第39話 ガラクタのアコースティックギター

 翌日の土曜日、午前10時、リュウスケはベースメントに到着した。すでにカズヤ、ヒロキは到着しており、テーブルでタブレット端末を見ながら、何か話している。


「あ、リュウくん、おはよう。座りなよ。すごいことになってるから」


 ヒロキはタブレット端末をリュウスケに手渡した。


 動画サイトだった。昨日ミュージック・サテライトに出演したスリル・フリークスの動画がアップされている。


「再生回数を見てみて」


「3500万回。たった一晩でか? これってマジか?」

 

 リュウスケは画面に顔を近づけた。


「まあ、滑り出しとしては順調だな。それから、コメント欄を見てみろ」


 リュウスケは、画面を下にスクロールし、コメント欄を見た。


【安楽死って言ってたけど、なんかそっちの方が信憑性があるね】

【グッド・ジョブ スリル・フリークス】

【あのバンドの言ってたこと、俺はガチだと思う】

【ベースの人、無実だったんだ】

【安楽死で死ぬなんて、私絶対にイヤ】


「あとはこれだ」


 カズヤから、スマートフォンを受け取る。画面を見ると、アイ・シンクのトレンドワードに、セカンド・チャンス、安楽死、厚生労働省、別件逮捕などが並んでいる。


「それから、アイ・シンクでスリル・フリークスのアカウントを作った。今現在では支持者は1000万人を超えている」


「たった一晩で、こんなに変わるのか?」


 リュウスケは、驚きを隠せなかった。


「言ったろ、大衆は何かのきっかけさえあれば、一気に流れを変える」


「遅れてごめんね。おはよう」


 音響担当の増田が現れた。椅子に腰掛ける。


「増田さん、ごめんね。突然こんな話になって」


 カズヤが詫びた。


「俺は大丈夫だよ。実は一度、フリークスの音、録ってみたかったんだよ」


「今日はよろしくお願いします」


 リュウスケが頭を下げる。


「少し、打ち合わせしようか。ええと、レコーディングの流れなんだけど、まずはリズムトラック、ヒロキ君のドラムから録音しようか?」


「それなんだけどさ、増田さん」


「どうしたの? リュウスケ君」

 

 増田が不思議そうに尋ねた。


「各パートの別録りじゃなくて、一発録りでいきたいんだ」


「一発録りって、三人の音を一斉に録音するってことだよね?」

 

 増田の表情に驚きが浮かんだ。


「そう、いつもここでギグやってるじゃん。それをそのままパッケージにする感じ。昨日、三人で話したんだ」


「昔はみんな一発録りだったし、もちろん可能だけど、別録りの方が音はクリアーに仕上がるよ。一発録りだと、各パートの音が干渉し合うから、どうしても仕上がりの音が濁るけど」


「少しくらい、濁った方がフリークスに合ってるよ」


「それから、一発録りだと、誰かがミスったら、最初から録音し直しになるけど、大丈夫?」


「大丈夫。ここでさんざん鍛えられたし。あ、ちょっとヒロのドラムは心配かな?」


「リュウくん、俺だって大丈夫だよー」

 

 笑い声がホールに響いた。


「ガイドクリックは使う?」


「ガイドクリックって、メトロノームのこと?」


「そうだよ」


「それも使わない。俺もカズヤも、ヒロのキックドラムに合わせて弾いてるから」


「分かった、ただカズヤ君のボーカルだけは別に録らせてね。ボーカルが埋もれてしまったら元も子もないから」


「うん。了解」


「じゃあ、地下へ移動しようか」


                  ★


 三人は地下の録音スタジオへ入った。リュウスケ、カズヤ、ヒロキの三人のセッティングが完了した。リュウスケとカズヤのアンプ、ヒロキのドラムセットには録音用のマイクが設置されている。


「三人とも聞こえるかい?」


 増田の声がスタジオに響く。窓の向こう側のミキサールームに増田が座っている。


「オッケー、聞こえてるよ」


「こっちは準備できてるから、三人とも準備が完了したら、合図して。録音はじめるから」


 カズヤの視線を感じる。リュウスケとカズヤは、ドラムセットに座るヒロキのもとへ集まる。


「今さら言うまでもないが、上手く演奏しようと思うな。大事なのはテンションとグルーヴだ」

 

リュウスケは窓の向こうの増田に向かって、右手を挙げた。レコーディングがスタートした。


                  ★


 フリークスは四時間ぶっ通しで、オリジナル曲60曲をすべて録音した。その間、緊張感が途切れることは、一瞬もなかった。

 

 スタジオを出て、ミキサールームに移動すると、増田が驚きの表情を浮かべている。


「増田さん、どんな感じ?」


「いや、俺もね、この仕事20年以上やってきて、いろんなバンドのレコーディングやってきたけど、こんなことはじめてだよ」


「どういうこと?」


「まずね、三人の音量バランスが完璧だった。だからミキサーでバランス取る必要がまったくなかった。音質もそう。低音から高音まで、しっかり出ていた。だからイコライザーをいじる必要もなかったんだよ。すごいよ、三人とも。本当に驚いた」


「ヒロ、褒められてんぞ」


 リュウスケはヒロキの頭の上に手を乗せた。


「うん、ありがとう、増田さん」


「あとはカズヤ君のボーカルだね。少し休憩しようか。四時間ずっとギター弾いてたんだから」


「いや、休憩なしで大丈夫。そのまま行くよ」


 カズヤのボーカル録音が始まった。照明を薄暗く落とした、窓の向こう側の録音スタジオで、ヘッドフォンをかけたカズヤがマイクに向かって、艶のあるハスキーな歌声を吹き込んでいる。その姿を見て、リュウスケは不意に涙がこぼれ落ちそうになる。ウェブで見つけたカズヤのメンバー募集、ベースメントでの初めてのセッション、数え切れないほどのギグ、サチが真相を知ったときに出会ったカズヤの涙、カズヤの決意、様々なカズヤの姿がリュウスケの心に浮かんでは、消えていった。

 

 四時間が過ぎ、カズヤが録音スタジオから、ミキサールームに戻ってきた。


「オッケー、これでレコーディング完了だよ。あとは演奏とカズヤ君のボーカルをミキシングして。そうだなあ、明後日の夕方には仕上がると思う」


「ありがとう。増田さん。さすがに少し疲れたな。上に上がって乾杯しようぜ」


「増田さん、もう一曲、付き合ってもらってもいいかな。これ、借りてもいい?」


 カズヤがそばに立てかけてあった、古びたアコースティックギターを指さした。


「うん。いいけど。どんな曲なの?」


「いや、せっかくのレコーディングだから、記念にシークレット・トラックをと思って」


「なんだカズヤ、まだ録音するのかよ?」


「録音するっていっても、アコースティックギターの弾き語りみたいなもんだ。二人は先に上に上がっててくれ、すぐに俺も合流する」


「そうか、分かった。それじゃ、先にビール飲ませてもらうよ」


「ああ、堪能してくれ」


 三日後、フリークスは録音した全60曲のなかから、厳選した30曲を選び、青木の勤務先のロックス・オフの音楽配信サービスにアップロードした。


 インディーズチャートを駆け上がったフリークスの楽曲は、瞬く間にダウンロード数第1位を獲得した。

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