第35話 ギター・ボーカルの真意

 釈放されたリュウスケは、ベースメントに到着した。時計の針は午後四時を示していた。 


 テーブルにヒロキの姿があった。ヒロキの隣に腰掛ける。


「リュウくん、大丈夫? 痛みはどう?」


 ヒロキが心配そうに尋ねた。


「大丈夫だよ、ヒロ。あいつはまだ来てないのか」


「うん。かれこれ一時間近く待ってるんだけど、まだ来ない。それにしても大変なことになったね」


「ヒロ、これ以上その件については話すな。盗聴の危険がある」


 二人は無言のまま、カズヤの到着を待った。15分ほど経過した頃、カズヤが現れた。 


 白い襟付きのシャツに黒いジャケット、黒髪の前髪が目にかかっている。いつものカズヤの姿だったが、顔面は蒼白だった。炭酸水のボトルを片手に持っている。


「すまない。待たせた」


 テーブルを挟んで、リュウスケの真正面に腰掛けた。


 ヒロキが目の前にあるグラスを手に取り、カズヤの顔に水をかけた。ヒロキの顔は震えている。席を立ち上がり、カズヤのそばへ近づこうとする。


「ヒロ、席に戻れ、この男の言い分を、まずは聞くんだ」


 ヒロキは全身を震わせながら、席に戻った。


 カズヤは、ハンカチで顔を拭くと、炭酸水のボトルのキャップを開け、口に含んだ。


「最初に、はっきりとさせておきたいことがある。俺が関わったのは、統治者の仮面を被っていたこと、ヒロへの懐柔工作、リュウスケを売ったこと。この三つだ。盗聴器、サチの自叙伝、ギグに集まったあの異様な連中。これらには一切関与していない。おそらく厚生労働省の仕業だろうと思う」


「言い訳のつもりか」


 リュウスケは語気を強めた。


「そうではない。話の焦点を明確にしておきたかった。順を追って話す。少し長くなるが聞いてほしい」


 再び炭酸水を口に運ぶ。


「話せ」


 リュウスケは低い声で告げた。


 カズヤは両肘をテーブルの上に乗せ、手を組み、話しはじめた。


「俺はずっと、この腐りきった国を根底から覆そうと考えていた。そのためには大衆を味方につけることが必要だった。以前、ここで二人に話した通りだ。まずは学ぶことからはじめた。カント、ヘーゲル、マルクス、ナチス政権下のドイツの文献、太平洋戦争時代の軍国主義の資料、あらゆる哲学、思想、文献を手当たり次第読み漁った」


