第7話 選ばれし者

 厚生労働省・医政局。局長の美咲秀一郎みさきしゅういちろうはデスクに腰掛けながら、部下の報告に耳を傾けていた。


 デスクに置かれた時計は午後4時30分を示している。


「どうかね? 進捗状況は」


「現在、フェイズ57に入ったところです」

 

 背後の窓から、冬の暖かい光が差し込んでいる。部下のセミロングの黒髪は光を浴び、かすかなブラウンを浮かび上がらせた。


 くっきりとした瞳には、迷いのない、自信に裏づけされた知性が宿っているのが見て取れる。 


 部下の返答を聞くと、美咲はデスクのノートパソコンに視線を向け、画面を確認した。


 画面には「セカンド・チャンス進行予定表・第5次案」のタイトルと、進行タイムテーブルが表示されている。


 美咲はプロジェクト歴29年12月の予定案件を確認した。

 

「うん。順調に進んでいると考えていいかな?」


「はい、局長。計画案通りに進んでおります」


「ご苦労様。施設のほうも同時進行かな?」


「ええ、来年3月に完成予定です」


「了解。君の方からは何か気になっていることはあるかね?」


「薬品搬入のタイミングはいかがいたしましょうか?」


「ああ、それは近いうちに入札があるんだ。この件については私に一任させてくれて構わないよ」


「承知いたしました」


「ところで君」


 美咲はシルバーの眼鏡に触れた。部下のシルクのような色白の顔に、わずかな緊張が走ったことを、美咲は見逃さなかった。


「どうも、妙な噂が流れているようだね」


「例の件でしょうか?」


「うん。今までは私も静観していたんだがね、そろそろ手を打つタイミングかなと思っているんだ」


「と申しますと」


 部下の問いが届くと、美咲は両肘の関節をデスクに乗せ、目の前で両手を組んだ。


「計画も最終段階に入ったところだし、念には念を入れたほうがいい。常に最悪の事態を想定して事を進める必要がある。まあ杞憂で終わるだろうと私も思っているんだがね」


「私にできることがあれば、どうぞ仰ってください、局長」


「ありがとう。まずは、アイ・シンクに不穏な動きがあれば、逐一私に報告してほしい。こちらも然るべき手段をとる。そのための予算も十分に確保してある」


「かしこまりました」


 5秒ほどの沈黙の後、美咲は上体を前に傾けた。上目で部下の表情を捉える。そして、柔らかな口調で語り始めた。


「私は君に期待をしているんだ。今の日本は斜陽の道を歩んでいる。国民も政治家にはまったく期待を寄せていない。裁判所も有名無実の存在になり果てた。この国を動かしているのは我々官僚のみだ。分かるね」


「はい」


「君には、選ばれた人間だという自覚を持ってもらいたい。将来を約束された人間であると言い換えてもいい。そのためには弱者が犠牲になることがあるかもしれない。だがね、それは仕方のないことなんだ。歴史というものはそうやって築きあげられてきた。君は若い。今は実感できないかもしれないが、将来自分と向き合う機会が必ず訪れる。そのときは、今私が話したことを思い出してほしい」


「有り難いお言葉、ありがとうございます。日々、精進いたします」

 

 部下は深く頭を下げ、礼を述べた。


「現段階ではあくまでも内示だが、君に新たなポストを用意してある。おそらく君以外の職員では務まらない、君にしか取り組めないポストだろう。人事が正式に決定した際には、私から辞令を交付する。君にとってのキャリア、成長の機会につながるはずだ」


 部下は再び美咲に礼を述べると、自席へ戻っていった。その姿を見届けると、美咲はデスクに置かれたスマートフォンを手に取り、発信した。


「美咲だ。今、いいかね? 例の調査の現段階での進捗状況を教えて欲しい。どんな些細な情報でも構わない。やがて点はかならず線となって現れるはずだ」

 

 通話相手の報告に耳を傾ける。美咲は、この調査に限っては自分の口調や発する言葉のテンポなど、業務では決して見せることのない感情的な錯綜を全身で感じていた。

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