020 調理器具全般よ

「魔法少女を支援するというのは理解できる」俺は言った。「俺もそれはずっと気になっていることだ。でも、元魔法少女を支援するというのはどういうことなんだ。魔法少女でなくなっても、危険やリスクがあるということなのか」

「あるわ。例えば」ひみかが人差し指を立てた。「記憶障害」

「記憶障害?」俺は首を傾げた。「魔法少女じゃなくなっても、記憶は残ってるんじゃないのか」

「山田さん、アバターは使ってる?」

「いや、準備は終わってるみたいだけど、まだ実際には使ってない」

「そっか。じゃあまだ分からないわね。アバターの役割は知ってる?」

「ああ。俺たちが戦っているあいだ、俺たちの代わりに生活してくれる。特に魔法少女たちは中学生だからな、突然長時間いなくなってしまったら、家族が心配するだろう」

「その通り。でも、何か疑問に思わない?」

 俺はさっきひみかが言った記憶障害という言葉を思い出した。

「待てよ。アバターが経験した出来事の記憶はどうなるんだ」魔法少女が留守のあいだにアバターが家族と交わした会話や、起こった出来事を知っておかないと、のちのち面倒なことになりそうだ。「彼女たちに引き継がないと、まずいんじゃないのか」

「まずいわね。だから、アバターの記憶を、そっくりそのまま受け取れるようになっているの。自分がいないときに起こった出来事はそれで把握できる。問題は、そうなると記憶が二種類できてしまう、ということ。同じ時間の記憶が二つある、それは普通の状態じゃないわよね。人間の感覚はいい加減にできていて、記憶もどんどん忘れていっちゃうから、当面は大きな問題にはならない。でも、何年かすると、記憶が混乱していくの。大事なことが思い出せなくなったり、本当は起きなかった出来事を起こったと記憶していたり」

「BBはそのことを」

「もちろん知ってる。でも、今のところ有効な解決策は見いだせていない。それから、やっぱり戦闘の記憶」ひみかは指を二本立てた。「誰もがたいてい一度は、かなりハードな戦闘を体験するわ。ここ数年死者は出ていないとはいえ、体の破損はしょっちゅう起きる。すぐに復元するけどね。でもそれは普通、人間が経験することじゃない」

「それこそ、そういった記憶をなんとかできないのか」

「魔法少女の記憶は消すことができない。そういえば、普通のワンコちゃんたちの記憶は、契約終了後に消えてしまうって、知ってるかしら」

「いや、知らなかった。そうなのか」

「あなたのように、魔法少女と直接契約したワンコちゃんは別だけど。ワンコちゃんたちは、それを承知の上で、ワンコちゃんになっている。そして、いつかその記憶は消えてしまう。でも、魔法少女は自分が魔法少女だった記憶を消せない」

「ひとつ聞いていいか」

「どうぞ」

「魔法少女が魔法少女でなくなったあと、戦闘へ、何かと戦う場所へ、戻っていきたいという欲求や、強迫観念のようなものは起きないのか。戦いのない日常を物足りなく感じたり、つまらなく感じたりすることは?」

 ひみかはちょっと考えてから言った。「いいえ。そういうケースは、私は聞いたことがないわ」

 ということは、魔法少女たちは、シン・カザマやミッキー・サイモンのようにはならないということだな。それを聞いて少し安心した。

「でも、魔法少女になったことを後悔するケースも、途中で辞めてしまうケースも、私は聞いたことがないけど」

 俺はうなずいた。まだほんの少ししか彼女たちと戦っていないが、それはなんとなく分かる気がする。

「あとは」ひみかは三本目の指を立てた。「これは誰しもがそうだというわけではないんだけど、魔法少女じゃなくなってからも、ある種の能力が残ってしまうことがある」

「それは、魔法のようなものか」

「そこまで強い力じゃない。なんていうか、ちょっとした特技だったり、人よりも鋭い感覚だったり、そういうものが残ってしまう人がいるの」

「あまりマイナスな感じには聞こえないけど」

「ケースバイケースね。あまりにも鋭すぎる感覚は、日常生活に支障をきたすことがあるわ」

「確かに」

「ほかにも細かなことはいろいろとあるけど、大きく言うとこんな感じかな」

「問題があることは理解した。それで、俺に何をしてほしいんだ」

「それはまだわからない」ひみかはテーブルに両肘をついて、顔の前で手を合わせた。「実はね、この活動も始まったばかりなの。元魔法少女で構成されているから、当然女性しかいない。つまり、数少ない男性の関係者であるあなたの存在は貴重なの。それでまずは、あなたがどういう人か確かめておきたかった、というわけ。おかげさまで、目的は達成できたわ」

 俺は肩をすくめた。犬なのでよく分からないだろうけど。「俺がどういう人間なのかは、まだ分からないだろう」

「分かるわ」ひみかは、ぺろりと舌を出した。「さっき、ある種の能力が残ってしまう魔法少女がいるって言ったでしょ。私もそうなの」

「能力……」

「私は人を舐めることで、その人のことが分かるの。その人のありよう、人となり、性格、感情や健康状態、その他もろもろ」

 そういうことか。

「その能力は君の戦闘時の能力と関係があるのか」

「いいえ。戦闘能力とは直接関係はないわ。いえ、まあ、なくはない、って感じかな」

「ちなみに、君の武器は何だったんだ」

「調理器具全般よ」

「それはなかなか魔法少女っぽいな」

「ありがとう」ひみかは体を乗り出して、俺に顔を近づけた。「またお話していいかしら。今度は、ワンコちゃんじゃなくて、人間の姿のときに」

「ああ、別に――」

 と言いかけた俺の体を遮るように、まひるが身を乗り出した。

「ふふふ」ひみかはほほ笑みながら、立ち上がった。「大変な戦闘のあとに引き留めてごめんなさい。また連絡します。あと、これ」

 ひみかは胸元から名刺を取り出して、まひるに渡した。

 俺はまひるの手元を覗き込む。名刺にはこう書かれていた。

『料理研究家 北大路ひみか』

「料理教室もやっているの。結構評判良いのよ。男性も大歓迎だから、よかったら遊びに来て」

 そう言って、ひみかはウインクした。

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