第四章 悪魔を憐れむ歌

第47話 シークレット・トラックの秘密

「カズさん、本気でそんなこと言ってるの? 日比谷野音でギグだなんて。ネットが封鎖されているんだよ。今から告知するつもり? こんな環境でどうやって告知するつもりなの?」

 

 ヒロキは早口でカズヤに尋ねた。


「ヒロ、落ち着け。二人ともこれを聴いて欲しい」


 カズヤは、バーカウンターにいる松浦に声をかけた。


「松浦さん、さっき話したシークレット・トラックの68曲目を流してくれないか?」

 

リュウスケは、フリークスのレコーディングで、カズヤがシークレット・トラックを録音したいと増田に告げていたことを思い出した。


 シークレット・トラックが流れはじめた。アコースティックギターでリズムを刻んでいる。大昔のカントリーブルース、ロバート・ジョンソンのスタイルだった。そのうち、カズヤのブルージーなかすれ声のハミングが聞こえてきた。


「カズヤ、このシークレット・トラックと野音のギグにどんな関係があるんだよ?」


「まあ、聴いてろって」


 カズヤのギターと声が、誰かに止められたように、突然止まった。二秒後、カズヤの声が聞こえた。


《3月5日、土曜日、午前零時、スリル・フリークス、日比谷野外音楽堂》


「お前、こんなものを録音してたのかよ」


 リュウスケは大きな声をあげた。


「ああ、日付はサチの実験日当日だ。もうじき日付が変わる。実験日まで二日しかない。ギグが始まるまで、俺たちには48時間しか残されていないんだ」


「でも、これで野音でギグができるね」


「ただ、問題は山ほどある。ここは戒厳令下の東京だ。都民は一切の外出を禁じられているはずだ。なのに、俺たちは家を出て、ここにいる。二人とも、ここに来るまでの間に誰かに後をつけられていたり、人の気配を感じたか?」


「リュウくんと一緒に、地下鉄のレールの上を歩いてベースメントに来たけど、人の気配は全くなかったよ」


「ウバステは、ゴーストタウンみたいに静かだった。人の姿なんてまったくなかったよ。地下鉄のレールの上も、怖くなるくらい静かだった」


「俺もそうだ。まったく人の気配を感じなかった。二人が来る前、松浦さん、増田さんにも確認した。二人ともまったく同じ状況だったそうだ。連中はまずは俺たちを泳がそうと考えているのだと思う.」


「ねえ、カズさん、これって日本だけの問題なの? たとえばアメリカとか」


「俺が地下に潜っている間、ある男のマンションに身を寄せていた。彼は外務省のキャリアで、セカンド・チャンス政策の反対論者だ。彼と様々な情報交換を行った。セカンド・チャンス政策が正式に公になったのは昨年の6月30日だが、その日からアメリカ、ロシア、中国、ヨーロッパの先進諸国との外交関係が途絶えた。今の日本は、江戸時代、幕府が行った鎖国政策の状況にとてもよく似ている。どの大国も日本の出方を静観している状況なんだ」

 

 カズヤはラッキーストライクに火をつけた。


「次に日本の内政だが、衆参両議員の国政選挙の投票率はここ10年、10パーセントを切っている。もはや国民は国会議員には、まったく信用を寄せていない。裁判所もそうだ。政府にとって都合のよい判決しか下さない。残るは行政だが、総理大臣、各国務大臣はただの人形にしかすぎない。そうなると、この国を動かしているのは霞ヶ関の官僚たちということになる」

 

 カズヤはゆっくりと煙を吐いた。


「セカンド・チャンス政策は、厚生労働省と文部科学省の共同プロジェクトだ。俺は文部科学省のプロジェクトメンバーに選ばれた。無能で間抜けなフリをして、厚生労働省の出方をうかがっていた。プロジェクトが始まった。すると文部科学省は厚生労働省にあっという間に水を開けられた。厚生労働省が唯一頭が上がらないのが財務省だが、厚生労働省は財務省の背中に追いつき、やがて追い越した。この国を動かしているのは厚生労働省、医政局長の美咲秀一郎だ。俺たちの敵はこの男なんだ」

 

 リュウスケの脳裏に、立食パーティーで見た、酒に酔った美咲の笑顔が浮かんだ。


「話を日比谷野音のギグに戻す。まずは照明設備だ。外のバンドのように、照明設備もない。音響設備もそうだ。アンプの音を増幅させる、巨大なパワードモニターのスピーカーもない。暗闇の中で、アンプの音だけで勝負しなければならない。ボーカルはここにあるもう一台のギターアンプを使う。だが音量、音圧は圧倒的に弱い。これで本当に日比谷野音に集まった客に伝わるのか、それも分からないんだ。それにそももそも、当日、戒厳令の中、日比谷野音にどれだけの人間が集まるのか。ヒロ、俺たちがアップロードした楽曲のダウンロード数はどうなっている?」


「えっと。ネットが封鎖される前だけど、2500万ダウンロードだよ」


「それは、ダウンロードの合計数だな?」


「うん。青木さんの音楽サイトは合計ダウンロード数しか分からないから」


「シークレット・トラックは、全部で100曲だ。99曲は一秒にも満たない無音のトラックだが、68曲目に、さっき流した日比谷野音のギグ告知が録音されている。2500万のダウンロード数の中に、この68曲目がどれだけ含まれているのか、まるで見当がつかない。もし、日比谷野音に客が集まったしても、今度は客の様子だ。ここでセカンド・チャンス政策の反対ギグを行ったときのことを思い出してほしい。美咲もこのギグ告知を掴んでいるはずだ。あくまで仮説だが、あのときの客は感情をコントロールされていた。あんな連中が日比谷野音に集まったら、ギグどころではない。俺たちが命を落とす危険もある」


「これがお前の言っていた、最後のカードってわけか。これがラストチャンスだな。やろうぜ、野音で」


「俺ももう覚悟は決まってるよ。三人でさ、ステージに立とうよ」


「分かった。今日の23時にまた、ここに集まろう。機材を日比谷野音に搬入するぞ」

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