第38話 告発者のブルース
「お前、一体どこのスイッチ入れたらそこまでキャラ変えられるんだよ? 心底びっくりしたぞ」
リュウスケの声が楽屋に響いた。
「当たり前だ。危険思想保持者で、つい最近までブタ箱にいたメンバーがいるバンドだぞ。テレビ屋だって警戒するだろうが。出演交渉するときも大変だったんだ。どうにかねじ込めたけどな」
カズヤはラッキーストライクの煙を吐いた。
「とにかく今日は、ドミノ倒しの最初の駒だ。いいか、リュウスケ、リハーサルでも本番でも一言も喋るなよ」
「ああ、分かったよ」
「でもあれだね、三人で音出すのって久しぶりだよね」
ヒロキがつぶやいた。
「そうだな。何しろベーシストが不在だったからな」
「それは、お前のせいだろうが」
カズヤは天井を見上げながら笑った。こいつの笑顔を見るのは久しぶりだ。不思議な懐かしさをリュウスケは感じていた。
楽屋をノックする音が聞こえる。
「どうぞー」
カズヤが答える。
「スリル・フリークスさん、リハーサルのお時間です」
4人は6階の特別スタジオへ移動した。
スタジオの広さは学校の教室ほど。ベースメントと同じくらいだった。スタッフたちが忙しそうにスタジオ内を動き回っている。
「スリル・フリークスさん、入りまーす」
スタッフの声が響く。
スタッフの拍手のなか、3人は、楽器、アンプがセッティングされているスタジオ中央へ向かった。
音響リハーサル、照明リハーサル、カメラリハーサル、トータルリハーサル。フリークスは4回、スタンド・バイ・ミーを演奏した。
ベースメントのリハーサルは15分程度で終わるのだが、テレビのリハーサルはこんなにも時間がかかるものなのかとリュウスケは驚いた。途中で演奏をストップし、カメラの調整、また再開しストップ。そんなことを繰り返しているうちに、時間はあっという間に過ぎ、オンエアまで1時間となった。
相沢がやってきた。
「どうされますか、楽屋に戻られますか?」
「いえ、ここで結構ですよ」
カズヤが答える。
「分かりました。午後8時30分ごろ『ラズベリー・ピース』というバンドが、ここで演奏します。その後メインスタジオでアイドルグループが二組歌いますので、その間に機材の入れ替えを行います」
「はい。本番はどうぞ、よろしくお願いいたします」
カズヤは相沢に深く頭を下げた。
「二人とも、少し外す。喉が渇いた」
カズヤはスタジオを出て行った。
「ねえ、リュウくん」
ヒロキが不思議そうに尋ねる。
「カズさんって、あんな声だったっけ?」
「そうだよなあ、なんか腹から声出してない感じだったなあ」
ボーカルだけでなく、ギターも同じだった。いつものような鋭い音ではなく、無難にこなしている印象だった。
「さっき、楽屋で、ドミノの最初の駒って言ってたじゃん。本当にドミノ倒しになるのかなあ?」
「まあ、ここまで来たんだから。やるしかねえよ」
★
午後8時になった。ミュージック・サテライトが始まった。リュウスケは床に座りながら、小型のモニター画面でメインスタジオの様子をぼんやり眺めていた。
外の音楽はほとんど聴いたことがない。男性のソロシンガーや10代のアイドルグループなどが次々と歌い、踊っていた。
すると三人組のラズベリー・ピースのメンバーが特別スタジオに現れた。知らないバンドだった。年齢は自分たちと同じくらい、三人とも爽やかな印象、そしてなにより顔立ちが整っていた。イケメンバンドかあ、いかにも外のバンドらしいなと感じる。三人はスタジオ中央に向かった。
「はい。こちら特別スタジオではラズベリー・ピースの皆さんにお越しいただいております」
女性アナウンサーが笑顔を浮かべ、紹介をはじめた。
「皆さん、こんばんはー」
ギター・ボーカルが爽やかに応じる。
「現在、動画サイトの再生回数が2億回を超えたラズベリー・ピースの皆さんですが、まさにジャパニーズロックの王者と言っても過言ではないと思います。いかがですか?」
「いやあ、これもファンのみなさんの応援あってのことですので」
「ご謙遜なさらないでくださいよ。私の周りにも、たくさんファンがいるんですよ」
「僕たちは純粋にロックンロールを愛しているだけなんです。それがファンの皆さんに届けばいいなって」
「では、準備が整ったようです。セカンド・チャンス公式応援ソング、ラズベリー・ピースの皆さんで『明日への扉』お聴きください」
ラズベリー・ピースの出番が終わった。メンバーたちがスタジオを後にする。
「なんだありゃ、口パクにアテフリじゃねえか」
「リュウくん、アテフリってなに?」
ヒロキが尋ねた。
「ああ、アテフリっていうのはさ、演奏してるフリ。口パクの楽器バージョンみたいなもんだ」
「え、そうなの。じゃああの人たち、何もしてないの?」
「そうだよ。曲を流して、歌ってるフリして、演奏してるフリしてるだけだ。まったく、どうなってんだ、外の音楽業界は。あれが王者なのか。それにセカンド・チャンスの応援歌まであるのかよ」
「スリル・フリークスさん、本番3分前です」
スタッフが告げた。カズヤはどこにいるんだ。スタジオを見回すと、五メートルほど離れた場所で、片膝をついていた。やがて立ち上がり、近づいてくる。
「二人に話がある」
「何だよ、本番直前に」
「いいか、二人とも、本番で何が起こっても、俺のギターについてきてほしい」
★
「それでは今日、最後を飾っていただくアーティストはスリル・フリークスの皆さんです」
