043 まだ見てないよ

 俺とまひるは顔を見合わせて、ため息をついた。

「どうかしましたか」と、真顔のクシー。

「いや、なんでもない」と、俺。「せっかくだから、何か食べて帰ろうか」

「い、いいんですか」

「うん」

「クシーは、このあと用事ある?」

「いえ、ありません」

「よし、じゃあ、何がいいか、二人で決めてくれ」

「え、えと、えと」と、言うまひるをよそに、「たこ焼き」と、クシーは即答した。

「え」と、まひるは固まっている。

 よっぽど気に入ったみたいだな、たこ焼き。あかねが聞いたら、泣いて喜ぶぞ。

「でも、まひるが好きなもので」と、クシー。

 なんか、成長したんだな、クシー。いや、別にこれまでがダメだったわけではないんだけど。

「とりあえず、何があるか見てみよう」

 俺たちはレストランコーナーに向かって歩き出した。

「何か気になるものがあったら、遠慮なく言っていいからな」

 という俺の言葉を律義に守って、まひるは、あちこちのお店のウィンドウに張り付いてる。ふと、クシーを見ると、クシーも立ち止まって、何かをじっと見ていた。クシーが立っているのは、旅行鞄コーナーだった。彼女の視線の先には、スーツケースが置かれていた。どうやら、とあるスーツケースが気になっているみたいだ。それは、黄色いスーツケースで、クシーが持つとすごく似合いそうだった。俺が声をかけようとしたとき、まひるが俺を呼び止めた。

「だ、大丈夫です」

「お店、入らなくてもいいの」

「はい。た、堪能しましたから」

 いつの間にか、クシーも俺たちのそばに戻ってきている。

 さっきのスーツケースは覚えておいて、まひるに教えよう。

「じゃあ、行こうか」

 と歩きかけた俺たちだが、いきなりまひるがくるり、とこちらを向いた。

「ど、どうした」

 まひるは、口を手で覆って、切羽詰まった顔をしている。

 モールの通路の向こう側を見ると、まひると同い年くらいの女の子と、その両親らしき男女がいて、女の子がこちらを見ている。

 クシーがけげんな顔で、まひるを見た。

「まひる?」

 俺の問いに、まひるは、小さな声で答えた。

「瞳ちゃんです」

 まひるはゆっくりと振り返った。

 通路の向こうの女の子が、両親に何か話して、こちらに歩いてきた。

 すっ、とクシーが半分まひるの体を隠すように、動いた。

 女の子は、まひるの数歩手前で立ち止まった。

「まひるちゃん」と、女の子は言った。「久しぶり」

 女の子は無表情だった。

「ちょっと、ごめん」とまひるは俺とクシーに言って、女の子の方へ歩き出そうとした。

 クシーの長い手が伸びて、まひるの手首をつかんだ。

 まひるはクシーを振り返った。

「だいじょうぶ」と、まひるは言った。

 クシーが手を放すと、まひるは女の子と歩き出し、近くのソファに座った。

 まひるの方をじっと見ているクシーに、俺は、まひると瞳ちゃんとの間に起こった出来事を話した。

 小学校の時、まひるがいじめられていたこと。瞳ちゃんだけが、まひるをかばってくれたこと。今度は瞳ちゃんがいじめの標的になって、いじめがさらにひどくなったこと。そして、それが原因で、瞳ちゃんは転校していったこと。まひるは、瞳ちゃんをかばってあげられなかったこと。それをずっと悔やんでいること。

 クシーはまひるの方を見ながら、俺の話をじっと聞いていた。

 やがて二人は立ち上がり、瞳ちゃんは両親の方へ、まひるは俺たちの方へ歩いてきた。

 まひるはうなだれていた。

 俺たちのそばまで来て、まひるは言った。

「もう、昔のことは、忘れたって」まひるは、目をこすった。「もう思い出したくないから。だから、もう私のことは、思い出さないって。だから、もう自分のことも思い出さないでって」

 まひるはそう言って、両手で目をこすり続けた。

 クシーが俺を見た。

 どうすればいい?

 こんなとき、友だちなら、どうすればいい?

 クシーの目は、俺に必死で問いかけていた。

 でも、俺にも分からない。

 俺にも分からないんだよ、クシー。

 ごめんな。

 俺はハンカチを取り出して、まひるの目に当てた。

 まひるは、俺のハンカチを持って、目を押さえた。

「まひる」

 クシーの声に、俺たちは顔を上げた。

 クシーのそばに、瞳ちゃんが立っていた。

「約束、覚えてる?」瞳ちゃんが言った。

「覚えてる」まひるが言った。「まどマギ、最後まで一緒に見よう」

「見た? 最後まで」

「見てないよ」まひるは首を振った。「まだ見てないよ」

「アドレス、変わってる?」

「変わってない」

「いつか、もしかしたら、また会うかもしれないから、そのときまで、とってて。最後まで見ないで、とってて」

「わかった」まひるはぼろぼろと涙をこぼしながら、うなずいた。「とっとく」

 瞳ちゃんはうなずいて、軽く右手を上げると、くるりと振り返り、走り去っていった。

 まひるは、勢いよくクシーに抱き着いた。

 小柄なまひるは、長身のクシーの腕の中にすっぽりと包み込まれた。

 腕の中で肩を震わせているまひるの頭を、クシーはそっと撫でた。

 道行く人々は、そんな彼女たちをちらっと見ては、また何事もなかったかのように、通り過ぎていく。

 クシーはまひるの頭をそっと撫で続けた。

 まひるが泣き止むまで。

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