029 そうやって私たちは魔法少女になったの

 雑居ビル前の路上で、ひみかは俺に自分の手のひらを差し出した。

「手、出して」

 俺がひみかの手のひらの上に、自分の右手を乗せると、ひみかはぺろりと、俺の手の甲を舐めた。

「うーん」ひみかは眉間にしわを寄せた。「山田さん、このあと時間ある?」

「特に用事はないけど」

「じゃあ、ちょっと付き合って」

 後部座席に俺を乗せたひみかのバイクが向かったのは、以前、俺とまひるを連れて行った料理店だった。前回と同じ席に着くと、「念のため、山田さん、お酒は飲むわよね」とひみかが言った。

「まあ、普通に。でも、今あんまり食欲が……」

「分かってる。でも、食べたほうがいい。任せてもらってもいいかな」

 パーテーションからひみかが身を乗り出すと、店員がやってきた。ひみかは海外の銘柄のビールと、メニューも見ずに料理を次々と頼んだ。

 すぐに金属製のタンブラーに入ったビールが来て、俺の前に置かれた。ひみかはバイクなので、グレープフルーツジュースを頼んでいた。

 こつん、と控えめな乾杯をして、液体を口に含むと、フルーティな香りが広がった。ビールとは思えない爽やかさだった。おいしい。今の俺は、この味を求めていたんだ。ちょっと大げさに言うと、そんな感じだった。思わずひみかを見ると、さも当然といった顔で、グレープフルーツジュースの入ったグラスを傾けている。

「そうか」俺は言った。「君は俺の味覚や好みも把握しているんだな」

「まあね」ひみかはグレープフルーツジュースを一口飲んで、グラスを置いた。「山田さん、何か気になることがあったら、すぐご飯抜いちゃうでしょ」

 当たってる。確かに、俺は気がかりなことがあったり、考え事をしていると、つい食事を抜いてしまうのだ。

「気持ちは分かるけど、それやると、脳のカロリー消費量が足りなくなって、思考がますますマイナスのスパイラルに落ち込んでいってしまうわよ」

 ふむ。それはそうかもしれない。

 最初の料理が出てきた。魚介類のカルパッチョだった。これもハーブの味が爽やかで、鼻の奥がすーっとする気持ちよさだった。魚も新鮮でぷりぷりしている。そのあと出てきた料理もおいしくて、俺たちはしばらく無言で食事を続けた。

「ここの料理、すごくおいしいな」

「そりゃそうよ」ひみかは笑った。「だって、ここのメニュー、ぜんぶ私が考えたんだから」

 そうだった。前にもらった名刺に、料理研究家と書いてあった。あと、料理教室を開いているとも。

「失礼しました」と言う俺に、「いえいえ、お気に召してもらえてなにより」と、ひみかはぺこりと頭を下げた。

「さっきの話なんだけど」

 と、俺が切り出すと、ひみかはうなずいた。

「ええ。山田さんがひっかかるのは分かる。でも、誰かがやらなければならないことに変わりはないと、私は思う」

「冷静だな」

「どうかな」ひみかは肩をすくめた。「かつて当事者だったから。ただ単にそれだけのことなのかも。分からないけど」

「俺も通常の魔法少女と同じように接しようと思ってはいる。問題は、まひるたちにどこまで伝えるかだと思う」

「そうね。あの子たちはどういう反応を示すのか、まったく予想がつかないわ」

 ひみかがそうなのだから、俺はなおさらだ。

「とりあえず、様子を見るか」

「そうするしかないでしょうね」ひみかが頬杖をつく。「私たちでさえ、うまく消化できてないのだから」

 これから先も、はたしてうまく消化できるかどうか、はなはだ自信はないが。

「ところで、せっかく元魔法少女が目の前にいるから、聞いておきたいんだが」

「あら。別に私はいつでも大歓迎なんだけど。いいわよ。なんでも聞いて」

「魔法少女にはどうやってなるんだ?」

「え。知らないの?」

「ああ。なんか、聞きそびれてしまって。それにまひるとは、犬じゃない普通の姿のときは距離があって」

「あー」ひみかは憐みの表情を浮かべて俺を見た。「でしょうねー」

 俺は肩を落とした。「俺ってそんなにとっつきにくいのか」

「いやいや」ひみかは顔の前で手を振った。「山田さんがどうこうじゃなくて、まひるちゃんの性格でしょ。たぶん、そのうちうまくいくわよ」

「ならいいんだけど」

「ええと、ごめん。魔法少女にどうやってなるのか、ね。魔法少女は、選ばれるの」

「誰に?」

「分からない。ある日、突然、分かるの。私のときはそうだった。たぶんみんな同じだと思う。ああ、自分は選ばれたんだって」

「それで?」

「気がつくと、BBがいた。あの、『柳安荘』の応接室じゃなくて、何もない空間だった。そこで、BBから魔法少女のことを聞いた。それがどういう存在で、何と戦って、どういう危険があるのか。それを教えてもらったうえで、魔法少女になるかどうかを選択することになる」

 それはBBから聞いていたことと、同じだった。

「そのとき、君はいくつだったの」

「十二歳。小学校を卒業してすぐだった」

「最悪、死ぬかもしれないのに、魔法少女になることを選んだのはどうしてなんだ」

 俺はストレートに、ひみかに尋ねた。

 ひみかはふっと、かすかに笑って顔を伏せた。

「分からない。それ、自分でもたまに思うのよ。大人になってから、特に。どうしてあのとき、私はあの選択をしたんだろうって。あのとき、私はほとんどためらうことなく、魔法少女になることを選んだの」

「それは、誰かがやらなければならないことだから?」

「うーん」ひみかは額を手のひらで軽く押さえた。「そういう、使命感に燃えて、みたいな感じでもなかった。さっき私も、誰かがやらなければならないことに変わりはないって言ったけど、自分自身はそれほど意識したことはなかったのよ。だって、世界中に魔法少女はたくさんいるんだから。私がならなくても、状況は大きく変わらないわ」

 ひみかはグレープフルーツジュースを飲み干した。

「魔法少女って、何なんだろうな」俺はつぶやいた。

 こくり、とひみかはうなずいた。「何なんだろうね」

「もしも、自分がそういう状況になったら、正直言って俺は君と同じ決断ができるとは思えないよ」

「それはどうかしら」ひみかは、じっと俺を見た。「いえ。まあいいわ。ともかく、そうやって私たちは魔法少女になったの」

 それから俺たちは今後のことについて話しながら食事を終えて、店を出た。ひみかは、俺をマンションの前で降ろすと、重低音を響かせながら走り去っていった。

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