037 きっと故郷へと導いてくれるでしょう

「ゴスペル?」と、みんなが同時に言った。

「ゴスペルって何ですか?」まひるが俺に尋ねた。

「いや、俺もよく知らない。そういう音楽のジャンルがあることは知ってるけど、実際に聴いたことは――」

 突然、クシーが歌い始めた。

 それは、俺がこれまで聴いたことのない音楽だった。

 まずとにかく、クシーの声の圧がすごかった。テーブルの上の食器がびりびりと震えた。

 それにこのリズム。これ、本当に教会で歌う歌なのか。なんか、体が自然に動いていくような、むっちゃいいノリなんだけど。英語の歌詞は、確かに、神様を讃える内容のようだけど、俺たちがイメージする宗教的な音楽とは違っている。

 曲はどんどん速度を増していく。見ると、あかねと明日香は体を揺らして聴いている。まひるは、ぽかんと口を開けている。これ、教会の音楽っていうよりも、なんかもうR&Bみたいだ。でも、歌詞はハレルヤとジーザス。クシーはものすごいシャウトを連続し、たこ焼きの皿がずずずと動く。歌は速度を落とし、やがて曲は収束していった。

 曲調が変わって、今度はゆっくりとクシーは歌い始めた。

「あ、この曲」

「うん、知ってる」

 と、明日香とあかね。

 俺も知ってる。『アメイジング・グレイス』という有名な曲だ。そういえば、魔法少女のシステムに翻訳機能があったな。俺は省エネモードの視界に、クシーの歌の日本語訳を表示させた。

『何という神様からの恵みだろう。

 なんて甘い響きだろう。

 私みたいな哀れな者を救ってくれた。

 私はかつて道に迷っていた。

 でも、今は見つかった。

 前は盲目だったけど、今は見えている。

 これまでたくさんの危険と、

 苦しみと誘惑を乗り越えて、

 私はここまでたどり着いた。

 神様の恵みが、

 私をここまで無事に導いてくれた。

 だからその恵みが、

 きっと故郷へと導いてくれるでしょう』

 気がつくと、いつの間にか、歌は終わっていた。

 クシーのその歌は、俺の心を完全にこことは違う、別の世界に持っていった。その歌声は、熱唱とはまた違って、感情や情緒がことさら込められたものではなかった。にも関わらず、その歌に心が揺さぶられた。まるで、クシーの体そのものが、ひとつの楽器になっているみたな感じだった。

 三人とも、茫然とした表情でクシーを見つめている。

 はっと、あかねが我に返った。

「すごい」

「びっくりした」明日香が言った。「ほんと、すごかった」

「クシー」まひるが右手をクシーの方に伸ばした。

 クシーも右手を伸ばし、二人は手を重ねた。俺とまひるが契約したときと同じように。

「ありがとう」と、まひるは言った。

 クシーはうなずいた。「ハレルヤ」

 そして、それからも俺たちはたこ焼きを食べ、さすがに俺がクシーの家に泊まるわけにはいかないので、いったん自分の家に戻ることにした。省エネモード中だけど、俺の家の中まで瞬間移動することはBBに了承済みだ。さすがに犬の姿では、単独での移動は無理だ。

「あれ」俺は三人に言った。「そういえば、最初みんなどうやってここに来たの?」

「平常時でもクシーの家に集まれるよう、BBにお願いしたんや」と、あかね。

 なるほど。「それはよかった」

「だから、山田さんも、来ていいよね?」明日香がクシーをみる。

「問題ない」とクシー。

 三人は、今日はクシーの家にお泊りということで、俺はいったん家に戻り、翌朝またここまで来ることになった。

「クシー」俺は言った。「歌、ありがとう」

 クシーはうなずいた。「どういたしまして」

「でも」あかねがクシーに言った。「あんな大きい声出して、大丈夫なん?」

「ここ、防音設備が整ってる。BBに手配してもらった。大丈夫」

 あかねがうなずく。「なるほど」

「じゃあ、また明日」と俺は四人に言った。

「はい」まひるが俺の頭に手を置いた。「おやすみなさい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る