第51話 ステージの占拠者たち

 ギター・ボーカルが、客席に向かい、声をあげた。


「野音のみんな、俺たちがラズベリー・ピースだ。嘘ばっかり並べるバンドに騙されちゃいけないぜ。俺たちが真実だ。嘘ばかりのバンドのことなんか忘れて、俺たちと一緒に楽しんで、愛し合おう。みんなに送るぜ。セカンド・チャンス公式応援ナンバー、明日への扉だ」

 

 ラズベリー・ピースの演奏が始まった。その直後、客席から低いうなり声が湧き上がった。ブーイングだ。客席のあちこちから、帰れ、と叫ぶ声も聞こえた。

 

 1曲目が終わり、ギター・ボーカルが再び、マイクに向かい語りはじめた。


「兄弟たち、一体、どうしたっていうんだい? まだ、嘘を信じているのかい? どうか心を開いて、俺たちのロックンロールで踊ってくれよ」


 2曲目がスタートした。観客のブーイングはさらに高まり、ペットボトルやゴミがステージに投げ込まれていく。2曲目が終わった。


「なあ、兄弟たち、頼むからさ」


 哀願するような口調だった。


 3曲目がスタートした。ブーイングは最高潮に達し、ステージはペットボトルとゴミで埋め尽くされた。3曲目が終わり、ギター・ボーカルはマイクに近づき、何かを喋ろうとしていた。その時、投げ込まれたペッボトルが、ギター・ボーカルの顔に当たった。


「俺たちの音が、どうして」

 

 ギター・ボーカルが呆然とした表情でつぶやいた。

 

 リュウスケはギター・ボーカルの横に立ち、口を開いた。


「あのさ、兄ちゃんたち、ここにいるのはみんな耳の肥えた連中ばかりだ。俺はベースのことしか分からないけど、とりあえず兄ちゃんたちの演奏が、客に届かなかったことは確かだ。ヒロ、お前はどう思う?」


「そうだなあ。俺もドラムのことしか分からないけど、キックドラムはもっと強く踏み込んだほうがいいと思うよ。ううん、もっと強く。うん、それぐらい思いっきり力を込めて踏み込んだほうがいいよ。キックはバンドの屋台骨を支えるから、強く踏み込まないとバンドの音に埋もれちゃうんだよね。俺もバンドはじめた頃、二人にさんざん怒られたの。キックの踏み込みが甘いって。あとはスネアドラムなんだけど、キックドラムとは正反対に左手の力を抜いて、手首のスナップを使って叩いたほうがいいと思うんだ。そうそう、そういう感じ。そうすると、スコーンって音が抜けて、お客さんに届くから。それと、フィルインだけど、そんなに派手にしなくてもいいと思うよ。派手なフィルインが続くと、ドラムだけが勝手に自己主張してる演奏に聞こえちゃうんだ。主役はあくまでも楽曲だから、もっと音数を減らして、シンプルにするの。それで、ここぞっていうときに派手なフィルインを叩くんだ。そうするとメリハリが出ていいと思う。俺からは、こんな感じかなあ、カズさん、お願い」


「ますギターについてだが、音が細く、貧弱に聞こえた。これでは客席に届かない。君は細いタイプの弦を使っているんじゃないか。やはりそうか。もっと太い弦を使ったほうがいい。太い弦を使うと、左手の握力も必要になるし、弦を押さえる指先も痛む。だが一ヶ月もすれば慣れる。次に君の足下を見てほしい。アンプとギターの間にこんなにもたくさんのエフェクターがあると、真空管アンプ本来の持つ、暖かみやふくよかさが損なわれ、音が死んでしまう。血管の中に不純物がたくさん詰まっているようなものだ。エフェクターの数は少なくとも、3つ以内に抑えたほうがいい。次にボーカルだが、3曲通じて聴かせてもらったが、歌詞がまったく聞き取れなかった。もっと言うと、日本語で歌っているのか、英語で歌っているのか、その区別もつかなかった。理由は君の巻き舌のボーカルだと思う。誰かの真似などしないで、腹筋を意識して、自分の声で歌ったほうが客に伝わる。最後に、君は谷崎潤一郎という作家の名前を聞いたことがあるか。そうか。知らないのも無理はない。大昔の昭和時代の作家だからな。彼の書いた、文章読本という本がある。薄い本だが、日本語で歌詞を書く上でのヒントがちりばめられている。読むたびに新しい発見がある。一読することを勧める。長くなったが、俺からは以上だ。リュウスケ、頼む」


