第32話 裏切り者のバラッド

「でさあ、今日の朝、三人に訊いたの。そしたら、三人とも疲れ果てて寝てたんだって」


 ヒロキは昨日の出来事を、顔を真っ赤に染めながら興奮気味に話している。カズヤの部屋の時計は午後11時10分を示していた。


「それで、電話に出なかったってわけか。で、オファーの話は本当だったのか?」

 

 リュウスケはヒロキに尋ねた。


「全部そいつの嘘。三人とも、そんな話はなかったって答えたし、もしあったとしても絶対断るって言ってくれたし。ねえ、これも厚生労働省か文部科学省が絡んでるのかなあ?」


「ヒロのフルネームを知ってたってのが怪しいな。いずれにしても、ヒロ、お前はよく頑張ったし、立派なパンクロッカーだよ。ヒロがキレるとこ、俺も見たかったなあ、特に中指立てたとこ」


 リュウスケはヒロキの頭を撫でた。


「だって、ウバステのこと、あんな貧民街って言ったんだよ。その時、ウバステのみんなの顔が頭に浮かんでさあ、頭に一気に血がのぼちゃったの。カズさんはどう思う。やっぱり俺をターゲットに狙ったんだと思う?」


 カズヤは座ったまま、両腕を組み、うつむいたまま、低い笑い声を立てている。


 笑いを堪えるように両肩が揺れていた。


「ねえ、カズさん。どうして笑ってるの? そんなに笑える話じゃないよ」

 

 ヒロキの表情に戸惑いの色が浮かんでいる。


「カズヤ、様子がおかしいぞ。お前まさかクスリでもキメてるのか?」

 

 カズヤが顔を上げた。笑い声は止まったが、口元を歪め、切れ長の目を見開き、壁に貼られたローリングストーンズのポスターを挑発するように睨んでいる。


 いつものカズヤではない。


「ドラッグは全部試した。だが、今はやっていない」


 擦れた声で静かにつぶやく。カズヤは顔をヒロキに向けた。


「ヒロ、お前はつくづくお人好しだな」

 

 呆れたような声でカズヤが告げる。


「一体、どうしたのカズさん? それってどういう意味?」

 

 ヒロキは困惑した声で訊いた。


「お前はせっかくのチャンスを自ら棒に振ったということだ。プラネット・ウェイブの人事担当者の言ったことは正しい。ウバステは弱者どもが群れをなす貧民街だ。一度入ったら最後、ここから出ることはできない。だが、ヒロ、お前はここから出るチャンスに巡りあった。なのに断った。お人好しを通り越して、もはやただの愚の骨頂だ」


「そんな」


 ヒロキの瞳から涙が溢れだした。


「カズヤ、ヒロに謝れ」


 カズヤは片膝を立て、腕を乗せた、再びうつむく。


「いつまでそうやって馴れ合いの仲間ごっこを続けるつもりだ?」


「何だと?」

 

 リュウスケは右手の拳を強く握った。


「もう飽きたんだよ。革命の真似事には。俺は抜ける。二人でせいぜい楽しくやってくれ」


 リュウスケは拳をカズヤの左頬にたたき込んだ。カズヤは横に倒れ、重ねられた本の山が崩れた。


「一人目の実験が成功した」


 倒れたまま、口から流れる血をジャケットの袖で拭いながら、カズヤが告げる。


「お前たちに教えてやる。セカンド・チャンス政策の実権を握っているのは文部科学省ではない。厚生労働省だ。そしてその正体は安楽死だ。記憶の置き換えなどではない。リュウスケ、お前の可愛いあの娘もいずれ、天に召されるというわけだ」


 リュウスケはカズヤの身体の上に覆い被さった。白シャツの胸元を掴む。


「それとな、ベースメントになぜ一度もガサが入らなかったのか。その理由も教えて

やる。俺が裏から手を回した」


 襟首を掴んでいる両手の力が少しづつ緩んでいく。


「手を離せ、愚民が」


 カズヤは目を見開いた。瞳から放たれる侮蔑がリュウスケの心を貫く。


「一体何者だ、お前は?」

 

 リュウスケの全身から力が抜けていく。カズヤは上半身を起こし、リュウスケに顔を近づけた。


「俺の名前は加藤裕太。文部科学省の官僚だ。世間からは統治者と呼ばれている」


 思考が言葉を理解する前に、拳がカズヤの頬を捉えた。リュウスケはカズヤの黒髪を掴み、立ち上がった。胸元を掴み、カズヤの身体を壁に押しつける。


「全部てめえの描いたシナリオか」


 リュウスケの頬を涙が伝う。


「すべてではないがな。さあ、そろそろお迎えの時間だ」


 三人の警察官の姿が、リュウスケの視界に入った。時間の流れが遅く感じられた。映画のスローモーションのように、上半身を拘束され、両腕に手錠が近づいてくる。


「後は頼む」


 カズヤの声が聞こえる。


「午後11時34分。片桐竜介、傷害罪の現行犯で逮捕する」


 リュウスケの頭の中に、自分の名前を泣き叫ぶヒロキの声が何度も響いた。

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