先ほどと同じ女性アナウンサーだった。
「どうも、こんばんは」
カズヤが応じる。
「スリル・フリークスの皆さんは、何と今日がテレビ初登場ということで」
「そうですね。少し緊張しています」
「今日はカバー曲をご披露していただくと聞いておりますが」
「ええ、スタンド・バイ・ミーのカバーを演奏します」
「往年の名曲ですね。それではテレビの前の皆さんに向けて一言」
「ボリュームを最大にしてください」
三人はそれぞれの楽器を手にした。
「それでは、スリル・フリークスの皆さんの演奏で、スタンド・バイ・ミーです」
カズヤはゆっくりと膝を折り曲げ、リフを刻みはじめた。鋭く、刃物のようなレスポールの音がスタジオの壁に突き刺さる。リハーサルとは全く違う音だ。キーも違う。リハーサルではAだったカズヤのレスポールがEのコードを鳴らしている。刻むリズムも違う。
これはスタンド・バイ・ミーではない。別物だ。ヒロキを振り返る。放心状態だった。
カズヤのコードを耳で捉える。分かった。こいつは12小節のブルースのコードを刻んでいる。カズヤの刻みは小節が進むたびに激しさを増し、攻撃的になっていく。
このままいくと、ラストの12小節目で自分とヒロキがカズヤのギターと絡み合うことになる。ヒロキを振り返る。ヒロキはうなずいた。
12小節目に入った瞬間、リュウスケはベースの弦を右手に持ったピックで叩きつけるように弾いた。ヒロキのドラムも同時に入った。図太いヒロキのキックドラムが、リュウスケの下腹部に響く。バンドは離陸した。
次の12小節、カズヤはギターソロを弾いた。空間を切り裂くように、地面を揺らすように、カズヤのソロは続く。カズヤに視線を向けると、切れ長の目を大きく開いている。狂気の塊のような目だ。三人の音がスタジオの床を揺らし、壁を壊そうとしている。
次の12小節はカズヤのボーカルが入るはずだ。こいつは一体どんな言葉を吐くつもりなんだ。
【厚労省の空の上 きな臭い雲が浮かんでた 雲の隙間から見えたのは 安楽死という三文字だった さあどうなんだ厚労省 正直に言えよ安楽死 別件逮捕で捕まった 濡れ衣だらけのベーシスト 取調官の目に浮かぶのは やっぱり安楽死という三文字だった さあどうなんだ厚労省 素直に言えよ安楽死 厚労省に降った雨 水たまりを眺めてた 雨粒がビートを刻む 安楽死のビートを刻んでた さあどうなんだ厚労省 マイクを貸してやるからさ 今すぐ歌えよ安楽死 厚労省の部屋の中 安楽死のブルースが聞こえる 大きな声で歌ってみろよ 俺たちがサポートするからさ ウバステに来いよ厚労省 安楽死を歌えよ厚労省 きっと楽になれるぜ だから歌えよ安楽死 セカンド・チャンスのコートを脱いで セカンド・チャンスのスーツを脱いで セカンド・チャンスの靴を脱いで 安楽死のブルースを聴かせろよ あんたのブルースが聴きたいんだ 殺人者のブルースを聴かせてくれよ 厚労省に雪が降る どうやら今夜は冷えそうだ セカンド・チャンスを着込んでも 震えはきっと止まらないだろう 安楽死のブルース 残虐のブルース 悪魔のブルース 人殺しのブルース 腐ったこの国のブルース】
カズヤは速射砲のように言葉を放ち、スタジオの至るところに刺さっていく。スタッフたちは呆然と立ち尽くしている。バンドの音とカズヤの言葉がスタジオ全体を挑発している。巨大な台風のように、音と言葉がスタジオに吹き荒れ、すべてを奪い去っていった。
やがて、ブルースは終わった。正気を取り戻したスタッフが「CM、CMに切り替えろ」と叫んでいた。だがその声はあまりにも無力だった。
CMが開け、ミュージック・サテライトはエンディングを迎えた。
「こちら、特別スタジオです。画面上のテロップと演奏曲に間違いがございました。視聴者のみなさま、大変失礼いたしました」
「間違っちゃいませんよ。あれはスタンド・バイ・ミーですよ、俺たちの」
カズヤが放った。
女性アナウンサーの膝は震え、顔がひきつっていた。
スリル・フリークスは関東テレビから、永久の出入り禁止を言い渡された。
帰りの車内、カズヤはハンドルを握りながら、ケセラセラのメロディーを口ずさんでいる。
「あのプロデューサーの相沢さんって人、ちょっと気の毒だったね。顔色が真っ青だったもん。責任とか取らされるのかなあ?」
「ヒロ、ロックンロールを舐めてかかると、こういうことになるんだよ。まあ、もうテレビ屋には用はないしな」
カズヤが答える。
「ところで、二人とも、俺の信用は回復したか?」
リュウスケは黙ったままの笑顔で、カズヤの頭を拳で軽くこづいた。
「これで俺もエリート官僚から、危険思想保持者に落ちぶれたってわけだ」
「カズヤ、これからどうするつもりだ?」
「ああ、月曜日に文部科学省に辞表を出す。家族からも縁を切られるだろうな」
「仕事はどうするんだよ?」
「ロックス・オフで拾ってもらうことになっている。青木さんには頭が上がらないよ」
「まったく大したタマだよ、お前は。なあ、ベースメントで機材しまったら、打ち上げしようぜ。ビールが飲みたいよ」
「だめだ。今日はみんなまっすぐ帰宅。ゆっくり休んで、明日午前10時にベースメントに集合だ」
「何するんだよ、明日?」
「レコーディングだよ。とにかく俺たちには時間がない」
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