023 って言ったら、信じてくれます?
会社はやはりいつも通りで、俺はまたしても異世界に行って戻ってきたような感覚に陥る。自分の席に座り、PCを立ち上げる。いつもと変わらない日常がスタートする。
「おはようございます」と、向かいの席の水原さんが出社してきた。ヒールを脱いで、足元のスニーカーに履き替える。これもいつも通り。
「おはよう」と俺も返す。
俺は今朝、変態解除してすぐに水原さんにショートメールを送っていた。新宿で事件があったみたいだけど、という俺のメッセージに、大丈夫です、とだけ返事があった。
「昨日の事件」水原さんがPCを立ち上げながら、言った。「実は私、あの場所にいたんです」
「え」と、俺は一応驚いたふりをした。「大丈夫? 別に怪我人はなかったみたいだけど」
「それはぜんぜん、怪我とかは大丈夫なんですけど」
「けど?」
「あの……」水原さんは言い淀んだ。
それはそうだよな。空飛ぶ犬を見た、なんて普通は言えない――。
「犬が空飛んでました」
え。
俺は固まった。
「って言ったら、信じてくれます?」
「犬が空を」
「はい」
「飛んでた」
「はい」
水原さんは、じっと俺を見つめている。
これは何だ。何のテストだ。信じる、と言ってほしいのか。なぜ、それを俺に? 何か裏があるのか。まさか、俺だったことに気がついてるとか。いや、まさか――。
「なーんて」水原さんは真顔でそう言って、カタカタとログインパスワードを入力し始めた。「そんなことあるわけないじゃないですか」
「な、なんだ」俺は努めて平静を装いながら言った。「急に変なこと言うから、びっくりしたよ」
「でも、結局何だったんでしょうね、あれ。突然ビルの一部が崩れ落ちてくるなんて。直前に目撃されたUFOと関係あるんでしょうか」
「中野の飛行物体は一瞬で消えちゃったし、よく分からないよな」
「ですね。あんまりニュースでも取り上げられてないみたいだし」
どうやらBBはいろんなところに手をまわしたみたいで、大事に至らずに済んでいるようだった。
結局俺は水原さんの真意をつかめないまま、いつものように仕事に埋没していった。昼休みが終わってしばらくした頃、俺はトイレの個室に入った。
と。
ここまでがアバターの記憶だ。
それは、新しい記憶が流れ込んでくる、というよりも、忘れていたことを思い出す感覚に近かった。
「どうかしら」向かいのソファに座るBBが言った。「特に問題はなさそう?」
「そうだな。たぶん問題はないと思う」
俺たちは『柳安荘』のいつもの応接室にいた。昼から出社した俺は、アバターがトイレの個室に入ってしばらくしてから、オフィスに入っていった。その瞬間、アバターは消滅し、アバターの記憶は俺に移植された。
帰宅途中に俺は『柳安荘』に寄り、BBに報告することになっていた。
「記憶がすっぽりと抜け落ちていたり、何かを忘れているような感覚はない?」
「いや」俺は、昼間のことを思い出しながら言った。「大丈夫だ」
「何かあったらいつでも言ってちょうだい」
「ああ。思ったよりも違和感はないな。ただ、これが何度も続くと、どうなるか」
「記憶に障害が発生したという事例は確かにあるわ。といっても、アバターシステムが登場してから、まだ百年くらいしか経ってないから、きちんとした分析は行われていないんだけど」
「まだ百年、ね。ところで、次のクルーナーの出現時期は予測できないのか」
「これまで、そういう能力を持つ人間がいたこともあったけど、今は無理。誰にもわからないわ」
そして幸いなことに、新宿の襲撃以降クルーナーは出現せず、無事オフ会当日を迎えることとなったのだった。
場所は、俺とまひるが住んでいる町から少し離れた、隣の県にある遊園地に決まった。そこはペット同伴可だったため、せっかくなのでくろちゃんとしんちゃんも一緒に来てもらうことにした。
BBと相談し、省エネモードならということで、OKをもらった。なので、ワンコちゃんたちは通信ができず、人がいない場所で話すしかない。集合場所は、例によって『柳安荘』の応接室だ。ちなみに俺は人間の姿で参加だ。これで少しは、人間の姿のときの俺に、まひるが慣れてくれればいいのだが。
集合時間の三十分ほど前に、俺は『柳安荘』に到着した。BBと『ミノタウロスの皿』の素晴らしさについて語り合っていると、まひるがやってきた。
「おはようございます」と、まひるは俺たちにあいさつをして、俺が座っているソファの端にちょこんと腰かけた。
「おはよう」と言った俺の方は見ずに、まひるはぺこりと頭を下げた。あいかわらずのよそよそしさだな。
「おやよう、ひーさん」BBがあいかわらずの微笑みをたたえて言った。「今日、部活はお休み?」
まひるはこくりとうなずき、「はい。みんな、私の都合に合わせてもらっちゃって、申し訳なかったです」
BBとは普通に話すんだよな。
「いいんじゃない」BBはひらひらと手を振った。「あの二人、暇そうだし」
「誰が暇やって?」
と、いきなりBBの背後にあかねが現れた。
瞬間移動の一部始終をBBは把握しているはずなので、たぶんさっきの発言はわざとなのだろう。あかねのすぐあとに、しんちゃんも現れた。
「あら、失礼」BBは、振り向かずに肩をすくめる。
「なぁ、BB」あかねはBBの隣に、どかっと腰を下ろした。「瞬間移動の場所制限、めっちゃ不便やねんけど。何とかならへんの」
「そうそう」と言いながら、今度は明日香がくろちゃんを伴って現れた。あかねとは反対側のBBの隣に座る。「ここまでと、遊園地までと、ほとんど魔力消費量は変わらないのに」
「戦闘時以外の使用は基本的にだめ」BBは二人に向けて両手をかざす。「魔力消費の問題じゃなくて、私たちは、あなたたちの場所の把握を常に行わないといけないから。これはあなたたちを守るためでもあるのよ」
「なんか釈然とせんなー」と、あかね。
「まあ、いいんじゃない」くろちゃんがふわふわと空中を漂いながら言った。「遠足みたいでさ」
くろちゃん、なかなか大人な発言だ。
「や、山田さん」しんちゃんが俺に頭を下げた。「う、運転、ごご苦労さまっす!」
移動には、レンタカーを借りて、俺が運転することになっている。
「いやいや」俺は手を振る。「これくらい別に平気だから。ありがとう」
なんか、ワンコちゃんたちのほうがしっかりしてるな。
「ほんとに一人で大丈夫?」と、BB。
「ここから一時間ちょっとだし、問題ないよ」
BBは、マダムを通してケイさんにお願いしようか、と言ってくれたが、さすがにこれだけのために来てもらうのは申し訳ないので、それは断った。
「じゃあそろそろ行くとするか」と俺が声をかけると、みんな立ち上がった。
ちなみに、三人の魔法少女たちは当然のことながら私服姿で、みんなそれぞれそれなりにおしゃれをしてきているようだった。三人ともなかなかにかわいい格好なのだが、細かな外見の描写はしない。ふふふ。おあいにく様だったな、諸君。
では、と俺はBBに手を振る。
いってらっしゃい、とBBも手を振った。
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