017 ぐええええええ

『おい!』あかねが呼びかけてくる。『そっちのエネルギーが急速に増大しとるやんけ』

『これまで経験したことないパワーだわ』明日香が叫ぶ。『このままだと、結界がもたない!』

『何やってるんですか!』まひるの声が響く。『山田さん、返事してください!』

「申し訳ないけど、まひる」俺は答える。「こんなにも素晴らしい提案を、俺は蹴ることなんてできないよ」

 だってさ、俺たちを根こそぎ殺すことができるんだぜ。

 俺は腹の底からこみあげてくる高揚感と笑いを必死にこらえた。わくわくが止まらないとはまさにこのことだ。

「もう完全にコアと融合した」俺は必死に高揚感を押しとどめた。「今のうちに、コアごと破壊しろ」

『はあっ?』まひるが叫ぶ。『何勝手なこと言ってんですか。それ、わたしと同じじゃないですか。許しませんよ、そんなこと。絶対許しませんよ』

「君たちはせいぜい自分のしたことへの後悔があるくらいだろう。でも、俺は違う。こんな世界なんていっそ滅んでしまえと思ったことは一度や二度じゃない。こいつらみんな死んでしまえと思った。こんな奴ら生きてる価値ないだろと思った。自分も死んでいいから、もういっそみんな死んじゃえよと思った。そんなの、思ったことないだろ。だから俺がやるしかない。このコアと心中できるのはこの中では俺しかいない。まひる、俺ももう、後悔したくないんだよ」

 部下の木下が、俺のチームに配属されたのは、彼が一か月間休職したあとだった。彼は完治することは難しい病気にかかっていた。俺のところに配属されてからも、通常の業務を続けることが難しくなり、結果、再度の休職を余儀なくされた。仕事の意欲はあるし、勤務時間や勤務内容をうまく調整すれば、働けた。だが、会社が俺に求めたのは、辞めさせるよう持っていくことだった。

 よく気がつく彼は、俺が板挟みになることを恐れて、自ら辞職を切り出した。

「しょうがない、です、よね」と、彼は言った。

 最後にあいさつに来たとき、彼が言ったのは、「もっと課長と一緒に仕事したかったです」という言葉だった。

 俺は、あいつを守ってやることができなかった。

 誰もが、しょうがないと思いながら生きている。そういうことを無理やり納得し、無理やり飲み込みながら、人生を送っている。

 でも、本当にそうなのか。

 例えば、坂本さんに早期退職を執拗に勧めた経営層は、中管理職に病気の部下の退職を勧めさせた上層部は、「しょうがない」ことを無理やり飲み込んで、苦しみながら生きているのか。弱い立場の人間を踏みつけて生きている人間は。のうのうと生きている人間は。だから――。

『ばか!』突然、まひるの叫びが大音量で響いた。『山田さんの、ばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかーっ』

 お前……。もうちょっとボキャブラリー……。

『おい、ちょ、待てや! まひる! はやまんなって!』

『待って、まひるちゃん! 今出ちゃだめ!』

 あかねと明日香の声から察するに、まひるのやつ、また特攻をかけようとしたんだろう。本当に単純なやつだ。ばかはお前だ。

「あかね! 俺の正気が消滅してしまう前に、三人で――」

 俺の言葉は、少女の号泣にかき消された。

『あぁあぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああん』

 おい。

 ちょ、まじか。

『うぅぐぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、ううう、ぐぅっぅううううええええええええええええええ、あああああああああん』

 嗚咽でえずきながも、泣き声は止まなかった。

『いぐぇえええあだあああああああああああああ、いぐぇええええええああああああだあああああああああああああああああ、いぐぇあぶぐぇええええああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、ふぐぇええええあああああああああああああ』

 いや、なんて言ってるのか、ぜんっぜん分かんないし。

 こんなにも大きな泣き声を、俺は聞いたことがなかった。

 かえでは、第一子なのに夜泣きもせず、手間のかからない子だったしな。

 ほんと、ばかだな、お前は。

 俺はずっとうつむいていたことに、気がついた。

 顔を上げて、正面を向いた。

 さらに、顔を上げて、上を向いた。

 まひるは、まだ大声でわんわん泣いている。

 ほんっと、しょうがないやつだ。

 上を向くと、あのとき、まひるの涙を舐めたときのことがよみがえった。

 お前、俺また、どんだけ舐めとってやらなきゃならないんだよ。

 涙。

 ほんっと、しょうがないやつだよな。

 普通、そんだけ泣くか?

 中学二年にもなって。

 まあいいや。

 俺の口の中に、まひるの涙の味がよみがえってきた。

 舐めとってやるためには、俺また、犬にならなきゃだめじゃん。

 そう。

 犬。

 犬に。

 犬に、ならなきゃ。

 魔法少女の、犬に、ならなきゃ。

 ぐぐっと、俺は両手に力を込めた。

 両手が埋まっているコアの色が変化していく。

「あら」背後の女が言う。「やっぱりやめちゃうの? せっかくここまできたのに? もったいないわねぇ。ものすごーく楽しめるのに」

「それは分かってるんだけどな」俺は同意する。「分かってるから、また、今度にするわ。今はまだもう少しやらなきゃならないことがあるみたいなんでな」

「残念ね。そんなに大事なことなの?」

「いや別に、大事なことじゃない。どちらかっていうと、まあ、どっちでもいいことなんだよ。ただ、今回はこっちを選ぶっていうだけのはなし」

「そう」女がくすくす笑う。「あなた、やっぱり面白いわ。次回はぜひ、続きをしましょう」

「ああ、そうだな」

 そんなわけで、俺はならなきゃいけなくなった。

 そうだ。

 魔法少女の、犬に。

 さらに力を込める。

 まーだ、泣いてる。

 ああもう、ほんっと、うるさい。

 ちょっと待てって。

 よし。

 コアの色が青に変わった。

「明日香!」

 俺の叫びと同時に、バン! と視界が開けた。

 俺の周囲のゴムまりが消滅している。

 ひゅん、と、俺の脇を、明日香がすり抜けていく。

 まるで俺の体の中をすり抜けていくみたいだ。

 すげえな。奥義。

 カン!

 手に持っていた青いコアに、日本刀が刺さる。

 黒髪が、ふわりと広がった。

 眼前に、あかねがいる。

 黒髪の奥の目が、笑った。

「おっさん、よう耐えた!」

 コアが砕け散り、俺の体が犬の姿にもどる。

 あかねが離脱し、クルーナーが完全に消滅する。

 同時に、俺の体は、がしっと抱きかかえられ、上空へと運ばれていく。

 ぐえええ、ぐええええええと、まだ嗚咽が収まっていないまひるの胸の中に、俺は抱かれていた。

 涙と、鼻水と、よだれでぐちゃぐちゃになっているまひるの顔を見上げた。

 俺は、そのぐちゃちゃになったまひるの顔を、ぺろぺろと舐め続けた。

 魔法少女の、犬となって。

 まひるが、ふふふふ、と笑い始めるまで。

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