第6話 セカンド・チャンス政策
リュウスケは、公園を抜け、大通りを右に進んだ。寒風が頬を撫で、髪を揺らせる。
八百屋、酒屋、乾物屋を横目に見ながら歩みを進めた。
クリスマスツリーが目に入った。
リュウスケは立ち止まり、ツリーの横のガラス扉を開け、店内へ入った。
温かい空気、そしてケーキの甘い香りが鼻腔に届く。
広さ6畳ほどの店内は、掃除の行き届いた清潔感で満ちていた。ジングルベルのオルゴールが静かに流れている。
「リュウちゃん、珍しいね。クリスマスケーキ?」
ケーキが並べられているウィンドウの向こう側から、男性に声をかけられた。
「ああ、あんまりガラじゃないんだけどさ、このショートケーキ2つくれない?」
「分かったよ。2つだね。サチコちゃんと食べるのかい?」
「うん。でさ、できるならウチに届けてほしいんだ」
「配達はやってないけど、まあいいや。届けるよ。何時くらいがいいの?」
「ええと、そうだなあ、今日の午後9時30分ごろ。遅い時間でごめんね」
「いいって、ウチの猫もお世話になってるしさ」
「ありがと、じゃあよろしくね」
リュウスケは会計を済ませると、再び大通りを歩きはじめた。
間もなく、バーガーショップ「ベガーズ・バンケット」の看板を見つけた。木製の扉を開ける。
店内の装飾はすべて茶色の木材が使われている。テーブルの数は10卓ほど。
壁には、古い映画のポスターが貼られていた。温かい空気によく火の通った肉の香りが届く。
客も少なく、すぐに相手を見つけることができた。
アイボリーのジャケットに整った黒髪。べっこうの眼鏡をかけている。スマートフォンを操作していた。
「ごめんごめん青木さん。大遅刻だ」
リュウスケは椅子に腰掛けた。
「大丈夫ですよ。それよりだいぶ絞られたみたいですね?」
「もう知ってんの?」
「一応、情報屋ですから」
青木は目を細め、笑顔を向けた。
「まったくえらい目にあったよ。何だっけ? 経済特区特別なんとかって法律」
リュウスケは大きく背伸びをした。上半身の関節が鳴る。
「経済特区特別措置法ですね。第25条で、この地区のあらゆる表現活動が禁止されています」
「噂には聞いてたけどさ、なんでここだけそんな規制があるわけ?」
「この地区は都内でも異色の存在ですからね。もし反政府思想を掲げる結社が誕生したら何が起こるか分からない。国はそれを恐れているんでしょう」
「それは分かるけどさあ、俺はバンドでベース弾いてるだけだよ? 別にこの国をどうこうしてやろうとか思ってないし」
「旧ソビエト連邦は第二次世界大戦後、44年間、西欧の音楽の輸入を禁じていましたからね。当時の旧ソビエトの政策を真似したんだと思いますよ」
「何ともまあ、時代錯誤な話だね。いい迷惑だよ、こっちは」
リュウスケは視線をテーブルの上に向けた。名刺が置かれている。
「株式会社ロックス・オフ 編集局
「青木さん、今さら名刺なんて水くさいよ」
「一応、礼儀ですから。それより、何かお飲みになりますか?」
「ビール飲んでもいいかな?」
「分かりました」
青木はウエイトレスにオーダーした。
「今日はカリスマバンドのベーシストのインタビューです。僕も気合い入ってます。かっこいいインタビューにしましょう」
「カリスマだなんて大げさだよ、青木さん」
青木がスマートフォンの録音ボタンをタッチした。
「では始めましょうか。幼少期の頃、印象に残っている風景などは?」
「そうだなあ、親父がロック好きだったのね。それでストーンズとかジミ・ヘンドリックスとか古いロックが家中に鳴り響いてたの。B17番の団地だったんだけど、近所から苦情が来るぐらいの音量だったなあ。それは印象に残ってる」
「理想的な環境ですね。それで自然にロックに目覚めていったわけですね」
「うん。中学校三年生のときにクリームのライブ盤聴いて、かっこいいなって初めて思ったんだよ。そのときはもう親父は亡くなってたんだけど、親父が使ってたベースが置いてあって、少しづつ触るようになったんだよね」
「その時期に、バンドを組んだりはしたんですか?」
