第52話 残響の隙間もないロックンロールの調べ

 リュウスケは、再びベースアンプのジャックにケーブルを差し込んだ。ヒロキ、カズヤの音が会場に響いた。


 振り返り、前方のマイクに向かって歩きはじめた瞬間、客席、日比谷公園全体から、地鳴りのような歓声が沸き上がった。


「ちょっとゴタゴタしてた。すまん、待たせた」


 歓声はさらに大きくなった。


「でさ、さっそく始めたいとこなんだけど、ちょっとお前たちに伝えたいことがあってさ。付き合ってほしい」

 

 一変、会場が静寂に包まれる。


「実はさ俺、今日死ぬんだ」


 どよめきが起こる。


「みんなももう、感づいていると思うけど、セカンド・チャンスの正体は記憶の置き換えなんかじゃない、安楽死だ」

 

 ヒロキ、カズヤの驚いた視線を全身に感じる。


「証拠を見せる。こいつを見てほしい」


 リュウスケは携帯型のプロジェクターを空に向け、スイッチを押した。書類が観客席に向けて大きく映し出された。


「これは、厚生労働省の親玉が書いた文書だが、いろんな薬品名がたくさん書いてある。この薬品は記憶の置き換えとはまったく無関係だ。すべて安楽死に関連した薬品ばかりなんだ。じゃあ、次行くぞ」


 リュウスケは、プロジェクターのスイッチを切り替えた。


「会場の外の連中は見えないと思うから、読み上げるよ。セカンド・チャンス、実験日のお知らせ。片桐竜介様、セカンド・チャンスの実験日が正式に決定いたしました。日付は3月5日、土曜日となります。当日、午前10時に厚生労働省スタッフがご自宅までお迎えにあがります。ご準備のほど、よろしくお願いいたします。とまあ、こんな文書だ。これは本物だ。夜が明けたら死ぬ人間が言ってるんだ。遺言だと思ってくれていい。だから信じてほしい」

 

 再び、日比谷が静寂に包まれた。


「あと、もう一つ、お前たちに伝えたいことがある。みんなの感情は厚生労働省によってコントロールされている。正確にはマインド・セッティングという名前のシステムなんだが、この半年、不思議に思ったことはないか? 怒りたいときに怒れなかったり、笑いたいときに笑えなかったり、泣きたいときに泣けなかったり、気がついたら怒っていたとかさ、そういう経験があったはずだ。感情コントロールの触媒となっているのは、お前たちが首からぶら下げている都民管理カードだ。もし思い当たるフシがあるなら、試しにカードを真っ二つに割ってみるといい。割ったところで死ぬわけじゃない。俺たちはそんなもん、とっくに捨てた。でもご覧の通り、ピンピンしてる。心配はいらないよ」

 

 すると、最前列の少女が、カードを割った。花火のような炸裂音とともに、カードから白い煙が立ち上がる。

 

 それを見たとなりの20代の青年が、カードを割った。やがて炸裂音は客席に広がり、花火大会のように、日比谷公園全体にとどろき、野外音楽堂は白煙に包まれた。10秒ほど経過したとき、一陣の風が吹き、白煙を空のかなたへ奪い去っていった。


「どうだ、夢から覚めた気分は?」


 日比谷公園全体から湧き起こる歓声は、ステージを揺らせた。足下から伝わる振動を、リュウスケは全身で受け止めた。


「ようし、みんないい子だ。本当にいい子だ」


 リュウスケはベースを肩にかけた。


「どうも俺は演説ってのは苦手でさ、やっぱりこうやってベースを担いで、鳴らすのが一番性に合ってるみたいだ」

 

 その瞬間、ヒロキがハイハット・シンバルを四発叩いた。五発目で、リュウスケは、ピックを握る右手で弦を叩く。ギグがスタートした。

 

 ヒロキは図太く、切れ味抜群のビートを刻む。カズヤはカミソリのようなギターの音でリズムを刻み、艶やかでハスキーな声で観客の心を掴んだ。リュウスケは、思うがままに本能でベースラインを鳴らし、右手のピックで弦を叩きつけた。

 

 三人の音は衝突し、やがて溶け合い、マグマの塊となって、客席に向かって放たれていく。

 