 リュウスケの頭に本に囲まれたカズヤの部屋の様子が浮かんだ。


「次は実践だ。統治者という仮面を被って、アイ・シンクでメッセージを発信しはじめた。しばらくたった頃、どのポイントを突けば大衆の心に響くのか、どういうタイミングでメッセージを発信すれば効果的なのか、様々なことが、理屈ではなく皮膚感覚で実感できるようになったんだ。だが、言葉には限界がある。ましてや毎日トレンドが入れ替わるSNSの世界だ。大衆は熱しやすく、冷めやすい。いずれ飽きられる時がくるだろうと思っていた。そんなとき、ガキの頃からさんざん聴いてきたロックンロールという言葉が頭に浮かんだ。ロックンロールが誕生したのは一九五〇年代だ。そこから、どんなにトレンドが移り変わろうが、新しいジャンルが生まれようが、ロックンロールはしぶとく現在まで生き抜いてきた。俺はロックンロールでこの国を覆してやろう、そう思うようになった。だからウェブ上で、メンバーを募った。そして、お前たち二人とここで出会った。初めてのセッションで、クリームのクロス・ロードを合わせたとき、このバンドは世界に真っ向から立ち向かえる存在になるのではないかと思った。理由はない。直感だ。そして、リハやギグを重ねていくにつれて、その予感はどんどん確信に近づいていった。だが、俺の確信は甘かった。サチが被験者に選ばれたとき、俺はフリークスの音楽でサチを救おうと考えた。その直後、凄まじい恐怖、不安、疑念に襲われた。これは俺の勝手な誇大妄想にすぎないのではないか、そんな人間に一人の少女を救う資格が本当にあるのか、ヒロ、リュウスケを巻き添えにしてまうことへの罪悪感もあった。気が変になりそうだった。ドラッグに逃げた。そしてようやく、気が狂う寸前のところで、やっと覚悟が決まった。ロックンロールに自分の命を賭けよう、そう決意したんだ。だが、俺一人が決意を固めたところで、サチを救うことなどできはしない。二人の力が必要だった。二人の決意、それを自分のこの目でどうしても確かめたかった。だからヒロ、お前に餌をまいた。ヒロは餌を拾わなかった。俺はヒロの決意に触れることができた。後はリュウスケ、お前だった。お前とは事あるたびに意見がぶつかり合ってきた。ちょっとやそっとのやり方ではお前は変わらないと思った。そこでお前をこの世界のどん底まで突き落とす必要があると考えた。お前を危険思想保持者に仕立て上げ、国家権力にお前を売った。誹謗、中傷、孤独、肉体的苦痛、屈辱、不信、絶望。すべてを乗り越えて、俺と同じように決意を固め、這い上がってきてくれるはずだ、そう信じた。リュウスケ、お前のベースは人の心を打つ。大衆の心に響くんだ。自分の力を信じてほしい。俺はお前のベースがなければ、たった四小節のリズムでさえ刻むことができないんだ。だからもう一度言う。自分の力を信じるんだ。長い話になったが、俺の取った行動は卑劣きわまりないものであることには代わりはない。この通りだ」

 

 カズヤは上半身を傾け、両手と顔をテーブルに乗せた。


「顔を上げろ」

 

 カズヤは上半身を起こした。


「お前の考えは分かった。だが俺もヒロもお前を完全に信じているわけではない。サチを救う方法を教えろ」


「テレビ局を押さえた」


 カズヤがゆっくりと告げた。


「今週の金曜日、関東テレビの音楽番組『ミュージック・サテライト』生放送の番組にフリークスは出演する」


 ミュージック・サテライトは関東テレビの看板番組だ。外のメジャーバンドやアイドルたちが多く出演している。そこに俺たちが出演するのか。


 隣のヒロに視線を向けると、あっけにとられた表情を浮かべている。どういうつもりだ。


「テレビに出演することと、サチを救うことにどんな関係があるんだ」


「金曜日になれば、すべてが明らかになる。どうだ二人とも、この話に乗るか」


 戸惑いを感じる。この男は文部科学省の官僚だ。こいつはまた、俺たちをハメようとしているのではないか。こいつの船は泥船なんじゃないか。リュウスケは静かに口を開いた。


「分かった。その話に乗る。その代わり、二度目はないぞ。少しでもお前に怪しい動きがあれば、その時、お前の命はないと思え。これでいいな、ヒロ」


 ヒロキは黙ってうなずいた。


「了解した。そのときは俺を殺してくれて構わない」


「で、どの曲をやるの。フリークス、曲がいっぱいあるから、選ばないと」


 ヒロキはたどたどしい口調で尋ねた。


「いや、オリジナルはやらない。カバー曲をやる」


「どのカバーをやるんだ」


「スタンド・バイ・ミーだ」


「え、確かに名曲だけどさあ、インパクトが弱くない? やっぱりオリジナルの方が」


 ヒロキが弱々しく声をあげた。


「ヒロ、芸能界は、官僚の世界と同じくらい厄介なんだよ。狡猾に立ち回る必要がある。定番のコード進行だから事前に合わせる必要はないと思う。キーはAだ。イントロは俺がリズムを刻むから、二人とも、どこかのタイミングで入ってきてほしい」

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