第31話 中指を立てたパンクロッカー

 ヒロキは自身が経営している会社「プリティ・ベイカント」でハードディスクをコンピュターに接続した。


「これでいけるかなあ?」


「大容量ですもんね。復元できるといいんですけど」


 部下が答える。


 経済特区特別措置法の管理下にあるウバステでは、ネットでの検索ワードが規制されている。


 プリティ・ベイカントは地下プロバイダーとして、ウバステ住民の自由なウェブ環境を提供しているが、表向きはコンピューターの修理屋として営業している。

 

 雑居ビルの三階、ヒロキを含めて四人体制で業務をこなしているが、部屋は決して広くはない。それでもヒロキはこの空間に心地よさを感じている。

 

 社長と呼ばれることが苦手で、従業員三人は「ヒロキさん」と呼ぶ。ヒロキ自身も部下というよりも、仲間のような存在だと思っている。


「あ、読み込みはじめた」


 ハードディスクがモーター音をたてた。


「いけそうですね」


 一分ほど経過した後、コンピューターがハードディスクを認識した。クリックし、ハードディスクの中身を確認する。


「えーと、復元フォルダーの名前って何だったっけ?」


「家族写真っていうフォルダー名ですね。見つかりそうですか?」


 部下が復元依頼書を見ながら答える。


「どこだろう? あ、あったこれだ」

 

フォルダーをクリックすると、画像ファイルのアイコンが現れた。アイコンの数は30ほどだった。

 

 そのうちの一つを選びクリックすると、画面に画像が表示された。駄菓子屋の前で、両親、中学生くらいの女の子、弟と思われる男の子が微笑んでいる。


「あーよかったー。ようやくたどりついたね」


「やりましたね。ヒロキさん」


「いい写真だね、これ」


 ヒロキの胸に自分の家族の姿が浮かんだ。最近色々あって連絡してないけれど、みんな元気にしてるだろうか。


 他の画像ファイルも異常がなかった。時計は午後六時を過ぎていた。今日は午前中からずっと復元作業に取り組んでいたが、疲れはまったく感じない。


 ヒロキはスマートフォンで、依頼者に連絡し、復元が完了したことを告げた。依頼者の喜ぶ顔が目に浮かぶ。


「ヒロキさん、そろそろ値上げしましょうよ? 外だったら破格の作業費ですよ?これ」


「うーん。でもこのままでいこうよ。ウバステ価格ってことでさ。それより今日はみんな上がろうよ。最近残業多かったし、みんなゆっくり休んで」


「ヒロキさんは?」


「俺はさっきの画像ファイル、納品に行くから」


「明日にすればいいのに」


「だって、お客さん楽しみにしてるじゃん」


 ヒロキは部下が帰宅した後、画像ファイルを小型メモリーチップに転送した。

 

 自分のデスクに戻り、缶コーヒーを一口飲み、大きく息を吐いた。サチが被験者に選ばれてから、今日までに起こった出来事を振り返る。


 サチが秘密を知ってしまったとき、自分は泣きじゃくってしまった。でも今は違う。どんな困難が待ち受けていようと、絶対にサチを救い出す。


 ヒロキは机の引き出しから一枚の写真を取り出した。写真に向けて語りかける。絶対助けるからね、サチコちゃん。

 

 ドアをノックする音が聞こえた。お客さんかな? ヒロキは入り口のドアを開けた。

 

 すると、男が一人、ヒロキの視界に入った。

 

 紺色のスーツに、短く切り揃った髪、知性を感じさせる大きな目、日焼けした健康的な顔色。


 ウバステの住民ではないことはすぐに分かった。外の人物だ。何の用だろう?


「修理のご相談でしょうか」


如月広樹きさらぎひろきさんですね?」

 

 何故自分の名前を知っているのだろうか?


「事前のご連絡もせず、お伺いしてしまい、誠に申し訳ございません。私、こういう者です」


 男が両手を添えて名刺を差し出した。


「プラネット・ウェイブ 人事部 マネージャー 望月健太郎もちづきけんたろう」とある。IT業界では知らない者はいないトップクラスの企業だ。


「あの、どういったご用件でしょうか?」


「実は如月様にご相談したい案件がございまして、お伺いさせていただきました。お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

 

 望月は、いかにもビジネスマンらしい礼儀正しい口調で告げた。


「どのような案件なんでしょうか?」


「実は弊社の技術開発部門が、あるプロジェクトに取り組んでいるのですが、ちょっと壁にぶつかっておりまして。如月様のお知恵を拝借させていただけたらと」


「僕がですか?」

 

 何故、この男は自分のスキルを知っているのだろうか?


