第三章 友を待つ
第33話 漆黒の闇の中で
「爆弾倉庫はどこにある」
「知らねえ」
拳が飛んでくる。
「拳銃の密輸ルートを教えろ」
「それも知らねえ」
下腹部を蹴られる。
「アジトはお前の家の地下か。答えろ」
「スコップ使って掘ればいいじゃねえか。いい運動になるぜ」
「なあ、片桐よう」
取調官の赤黒い、脂ぎった顔が近づいてくる。
「ネタは掴んでんだ。後はお前がゲロすりゃいいだけの話なんだよ」
全身の感覚が麻痺している。殴られても蹴られても、何も感じない。
「弁護士に会わせろ」
浅い呼吸で告げた。
「お前の弁護を引き受ける弁護士なんざ、世界中探してもいやしねえよ」
「ネタはあがってるって抜かしたな。世界中探したのか?」
髪を掴まれた。
「お前は何にもわかっちゃいねえな。ネタってもんは探すもんじゃねえんだ。作るもんなんだよ」
「でっち上げか。あんた三流週刊誌の記者にでも転職したらどうだ。そっちの方がよっぽど稼げるかもしれないぜ?」
「よう、ロックの兄ちゃん」
再び顔が近づく。
「シャバに出たいか?」
「いくら欲しいんだ?」
取調官は低く、引きつった声で笑いはじめた。
「長いことこの仕事してるが、取引を持ちかけるザコには初めて会ったよ」
「そうか。そりゃ運命的な出会いだな。あんたが男だったのが残念だよ」
「言っておくが、シャバは危険だぞ」
取調官はゆっくりとした口調で告げた。
「ここよりはマシだろうが」
「片桐、お前さんの名前は日本中に知れ渡っている。この意味分かるか?」
「有名税でも納めろってのか?」
「それは税務署に訊け。シャバにはなあ、お前を狙ってる奴がウヨウヨいるわけだ」
「ずいぶんとまあ、ヒマな連中だな。会えるもんなら会ってみたいよ」
「シャバよりも安全な場所がある。どこだと思う?」
取調官は口元を歪め、不敵な笑みを浮かべた。目の奥には値踏みをするような光が宿っている。
「さあな、天国か」
「お前には地獄がお似合いだ。教えてやる。ムショだ」
「仲間たちが俺を待ってるってわけか」
「そうだ。ムショならお前の身の安全は保障される。なあ、片桐、シャバにはもうお前の居場所はないんだよ。命が惜しけりゃ全部吐け」
頬を掴まれたリュウスケは、手錠でつながった両腕で取調官の右腕を振り払った。
「あいにくだが、何も食ってねえから吐きたくても吐けねえんだよ」
★
気がつくと、ざらついたコンクリートの硬く冷たい感触が頬に伝った。わずかだが、麻痺した感覚が戻ったのか。
ここはどこだ。全身に寒気を感じる。
いつからここにいるんだ。分からない。俺は誰だ。何者なんだ俺は。どうしてこにいる。何故身体中が屈辱まみれなんだ。
洗面台からだろうか。水滴の音が聞こえる。数えはじめる。一、二、三、四。五七まで数えた。
ああ、そうか思い出した。俺は逮捕されたんだ。どこで逮捕されたのか。カズヤの部屋だ。あいつの正体を知ったからだ。あいつの敷いたレールの上を走っていたら、突然、崖っぷちが現れてそこから落ちたんだ。
ヒロ、お前は今どこにいる。お前の叩くドラムの音が聴きたい。踏み込みの強いキックドラム、抜けの良いスネアドラム、そいつに合わせてベースを鳴らしたい。そうだ俺はベース弾きだったんだ。
バンド、スリル・フリークス、ロックンロールで、サチ、お前を救おうと、あがき続けてきたのか。俺のかけがえのないものをばかりだ。
香織、お前と日比谷野音で話したな。覚悟を決めなければって。ようやく見えてきたよ、覚悟が決まりそうだ。
でも、もう遅い。ごめんな、サチ、もう限界だ。今、何時なのか、まったく分からないが、またあの部屋に連れていかれると思うんだ。シャバに出て、サチに会いたい。せめてお前と最後の挨拶をしたいんだ。
だけど、シャバにはもう、俺の居場所はないらしい。すべてが遅すぎたんだ。こんな場所で覚悟が決まった。笑ってくれ、サチ。
香織、次にあの部屋に連れていかれたら、すべて吐くよ。どうやらムショの方が安全らしいんだ。何年食らうのか分からないが、日本中から危険思想保持者と呼ばれているんだから、ちょっとやそっとじゃ、出てこれないと思う。月並みな言い方しかできないけれど、幸せになれよ。
お袋、姉ちゃん。こんなことになっちゃったよ。二人にお願いがあるんだ。俺は死んだと思ってほしい。アクリル板に挟まれて、二人に会うのは耐えられない。わがままを言ってすまない。
ウバステのみんな、調子はどうだ。テレビで俺の顔を見たか。もう信じてもらえないかもしれないけどさ、俺はみんなのことが大好きだったよ、心から。たった三年しかいなかったけど、外では味わえない温もりをいっぱい貰った。俺の大事な宝物だ。バレないように塀の向こう側に持っていくよ。毎日毎日、磨いてさ、大切にするから。
ロックンロールの神様、もしいるのなら聞いてほしい。今まで本当にありがとう。俺は、ガキの頃から、あんたの音楽を聴いていた。親父が好きだったんだ、あんたのことを。それで、気がついたらベースを手にしていた。そして、ある女の子を救うために、あんたの力を信じようってことになった。最初は信じることができなかった。でも今は違う。あんたの持ってる力を信じている。ウバステにベースメントっていうライブハウスがある。そこで演ってるバンドたちを温かく見守ってやってほしい。
自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきたよ。俺ぼちぼち行くわ。これが最後だ。みんなのことを愛している。もし聞こえても、返事はいらない。どうも湿っぽいのは苦手なんだ。だから最後にもう一度だけ言うよ。みんなを愛している。
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