を通して君に魔力を供給すること。魔法少女は直接魔力を得ることができない。魔力の源は、この世界に存在しているありとあらゆる生命体が生命活動時に発生させている波動だ。俺はそれを収集して君に送っている。あとは、戦闘時のあらゆるサポート。そんなところかな」

「はい。その通りです」まひるは満足そうにうなずいた。「ただ、通常、ワンコちゃんたちはスカウトされてきて、戦闘時だけ、その人の意識がワンコちゃんの体の中にインストールされるんです。イメージとしては、遠隔でワンコちゃんを操作している、みたいなかたちですね」

 俺は想像を巡らせた。

「つまりあれかな、『SAO』みたいな、フルダイブ型MMORPGで、犬のキャラクターとしてプレイするみたいなもんかな」

 まひるは意外そうな表情を浮かべた。

「え、はい。まさにそんな感じなんですけど、山田さん、よく知ってますね」

「うん、まあね。ところで、さっきのなんとかちゃんパターンっていうのは?」

「ええと、それは……」まひるは言い淀んだ。「特に大事な話でもないので、気にしなくても大丈夫です」

 そのまひるの言葉とは裏腹に、ケイさんは運転しながら「そっかー。そっかー。んふふふふー」と、楽しそうに独り言っをつぶやいている。まひるが話したくないのならそれでいいか、そのままで。

 それにしても、ケイさんはいろいろと事情を知ってそうなので、BBとはまた違った意味で重要な存在になりそうだ。できれば連絡先を知りたいくらいだ。あとでLINEを――と思っていたら大事なことに気がついた。

「安藤さん!」

「は、はい」

「俺、スマホとか財布、スーツのポケットに入れてたんだけど、それってどうなってるの」

 ああ、それならと、まひるはうなずいた。

「山田さんの変態」

 いや、そこで区切るな。

「解除されたら、着ている服も自然に戻ってくると思います」

 君も変態解除って言うんだね。まあでもよかっ――。

「安藤さん!」

「は、はい」

「どうしよう、俺、家の鍵、ポケットに」

「えっ。あの、スペアキーとかは……」

「あー。そういえば、家の前の植木鉢の下に、スペア置いてた。すっかり忘れてた」

「よかった」

 思い出してよかった。でもなんか、まだ忘れてることが――。

「安藤さん!」

「は、はい」

「鞄。俺、通勤鞄持ってたんだけど」

「え。そうでしたっけ」

「たぶん、あの黒い帯みたいなやつが襲ってきたときに、道路にほっぽり投げたままだ」

「ケイさん」まひるが体を乗り出した。「ちょっと寄ってほしい所が――」

 例の公園の前の道路に、俺の通勤鞄は無事、転がっていた。俺たちは鞄を回収して、俺の住んでいるマンションに向かった。

 結局、雀荘を出てから二十分くらいで、俺たちはマンションに到着した。

「すぐ戻ってきます」と、ケイさんに告げてから、まひるは俺の入ったリュックを抱えて車を降りた。

 マンションが古くて助かった。オートロックだったら、面倒なことになっていた。まひるはエントランスを抜けて、俺が教えたドアの脇に置かれている植木鉢の下から鍵を取り出し、ドアを開けた。

 まひるが灯りをつけて、俺の通勤鞄とリュックを床に置いた。俺はリュックから抜け出して、とことこと歩いた。

 振り返ると、まひるが立っている。

「そっか。お茶でもと思ったけど、無理だな」

 まひるはこくりとうなずいた。

「明日、また来ます。玄関の鍵は開けておいてください」

「わかった。確か、空中には浮かべなくなるんだよな」

 俺はヘルプ機能から得ていた情報を確認した。

「はい。お互いが近くにいないと、魔力を行使できません」

「じゃあ、申し訳ないけど、また明日」

 また、まひるはこくりとうなずく。

「山田さんの変態」

 いや、だからそこで区切るな。

「ええと、たしか八時半くらいからのはずでしたから、明日の朝、また来ます」

 ぺこり、とおじぎをして、まひるは出て行った。

 俺はとことことリビングへ向かった。

 ぴょこん、とソファに飛び乗り、くるん、と体を丸めて横たわる。

 疲れた。

 まひると遭遇してから、まだ三時間くらいしか経っていないのが信じられない。

 こんなにも濃い時間を過ごしたのは久しぶりだ。

 しかしあれだな。これがもしラノベとかだったら、ぜんぜん話進まねーじゃんって読者にディスられるんだろうな。ふふふ。リテラシーの低い愚か者どもめ。こういう細かな描写が、あとあと効いてくんだよ。でもまあ結局のところ、まずは読まれなければ意味がないんだけどな。と、どうでもいいことを考えていると、俺はいつの間にか眠りに落ちていった。

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