第34話 来訪者

「片桐、出なさい、面会だ」


「片桐、起きなさい、聞こえているのか?」


 リュウスケは、ゆっくりと目を開いた。起き上がると、鉄格子の向こう側に係官が立っていた。


「すまない、もう一度、用件を教えてくれ」


「面会だと言っている。出なさい」


 係官は施錠を解いた。金属音が響く。誰だ、弁護士か。


「止まりなさい」


 冷え切った廊下の一番奥の部屋の前で、リュウスケは歩みを止めた。係官がドアを開けようとしている。誰だ、俺を待っているのは。


「入りなさい」


 促され、中へ入る。アクリル板の向こうに、見知らぬ男が座っている。歳は自分と同じくらいだと思われた。グレーのスーツに赤いネクタイ、髪はオールバック、縁なしの眼鏡をかけている。この男が弁護士か。


「座りなさい」


 パイプ椅子に腰掛ける。上半身を起こそうとした瞬間だった。


「無様な姿だな、リュウスケ」


 リュウスケは耳を疑った。擦れた声。この声は。


 アクリル板の向こうを凝視する。眼鏡の奥に切れ長の目が鋭く光っている。


 服装も髪型も違う。だが目の前にいるのは確かにカズヤだった。


「二人にしてほしい、外してくれ」


 事務的な口調で、カズヤは係官と書記官に告げた。二人きりになった面会室に沈黙が流れた。カズヤの視線はまっすぐにリュウスケを捉えている。リュウスケの内側から熱が湧き上がる。


「てめえ、どのツラ下げてここに来やがった」


 立ち上がり、アクリル板に拳を叩きつけ、叫んだ。怒声が部屋に響く。


「座れ。お前に伝えたいことがあってここに来た」


 カズヤは冷静な表情、口調で告げ、眼鏡を外した。リュウスケは拳に力を込めながらパイプ椅子に座った。


「サチの実験日が正式に決まった。一ヶ月後だ」


 全身が硬直する。口の中が乾き、全身の痛みが消え、膝が震えはじめた。


「サチは、あいつは、それを知ったのか?」

 

 震える声で尋ねた。


「多少手間がかかったが、実験日通知書の発送日を掴んだ。人を使ってお前の家のポストを張らせた。そして投函直後に通知書を処分させた。だからサチは知らない。このことはヒロにもメールで伝えてある」


 この男は何故、そんなことをするんだ? 真意がまるで分からない。


「リュウスケ、取り調べが終わり、起訴、公判手続、判決まで、どう見積もっても三ヶ月はかかる。つまり、お前はこのブタ箱でサチの寿命を指折り数えることになる」


 カズヤは再び眼鏡をかけた。


「ただ、サチを救う方法がひとつある。聞きたいか?」

 

 こいつは一体何を考えている? リュウスケはアクリル板の向こうを凝視した。カズヤは依然として冷静を貫いている。


「教えろ」


「その前に、お前に訊きたいことがある。一度しか言わない。よく聞いてほしい」


「とっとと喋りやがれ」


 リュウスケは再び怒声をあげた。


「リュウスケ、お前は本当にサチを救いたいと思っているのか?」

 

 面会室に沈黙が流れる。この男の狙いはどこにある。当たり前のことを今さら訊いてどうするつもりなんだ。


「どうなんだ、リュウスケ? イエスなら右を向け、ノーなら左を向け」

 

 リュウスケはゆっくりと首を右に向けた。


「そうか。分かった」


「俺は答えた。次はお前の番だ。サチを救う方法を教えろ」


 リュウスケは身を乗り出して尋ねた。


「いや、まだだ。リュウスケ、お前に提案したいことがある」


 カズヤはネクタイを緩めた。

「俺の父親は、警視庁のキャリアだ。電話一本で、今回の事件を不問に付すことができる。シャバに戻れるわけだ。どうするリュウスケ、この提案を飲むか?」

 

リュウスケは思考を巡らす。ここで毎日毎日、サチの実験日が近づいてくるのをただ待っているだけ。俺には耐えられない。この男の提案を飲めば、少なくともサチに会える。 たとえ、この男の提案が罠であったとしても、それでもあいつの顔が見たい。


「お前の提案を飲む。さあ、もういいだろう。サチを救う方法を、今すぐ話せ」


「ここでは話せない。ベースメントで教える。ヒロにも来るように連絡しておいてくれ」 


 カズヤはそう告げると、スーツのポケットから、スマートフォンを取り出した。


「手続きを頼む。あと、傷の手当てを」


 カズヤは、椅子から立ち上がった。


「いいか、リュウスケ、サチを救いたいのなら、秘密を守り通すんだ」


 カズヤは、面会室から去っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る