「俺はさ、二人みたいに、あれをどうした方がいいとか、ここをこうした方がいいとか、具体的なことは分からないんだ。ごめんよ。でさ、兄ちゃんたちはそもそもどうしてここに来たんだい?」


「それは、事務所の社長から突然言われて」


 ベーシストが弱々しく答えた。


「事務所の社長に、何を吹き込まれたんだ?」


「とにかく、あんたたちのライブを阻止しろって、そしたら」


「うん、そしたら?」


「武道館でライブができるって」


「おい、それは本当か?」


 リュウスケの驚いた声が野外音楽堂に響いた。


「本当だよ」


「武道館は有形文化財に指定されて、今は見学しかできないはずだぞ?」


「ああ、だから、一夜限りで」


「それはいつなんだ?」


「4月10日だよ」


「あと、一ヶ月しかないじゃないか。自信はあるのか?」


「それは、それはあるわけないだろう。野音でもこんな有様なんだから」


 ベーシストはうつむきながら答えた。


「こいつは大変だな。よし分かった。ウバステにベースメントっていうライブハウスがある。そこに俺のレコードが置いてあるから、レコードプレイヤーと一緒に自由に持っていっていいよ。店長の松浦さんって人に話を通しておくから。それで、とにかくレコードを聴きまくってほしい。少なくともウチのドラムは、そうやって自信をつけた。あとは、これも抽象的な言い方で申し訳ないけど、ロックだけじゃだめなんだ。ロールってやつを見つけたほうがいい。何がロールなのかは人によって違うし、一ヶ月で見つけることができるかは分からない。でも探す価値はある。俺が保証するよ」

 

 ベーシストは深くうなだれた。

 

 その後、ギター・ボーカルの声が聞こえた。


「とにかく、電源を握っているのは俺たちなんだから、あんたたちの自由にはさせないよ。あの、すみませーん。音響ユニットの電源をオフに」


「松浦さーん、出番だよー。エンターキー押してー」


 ヒロキの声が被さった。


 アンプは依然、ノイズを発している。


「あのー聞こえていますかー。音響ユニットの電源をオフに」


 アンプのノイズが消えない。


「あれ、どうして? え、なんで?」

 

 ギター・ボーカルが狼狽した表情を浮かべている。ヒロキに視線を向けると、笑顔を浮かべている。


「ヒロ、お前、何をしたんだ?」


「昨日ね、都内の電源供給プログラムをハッキングしたの。で、ベースメントに流れる電流を、ここの音響ユニットに流れるようにプログラムを書き換えたんだ。ノートパソコンのエンターキーを押せば、切り替わるようにように細工して。で、松浦さんがエンターキーを押してくれて切り替わったってわけ」


「お前が言ってた、理科の実験ってこれか?」


「そう。ハッキングって久しぶりだったし、上手くいくか不安だったけど、良かったよ。だから音響ユニットの電源握ってるのは俺たちだよ」


 観客席から、ブーイングと帰れの叫び声が再び巻き起こった。


 ギター・ボーカルは、呆然と立ち尽くしている。


「兄ちゃん、そういうことだ。さっき、顔にペッボトルが当たったろう。俺はギグで火炎瓶を投げつけられたことがある。もし兄ちゃんの顔に火炎瓶が当たったりしてみろ。武道館どころか、せっかくのイケメンが台無しになるぞ」

 

 ギター・ボーカルの顔が恐怖で歪む。


「俺は、ここから帰れとは言わないよ。もし興味があるなら、ステージの端で見ててくれても構わないからさ」


 ラズベリー・ピースの三人は、力ない足取りで、ステージの端へ向かって歩きはじめた。

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