第5話 キースという名の犬
釈放されたリュウスケは、昨夜隠れていた公園のベンチに腰掛けた。
雪は昨夜の間にやんだらしく、積もっていなかった。
晴れた空から太陽の光が注いでいる。差し込む光に目の奥が鈍く痛んだ。
左の頬には、まだ痛みが残っている。冷たい風が吹き、左頬を刺激した。
公園には誰もいなかった。ブランコが風に揺られてわずかに動いている。
スマートフォンを取り出し、時刻を確認する。午前10時過ぎだった。
サチに電話をかける。ワンコールでサチの声が耳に届いた。
「サチ、そっちは大丈夫だったか?」
「こっちは平気だよ。それよりリュウちゃん、昨夜はどこにいたの?」
「ブタ箱で一泊した。で、さっき釈放された」
その瞬間、サチが大声で、しかも一方的に、早口でまくし立てた。
マシンガンのように言葉を連射してくる。予想どおりだ。やっぱり怒られた。鼓膜に痒みを感じる。
経験上、サチの説教はだいたい2分で終わるので、リュウスケはスマートフォンを耳から遠ざけた。
サチの声を遠くに聞きながら、落ち着いた頃を見計らう。2分ほど経過した頃、再びスマートフォンを耳にあてた。
「で、これからこっちに来るんでしょ?」
「いや、ちょっと人に会う約束があるんだよ。それが終わったら行くから」
「何時くらい?」
「そうだなあ、お昼ぐらいには着くと思う」
「みんなも集まってるから。時間厳守だよ」
「分かった分かった。そうします」
通話を終えたリュウスケはベンチから立ち上がり、約束の場所へと急ごうとした。
すると公園の中央に向かって、2人の女性が歩いてくる姿が視界に入った。
遠目で分からないが、1人の女性は犬を連れているようだった。
公園を抜けようと、中央で2人の横を通り過ぎようとしたとき、声をかけられた。
「あの、大丈夫ですか? お怪我をされているようですが」
2人とも20代前半といったところだった。
声をかけてきた1人はグレーのダウンジャケットに黒髪のロングヘアー。
犬を連れているもう1人は、クリーム色のコートにショートカットだった。
「平気平気。もう腫れもひいたみたいだし。2人とも、外の人かい?」
「そうです。あ、私たち、看護師なんです。職業柄ついお声をかけてしまい、すみませんでした」
ロングヘアーの女性が頭を下げた。
「謝ることないよ。それより2人ともどうしてこんな所にいるの?」
「観光ツアーで来たんです。ちょうど自由見学の時間帯だったので」
「外では流行ってるみたいだね。楽しんでるかい?」
「はい、とっても。映画で見た通りのレトロな街で感動しました。住民の方もとても優しくて温かいですし。あと現金も生まれて初めて使ったんです」
「あ、私、もう現金なかったんだ。どうしよう?」
もう1人のショートカットの女性が困った顔を浮かべた。
「この公園の出口を抜けて、大通りを左に50メートルくらい歩くと、電気屋があるんだ。その隣が両替所だから。スマホで両替できるよ」
「そうなんですね。ご親切にありがとうございます」
すると女性が連れていた子犬がリュウスケの足下でピョンピョンと跳ねはじめた。
子犬は両前足をリュウスケのブラックジーンズに乗せた。
「こら、キースやめなさい」
リュウスケは腰をかがめ、子犬を抱き上げ、立ち上がった。茶色のパグ犬だった。2歳前後だろう。
「お、キース、お前男の子か。大人になったらギター弾くか?」
リュウスケは慣れた手つきでパグ犬の瞼に手をあて、地面に降ろした。
「じゃ、俺行くわ。こんな所だけど、また来なよ。あ、あとキース君、目の周りがちょっと赤い。結膜炎かもしれないから、外に帰ったら病院に連れてってあげて」
「ありがとうございます。お詳しいんですね」
「一応、こう見えて獣医なんだよ。モグリだけどね」
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