第50話 仕掛けられた午前零時の罠

 夜が明けた。メンバーの三人と、音響担当の増田は午後7時に日比谷野外音楽堂に到着した。

 

 昨夜と同じく、道路封鎖も検問もなく、街には誰もいなかった。


 ステージ端の奥にある扉を開けると、長い廊下が見えた。


「ここが楽屋なんだ」


 増田が廊下のちょうど真ん中にあるドアを指さした。


「楽屋の隣が、音響ルームだから、俺はここでミキサーを操作するよ。リハーサルはどうする?」


「本来なら、できるに越したことはないんだけど、この状況だから。リハーサルはなしで、ぶっつけ本番でやるしかない」


 リュウスケが答えた。


「分かった。フリークスの音は全部把握してるつもりだから、リハーサルなしでも大丈夫だと思う。まかせておいて」


 増田はミキサールームに入っていった。


 三人は楽屋のドアを開き、中へ入った。中央にはテーブル、パイプ椅子が並べられていた。


 リュウスケは椅子に腰を下ろした。テーブルの向かい側にカズヤとヒロキが座った。


「ステージ照明はおろか、楽屋の蛍光灯まで新品に交換されている」


 目の前のカズヤが口を開いた。


「美咲はここまで俺たちを泳がせて、一体何を企んでいるんだ?」


 三人は無言のまま、時の流れに身を委ねた。


 楽屋の時計は午後九時を示した。


「リュウスケ、会場の様子を確認してくれないか」


「ああ、分かった」


 リュウスケは楽屋を出て、廊下の一番奥のステージへの扉をわずかに開いた。野外音楽堂の三つの階段、ステージ最後列の奥の通路。それぞれ、公安警察員が配備されていた。さらに、最前列とステージの間のレールの上にはビデオカメラが設置され、客席には、ビデオカメラを抱えたスタッフ、マスコミ関係者と思われるカメラを持った記者が座っていた。


「リュウスケ、どうだった?」


「客席が公安警察に取り囲まれていた。あとは国営放送とマスコミの連中が準備していたよ」


「そうか。おそらく会場の外にも配備されているだろうな。下手をすると、日比谷公園全体にいるかもしれない。客はいたか?」


「いや、一人もいなかった」


 1時間が経過した。午後10時を回ったところだった。カズヤはスマートフォンを操作していた。


「戒厳令が解かれた。午後10時、首相官邸から正式に発表があったそうだ。これで都民たちは、自由に外出ができるようになった。美咲が首相官邸に要請したんだろう」


「これで舞台は整ったってわけか」


「あと2時間。どれだけの都民がここに集まるか、運を天にまかせるしかないな」

 

 さらに1時間が経過した。午後11時。リュウスケの耳に、ざわめきのような音が届いた。


「カズヤ、聞こえるか?」


「ああ、聞こえる。ヒロ、様子を見てきてくれないか」


 30秒ほどでヒロキが戻ってきた。


「二人とも、ちょっと来て」


 ステージに向かうドアをわずかに開く。リュウスケの目に映ったのは、満席となった、野外音楽堂の客席だった。観客のざわめきは、野外音楽堂だけではなかった。会場の外、いや、日比谷公園全体から沸き起こっているように感じられた。


 あっという間に1時間が過ぎようとしていた。時計の針は午後11時55分を示している。


「どれ、そろそろ出かけるか」


 三人が、楽器を手に楽屋のドアを開けた瞬間、歓声が聞こえた。増田が照明ユニットの電源を入れたのだろう。


「ねえ、今気づいたんだけどさ」


「どうした、ヒロ?」

 

 リュウスケが応じる。


「今日の曲順、全然決めてなかったね」


「ああ、色々とあったからな。そんな余裕はなかった。リュウスケ、お前に任せる」


「そうだな、ヒロ、ハイハット・シンバルを四発鳴らしてくれ。テンポは速めで。5発目から俺とカズヤが入るから」


「うん。分かったよ」


「リュウスケ、コードはどうする?」


「Aで行こう。そのあとは客の反応を見ながらやるしかないな」


 リュウスケはカズヤの膝元に視線を向けた。膝が震えている。右手でカズヤの左頬を張った。


「お前でも、ビビることがあるんだな。しっかりしろ、カズヤ。主役のお前が、そんなんでどうする」


「すまない」


「日比谷が俺たちを待っている。美咲がどんな罠を仕掛けているのか分からないが、行くしかないだろう」


「分かった。もう心配はいらない」


 カズヤの足の震えが止まった。


「じゃあ、行くぞ」


 ステージへの扉を開け、リュウスケ、ヒロキ、カズヤの順でステージへ足を踏み出した。まばゆい照明のもと、拍手、歓声、口笛が鳴り響いた。


 ステージ右側、ベースアンプの真正面に立った。リュウスケはベースアンプの上に手を乗せ、祈った。どうか最後までよろしく頼む。


 ケーブルをアンプのジャックに接続し、電源スイッチを入れる。真空管が光らない。スイッチ横のインジケーターも消灯している。これはどういうことだ?

 

 ステージ左側のカズヤに視線を向けた。アンプを前に、うつむいて、首を左右に力なく振っている。リュウスケはカズヤのもとへ駆け寄った。


「カズヤ、これは一体?」


「美咲が音響ユニットの電源を遮断した。そういうことだったのか。これが奴の最後の罠だ。おそらくマイクも死んでいるだろう」


「じゃあ、俺たちは」


「音が出せないまま、ここで立ち尽くすことしかできない。客席はおろか、テレビやネットを見ている連中の前で醜態をさらすことになるわけだ」


 すると、背後から、人の気配を感じた。


「ちょっと、あんたたち、どいてくれないかなあ」


 振り返ると、Tシャツにデニム姿、茶色に染めた長髪、整った顔立ちの男がギターを抱え立っていた。どこかで見た覚えがある。関東テレビのミュージック・サテライトに出演していたラズベリー・ピースのメンバーだった。

 

 ステージ右側のベースアンプに視線を向けると、ベーシストがアンプにケーブルを差し込んでいる。ドラムセットに目を向けると、すでにドラマーが椅子に座っていた。

 

 ギター・ボーカルは、アンプにケーブルを差し込むと、振り返り、前方のマイクに向かって、歩いていく。そして、右手を高く挙げた。

 

 その直後、アンプのノイズが聞こえてきた。


「乗っ取りというわけか」


 カズヤが力なくつぶやいた。


「これも美咲が仕組んだのか?」


「そうだ。このバンドは音響ユニットの電源を握っている」

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