050 その人は?

 俺たちを阻んでいた巨大な壁も消滅した。

 しかし。

「BB!」と、俺。「どうすればいい!」

「かなりまずい状態よ」と、BB。「とんでもない力だわ。クシー一体で、東南アジア全域の人間を――何億人という人間を、自死に追いやる力を持ってる」

「結界は」と、明日香。

「それが、クシーのメリスマ発動後、結界が作動しなくなってる」

「どうすんねん」と、あかね。

「私、クシーには攻撃できません!」と、まひるが言った。

「ごめん、ひーさん」と、BB。「誰かが止めなければならないの。今、ほかの国に援助の要請を出した」

「そんな……」まひるが言葉を失くす。

「出したんだけどね、同時多発的に、クルーナーが発生している。今すぐそちらに向かえる魔法少女はいない」

「だったら」と、俺。「俺たちで止めるしかない」

「山田さん」まひるが、俺を見る。

「とにかく、クシーを取り戻すしかない」

「はい!」

「ちょっと、あれ!」

 くろちゃんの声に、みんながクルーナー=クシーを見る。

 クルーナー=クシーの体に異変が起きていた。

 体中から、細い円錐形をした黒い棘のようなものが次々と突き出ていく。

「ぐぐぐぐぐ」という、クシーのうめき声が聞こえる。

「な、なんやあれ」

 と、あかねが言ったとたん、クルーナー=クシーは、急上昇を始めた。

 俺たちもクルーナー=クシーを追って上昇する。

 クルーナー=クシーはぐんぐんと上昇していき、とうとう、地球の輪郭が見渡せるほどの高高度まで到達した。ひみかの話では、大気圏内なら大丈夫だという話だったが。

「BB、高度って、どこまで大丈夫なんだ」

「大気圏内なら問題ないわ」BB。「危なくなったら、強制的に降下するようになっているから」

「分かった。ヤバそうだったら言ってくれ」

「了解」

 そうこうしているうちに、クルーナー=クシーの上昇は止まった。

 視界の表示では、高度三万メートル。

「BB、これって、どのあたりなの?」と、明日香。

「まだ成層圏ね」

 俺は、その光景に、一瞬心を奪われた。

 地球というのはこれほどまでに美しいのか。

 でも、見とれている場合ではない。

 クシーの体の棘はさっきよりも多くなって、ほとんど体中を埋め尽くしている。

「クシー! 返事をして!」まひるが叫ぶ。

「無駄よ」クシーの声が届いた。

「クシー」俺は言った。「戻れ。このままだと、たくさんの人が死ぬ」

「もう、どうすることもできないの」と、クシー。

「そんなことはない」俺は言った。

「山田さん」クシーが言った。「山田さんなら分かるはず。思い出して。あのとき、私たち――あの、クルーナーに取り込まれたときのこと」

 突然、俺の前足と後ろ足が痛み出し、人間の手足に戻った。

 そして、俺の手足からも、クルーナー=クシーと同様の黒い棘が無数に突き出した。

 激しい痛みに、俺はうめいた。

「山田さん!」

「おっさん!」

 まひるたちが、声を上げる。

「あなたがあのとき感じた気持ち」クシーは言った。「あの気持ちは決して間違いじゃない。あのときの続きを、私がやります」

 クルーナー=クシーの体は、今や完全に黒い棘に覆われ、ほとんど肉体の部分が見えない。その棘の根元から、真っ赤な血が流れ出してきた。棘の先から流れ出した血がしたたり落ちる。その下に、まるで透明な漏斗があるかのように、血がひとつにまとまり、大きな赤い球体になった。

「だめ!」BBの声が響く。「防いで!」

 俺たちが行動を起こすよりも速く、球体は高速で落下、一瞬で見えなくなった。

 あれが地上に落ちたら、何億人という人が命を落とす。

 無駄だとわかっていても、俺たちは球体を追って降下しようとした。

 そのとき。

 はるか下方で、とてつもなく大きな物体が出現した。

 それは、花だった。

 薄桃色の花びらのついた大きな花が、中国大陸を中心に、東南アジア全域を覆いつくしている。一瞬、花びらが赤く光り、再び元の色に戻った。

 どうやら、あの花が受け止めてくれたおかげで、赤い球体の落下を防いだみたいだ。

「BB、あれは」と、俺。

「盾よ」と、BB。「とりあえず、第一波は防いだわ」

「あ、あの、山田さん」と、まひるが俺を指さす。「その人は?」

 俺の背後を見ているまひるの視線を追って、俺は振り返った。

 そこには、十歳くらいの少女が、白い犬を伴って浮かんでいた。

 日本人に見えるその少女は、簡素な白い服を着て、杖のようなものを持っている。

 誰?

「ええと、君は?」とりあえず、俺は尋ねた。

 少女が言った。

「ヤァイマツィタティ」

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