 ヒロ、ドラムが走ってるぞ、こいつは下手したら朝までかかるかもしれないんだ。ペース配分を考えて、もう少しテンポを落とせ。そうだ、それぐらいがちょうどいい。リズムがうねりはじめた。最初に三人で音を合わせたとき、お前はまだ10代で、パンクのエイトビートしか叩けなかった。本当に成長したな、ヒロ。今じゃ、お前のドラムがなければ、俺はベースを弾けない。自信を持て。お前は唯一無二のドラマーだよ。その自信でさ、サチにお前の思いを伝えてみたらどうだ? 必要なら、俺が間に入ってもいいからさ。え、俺じゃあんまり頼りにならないって? あのね、俺も一応、それなりの恋愛経験を積んできてるの。自分一人で伝えるって? そうか、頑張れよ。もし玉砕したら、俺が朝まで付き合ってやるからさ。

 

 カズヤ、普段冷静なお前が、ギグになるとどうしてこんなに人格が豹変するんだ?まるで狂気そのものじゃねえか。お前、脳みそが2つあるんじゃないか? よく、女はギャップに弱いとか言うけどさ、お前結構モテるだろう。どんな女の子がタイプなんだ? それは想像にまかせるって? そうだなあ、理屈屋のお前に黙ってついてきてくれる女の子、黒髪のロングヘアーで、小柄で清楚な感じの女の子がタイプなんじゃないのか? 図星だろう、なに下向いてんだよ、ひょっとしてお前照れてるのか?


 顔を上げろよ。見てみろ、公安の連中、膝元がガクガク震えてやがる。こいつら、上の命令がなければ、指一本動かすこともできないんだ。だから、連中をおちょくるなよ。いいか、絶対におちょくるなよ。あーあ、おちょくりやがった。お前はそういうとこがあるからな。でもお前のそういうとこ、俺は嫌いじゃないよ。

 

 なあ、二人とも、ここは東京じゃねえな。ロンドンだ。ローリング・ストーンズが1969年にフリーライブをやった、あのハイドパークだよ。こんな景色を見ることができて、俺は幸せ者だよ。二人とも、礼を言うよ。ありがとな。

 

 サチ、この会場のどこかにいるんだろう。お前を悲劇のヒロインの座から引きずり下ろしてしまった。ごめんな、サチ。次のお前のライブ、俺も見にいくよ。もちろんビンタ会も参加するから。思いっきりビンタしていいよ。いや、やっぱり多少は手加減してくれ、とにかく行くから。

 

 香織、色々と手間をかけてすまなかった。けど俺は生きて戻ってくる。お前との約束、必ず守るから。すべてカタがついたら、お前に伝えたいことがあるんだ。え、今言えって? 今はベース弾くのに忙しいんだよ。少し待っててくれ。

 

 最後にお袋、姉ちゃん。こんな形でしか責任を取れなかった。ずっとわがままばかりで、心配ばかりかけて、本当にすまない。

 

 そろそろブレイクか。演奏が止まるんだな。さあカズヤ、お前の出番だ、格好いい台詞でキメてくれ。え、俺が言うのかよ。まあ、ネタはあるっちゃあるけどさ。でも俺が言っていいのか? 美味しいとこ、全部俺が持ってっちゃうんだよ。本当にいいのか? わかった、それじゃあ、言わせてもらうよ。五、四、三、二、一、全員止まりやがれ。


「安楽死施設はこのステージの地下にある」


 リュウスケは右手の親指を下に向けた。


 直後、観客たちが猛牛のようにステージに押し寄せ、ステージ奥の扉に突進し、扉を開け、中へ入っていった。会場の外にいた人間たちも、客席になだれ込んできた。


「客席に戻りなさい。さもないと発砲する。繰り返す。客席に戻りなさい」


 公安警察員が、マイクで叫んでいる。それでも観客たちは、ステージに駆け寄る。


「長官、応援部隊と発砲許可を」


 切り裂くような声で叫んでいる。


 ステージは観客たちに占拠されている。その後、発砲音が響き渡り、一人、また一人と、ステージ上の観客が次々と倒れ、人の山となった。


 公安警察員が、マシンガンを空に向け、発砲した。会場は静寂に包まれた。

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