「いや、全然。今でもそうなんだけど俺、外の音楽ってまったく聴かないんだ。それに同級生の中でクリームやストーンズ知ってる奴なんか一人もいなくてね。一人で黙々とレコードに合わせて弾いてた」
「意外ですね。それは高校卒業あたりまで続いたんですか?」
「えーとね。高校二年生のときに名前は忘れちゃったんだけど、ジャムセッションに自由参加できるライブハウスを見つけたんだ。毎週金曜日がジャムの日だったから、ベース担いで毎週通ってた」
「そこがリュウスケさんの原点というわけですね」
「原点ってほどじゃないけど、歳の離れた人たちとたくさんジャムって。うん、鍛えられたと思うよ」
「分かりました。話題を変えて、この経済特区B13番に来られてもうどれくらいですか?」
「青木さん、ウバステでいいよ。ええとね、俺が22歳の時だから、もう3年だよ」
「移住の経緯は?」
「実家が貧しかったからね。それだけの理由だよ」
「ウバステの最初の印象ってどうでしたか?」
「うーん、特にあんまり違和感は感じなかったよ。結構環境に順応できるから、俺」
「外と比べて経済的なギャップなどは感じましたか?」
「あんまり物欲がないんだよね。それとウバステって結構ペット飼ってる人が多いんだよ。あとライブのキックバックがあるでしょ。だから、食べ物とか飲みたい酒に苦労したことはないよ」
「驚いたこととかってありましたか?」
「驚いたというか、ああ、ネット環境。あれは本当に困った。何しろロックってワードで検索かけてもすぐに文部科学省のページに飛ばされちゃうからさあ。こりゃ参ったなって」
「経済特区特別措置法で検索ワードが規制されてますからね。それでどうやって解決したんですか?」
「ウチの病院の2階って雀荘でしょ。そこの店長に地下プロバイダーの会社があるって教えてもらったの」
リュウスケは運ばれてきたビールに口をつけた。炭酸とアルコールの熱が喉から胸に広がる。
「あ、じゃあそこでヒロキ君と出会うわけですね?」
「そうそう。あいつの会社に行って、ヒロが対応してくれたの。名刺に社長って書いてあって。壁には所狭しとセックス・ピストルズのポスターが貼ってあってさあ。で、ヒロの真横にスネアドラムが置いてあったの。それで『あんたドラム叩くの?』って声かけたのがきっかけ」
「それは初耳です。そういう経緯だったんですね。で、カズヤさんとは?」
「ヒロのおかげでネットが自由になったから、ウバステでバンドやってる奴っているのかなって、なんとなく調べてみたんだよね。そしたらカズヤがリズム隊募集してるサイトを偶然見つけたんだよ」
「どんな募集内容だったんですか?」
「確か『当方ギター・ボーカル。ジャムセッションでオリジナル曲を作れるバンドにしたい』とか、そんな内容だったよ。ジャムだったら、外にいた頃からさんざんやってきたからね。それでメールのやりとりして、ベースメントに3人で集まったわけ」
「それも初耳ですよ。そうやってスリル・フリークスが結成されたんですね。どうでした? 3人で合わせてみて」
「クリームのクロス・ロードで合わせてみたんだけど、いい感じだったよ。カズヤのボーカルとギターが良かった。ギター・ボーカルって、ギターはいい線いってるんだけど、ボーカルが残念なパターンが多いんだよね。でもカズヤはいい声してるじゃない。ハスキーでさ。ギターも俺の好みだったし。リズムの刻みがいいよね、あいつ。で、ヒロはね、最初はパンクのエイトビートしか叩けなかったの。でもスネアドラムの音抜けが抜群に良かった。ただ、キックドラムの踏み込みが弱かったのね。で、鍛えてやろうと思って」
「どうやって鍛えたんですか?」
「俺の家にあるレコード、ストーンズとかクリームとかジミ・ヘンドリックスとかレッド・ツェッペリンとかかき集めて、レコードプレイヤーと一緒にヒロに押しつけたの。『毎日ひたすら聴け!』って」
「スパルタ式ですね。で、ヒロキ君も受け入れたんですね?」
「うん。どんどん吸収してったよ。リハやるごとに伸びてった。たぶん俺やカズヤの知らないところで、たくさん努力したんだと思うよ」