「ええ、外に車を用意しておりますので、別の場所でいかかでしょうか? あ、もしもご予定がおありでしたら、改めてお伺いさせていただきます」


「今日は特に予定はありませんけど」

 

 心の迷いがあったが、依頼者への納品は明日にしようと決めた。


「そうですか。それならば、是非。いかがでしょうか?」


「僕でお役に立てるのなら」


「ありがとうございます。それでは、ご案内させていただきますので」


 運転手付きの高級外車はA3番のレストランの前で停車した。


               ★


「あ、君、いつものを頼むよ」


 望月はソムリエに告げた。


「如月様、ここは美味いワインを飲ませるんですよ」


 テーブルの数は30ほど、広い店内をシャンデリアが照らしている。床は深紅の絨毯。


 壁には絵画が並べられ、テーブルには純白のテーブルクロス、その上にワイングラスが輝いている。

 

 ヒロキは店内を見回した。こんな場所に来たのは生まれて初めてだ。他の客はみな、スーツ、ドレス姿だった。


 セックスピストルズのTシャツに穴のあいたデニム姿の自分はどう見ても不釣り合いだった。

 

 ソムリエがヒロキのグラスに赤ワインを注いだ。ワインなど数回しか飲んだことしかない。


「間もなくチーズも来ますので。これも絶品なんですよ」


 ヒロキは慣れない手つきで乾杯した後、口を開いた。


「あの、どのようなプロジェクトなんですか。ネットワーク関連でしょうか?」


「ええ、実はこういったお話なのです」


 望月は一枚の紙をヒロキに差し出した。受け取ったヒロキは、記載されている文字、数字を見て声を上げた。


「話が違うじゃないですか」


 周囲の客の視線を感じる。


「如月様、失礼をお許しください」


 望月は深々と頭を下げた。


「僕はITの開発案件と聞いてここに来たんですよ。なのに採用条件のご提案って、全然違う話じゃないですか」


「如月様、どうか私の話をお聞きください。この通りです」


 望月は、再び頭を下げた。


「頭を上げてください。どういうつもりなんですか?」


「単刀直入に申し上げます。如月様を弊社にお迎えしたいのです」


 望月はヒロキの目をまっすぐに見つめ、告げた。


「どうしてですか?」


「如月様の高いITスキルが必要なのです。今一度、先ほどお渡しいたしました弊社のご提案をご覧ください。ネットワーク部門のマネージャー職、年収ベースで1500万円の条件でのご提案となります」


「興味がありません。僕は帰ります」


 ヒロキが立ち上がろうとした瞬間だった。


「如月さん、ここはひとつ、腹を割って話しましょうよ」


 望月の態度が急変した。声のトーンも低くなり、威圧感を感じる。ヒロキは立ち上がることができなかった。


「このヘッドハンティングはね、如月さんだけの話じゃないんですよ」


 望月はワインを一口飲んだ。


「どういう意味ですか?」


「如月さんの部下、佐々木さん、黒田さん、松井さんにも、オファーを出しているんですよ。すでに黒田さんからは正式に受諾を取り付けてあります。佐々木さん、松井さんのお二人も大変興味を持たれていました」


 ヒロキは今日、一緒にハードディスクの復元に取り組んだ黒田の顔を思い出した。そんなはずはない、黒田君がそんな決断をするわけがない。


 ヒロキはポケットからスマートフォンを取り出し、黒田に電話をかけた。出ない。


 次に佐々木に電話をかける。やはり出ない。松井も同じだった。


「そういうことなんですよ、如月さん」


 望月は不敵な笑みを浮かべている。


「要は、人は金で動くということです。ねえ如月さん、たった一人で会社を回せますか? 無理ですよね。そうなると遅かれ早かれ、あなたは職を失うことになる。こんな時代ですよ。新しい仕事なんてどこにもありません。経済特区B13番で飢え死にするつもりですか? 発想を変えましょうよ。ウチに来れば人生の勝ち組になれるんですよ? あんな貧民街でくすぶっているよりも」


「お前、今なんて言った?」


 ヒロキはゆっくりと立ち上がった。


「もう一度訊く。お前、今何て言ったんだよ? 答えろ」


「如月様、周りの目もあります。どうか心をお静かに」


 望月は囁くように諭した。


「あんな貧民街と言ったな。ウバステを舐めるんじゃねえよ。無職、飢え死に、上等だよ。俺にはウバステでやらなきゃいけないことがあるんだよ。お前みたいな金のことしか頭にない奴には一生かかってでも手に入れることのできない大事な宝物がウバステにはあるんだよ。人生の勝ち組? 俺はとっくに勝ってるよ。お前、この意味わかるか?」

 

 ヒロキは中指を立て、狼狽する望月の顔に近づけた。


「死ね、このクソ野郎っていう意味だ。よーく覚えとけ」

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