008 誰かの趣味なんじゃないですか

「ちょっと待って」

 俺はまひるの声に答えると、時計を見た。六時五十分。今から変態しても、明日の朝解除すれば会社には何とか間に合うか。念のため、俺は鞄から社用スマートフォンを取り出して、明日は時差出勤にする旨部長にショートメールを送り、勤怠管理システムで時差出勤の申請をしておいた。

「ごめん、お待たせ」

 と言った次の瞬間、視界が真っ暗になり、その数秒後、俺は見知らぬ場所に立っていた。

 隣にはまひるが立っている。トレーナーにジーンズの私服姿だ。

「ここは」俺はあたりを見渡した。「学校?」

 俺たちは学校の校庭に立っていた。街灯の明かりがくすんだ灰色の校舎を照らしている。周りは森と畑で、あまり人がいるエリアのようには見えない。

「はい」まひるがうなずく。「数年前に廃校になった小学校です」

「ここって、どのあたりなんだ」

「山田さんの家から、直線距離で十五キロメートルくらいです」

 思ったよりも近かった。こんなところがあったんだ。

「それで、敵は」

 まひるが頭上を見上げ、俺もそれに倣った。

「うわ」俺は思わず声を上げた。

 俺たちの真上に、それは浮かんでいた。

 球形の物体。その本体から、先端が丸くなった触手のようなものが四方に伸びたり縮んだりしている。距離があるから分かりにくいけど、たぶん直径三メートル程度だろう。前回のビデオテープの怪物よりはかなり小さい。

「あれは、どういう状態なんだ」

「今はまだ初期段階だと思います」見上げながら、まひるは言った。「人のいないところで発生して、成長しながら、街に近づいていきます」

「あれ、何て呼んでるんだ」

「クルーナーです」

「クルーナー、か。それで、奴らの目的は何なんだ」

「クルーナーは、人々の負の感情を少しずつ吸収することで、成長していきます。そして、一定以上の負の感情がたまった段階で、それを放出するんです。わたしたちは、黒い歌って呼んでます。ほんとに、歌みたいなのが聴こえるそうです。黒い歌の影響を受けた人間は、理性を失ったり、自ら命を絶ったり、極端な破壊行動を取ったりするんです」

 なるほど、それでクルーナー――ささやくように歌う者、か。

「そうなる前に消滅させる、というわけか」

「はい。今ならまだそれほど力は強くありませんから」

「ところで、あれ、普通の人にも見えてるの?」

「いいえ。結界を張ったので、私たちにしか見えてません。あと、戦闘モードの私たちの姿も、結界の外からは見えてないです」

 そりゃそうだろうな。こんなのが出てきたらパニックになる。

「こいつら、どれくらいの頻度で出現するんだ」

「まちまちです。今回みたいに連続で出てくることもあるし、まったく出てこないときもあります。分からないですけど、平均したら、月に一、二回くらいかも。あれ」まひるがつぶやくように言った。「おかしいです。成長が速い」

 言われてみると、確かにさっきよりも大きくなっている気がする。

「まさか」まひるが俺の手をつかんだ。「戦闘モードに移行します」

「え。わ、わかった」

 また光の奔流が発生し、それが収まると、俺は犬になっていた。

 まひるはこの前と同じ、制服姿になっている。

「あのさ」俺はふわふわと空中を漂いながら、まひるに尋ねた。「それ、制服になる意味あるの?」

「分かりません。誰かの趣味なんじゃないですか」

 いや、趣味って。っていうか、誰かって誰。

「まあいいや。とっとと片付けてしまおう」

「はい」

 俺たちはひとまず上昇して、クルーナーと空中で距離を取った。よく見ると、球体をしている本体は、弾力のあるゴムまりのようだった。

「また成長してる」まひるが言った。「山田さん、敵の内部って確認できます?」

「やってみる」

 俺は視界から、それらしき表示を探す。『機能一覧』のなかに、『透視』というのがあったので、試してみた。画像をまひると共有する。

「そんな」

 まひるのその声に、俺は画面を凝視する。

「あれは」ゴムまりの内部に影のようなものがある。「人か?」

「そうです。クルーナーは人を取り込むことがあるんです」

「えー。まじか。どうするんだ」

「助けます」

 光とともに、まひるの手にラクロスのスティックが出現する。

「おい、ちょっと待――」

 ひゅん。

 一瞬で間合いを詰めたまひるは、至近距離から光弾を三発、ゴムまりの外縁部に打ち込んだ。中の人間に当たらないようにしたんだろう。

 案の定、すぐさま触手が襲い掛かってくる。数本の触手がゴムのように伸び、まひるを追う。まひるは高速で上空に離脱、触手たちは追うのをやめて、うねうねと本体近くでうごめいている。

 まひるが撃った場所は、すぐさま修復されている。俺はそれを確認しつつ上昇し、上空のまひるの側に並んだ。

「ちょっと待て。まず考えてから動かないと」どうやらまひるは、戦闘では猪突猛進タイプらしい。「伊之助か、お前は」

「山田さんって」まひるがジト目で見てくる。「たまに失礼なこと言いますよね」

 いや、その言葉、そっくり君に返すから。っていうか、君、俺が人間の姿の時と態度がぜんぜん違うな。まあ、別にいいんだけど。

「いいか」俺は言った。「こちらは二人なんだ。事前にちゃんと打ち合わせて動かないと、お互いの力が発揮できないだけじゃなく、足を引っ張り合うことになってしまうぞ」

「わ、分かりました」まひるは不承不承といった感じでうなずいた。「それで、どうするんですか」

「人が中にいる以上、下手な真似はできない。さっき君がやったみたいに、周囲を削っていくしかないだろう。だから、狙いはよかったと思う。あとはあの、海賊王に俺はなる的なゴムゴムを俺が引きつけるから、そのあいだに人質を救出してくれ」

「了解です」

「よし。いくぞ」

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