「最初のライブもやっぱりベースメントだったんですか?」
「そうだよ。お客はガラガラだったけど」
「でも今はベースメントのトップバンドですもんね」
「それは青木さんのおかげだよ。特集組んでくれたじゃん。あれがきっかけで、どんどん客が増えていったもん」
「お客さんは外の人が多いんですか?」
「外の客がほとんどだよ。珍しいんだろうね、きっと」
「外にはスリル・フリークスみたいなバンドはいませんから。活動拠点は当分ベースメントですか?」
「そうだね。不思議なんだけど、何故かあそこにはガサが入らないんだよ。偶然なのかもしれないけど」
「では、最後にリュウスケさんから見て、カズヤさん、ヒロキ君ってどんな存在ですか?」
「カズヤはさあ、頭でっかちっていうか、理屈屋っていうか『そもそもロックンロールとは』みたいなスタンスで入ってくるのね。あいつフリーライターでしょ? だからそうなのかもしれないんだけど、俺は『考えるな、感じろ』ってタイプだから、そこらへんで衝突することがあるわけ」
「同い年なのに本当に正反対のキャラクターですもんね、お二人は」
「で、ギグになるとあいつ人格が豹変するじゃない。狂気の塊みたいになってさ。不思議な奴だよ」
「そこで、お二人の間を上手く仲裁してくれるのが、最年少のヒロキ君なんですね」
「そうなの?」
「そうですよ。自覚ないんですか、リュウスケさん?」
「ごめん。まったく自覚なかった」
二人は大きな声で笑った。
青木がスマートフォンの録音ボタンを切った。
「こんなんで記事になるの?」
「ええ、特にスリル・フリークス結成の経緯は誰も知らないと思います。ファンもきっと喜ぶと思いますよ。すぐに編集してウェブにアップしますから、楽しみにしててください」
そして青木は、バッグの中から封筒を取りだした。
「これ、少ないですが」
「ギャラはいいって、青木さん。ずっと世話になってきたし。ビール一杯で十分だよ」
青木はリュウスケに頭を下げ、封筒をバッグに戻した。
「ところでリュウスケさん、これはインタビューとは関係のない話なんですが」
青木は姿勢を前屈みに、声のトーンも低く、口を開いた。
「何の話?」
「政治の話です」
「政治はあんまり詳しくないけど。どんな話?」
「統治者について、どう思われますか?」
「統治者って、『アイ・シンク』の?」
「そうです。支持者が今日現在で5000万人。しかも誰もその正体を知らない人物です」
「SNSのカリスマってわけか。でもなんか気味が悪いね。みんなが右にならえって感じで」
「僕も同感です。あと、このところ厚生労働省と文部科学省が進めている『セカンド・チャンス政策』ですが」
「ああ、あれは確か人間の記憶をいじくるとか、そんな話だっけ?」
「正確には、人間の過去の記憶をすべて抹消して、新たな適正な記憶に置き換える脳外科技術をベースとした政策です」
「青木さん、俺はモグリだけど医者のはしくれでしょ。それはね、絶対に無理。人間の脳はまだまだ未研究の分野が山ほどあるんだよ。それにそんな技術がもし存在するなら、世界中が大騒ぎになってるはずだよ。万が一、存在したとしても、それはただの洗脳じゃない」
「僕もそうにらんでいます。それで、こんな噂が流れてるんです」
青木の声のトーンがさらに低くなった。
「どんな噂?」
「セカンド・チャンス政策の本当の姿は合法的な安楽死計画なのではないか、という噂です」
「どういう経緯でそんな噂が出てくるの?」
「現在、国家財政は悪化する一方です。高齢化社会も誰も止めることができない状況にあります。社会保障費ばかりが膨れ上がり、国の財政を圧迫しているんです。そこで、納税を期待できない高齢者や失業者、貧困層、ニート、精神疾患者などを対象に、国が口減らしを計画してるのではないか、そんな憶測が飛び交っているんです」
「なるほどねえ。でも俺は嫌だよ、国に殺されるなんて。自分の命は自分で決めるよ」
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