第45話 絶たれたわずかな希望の光

 10日が経過した。サチの実験日まであと5日。依然、カズヤは戻ってこない。連絡もなしだ。その間、リュウスケとヒロキは二人で毎日ベースメントで音を出した。

カズヤがいつ戻ってきてもいいように、今できる限りのことをしようと思った。


 そして何よりも、カズヤは必ず帰ってくると強く信じた。

 

 午前8時。リュウスケはソファーに腰掛け、テレビの情報番組を眺めていた。

 外のおすすめグルメスポット、話題のショップ、映画や音楽。画面と音声は次々と切り替わっていく。


「サチ、お前が外にいた頃も、こんな感じだったのか?」

 

 となりのサチに尋ねる。


「全然違うよ。ファッションだって聞いたことのないショップもどんどんオープンしてるし。こんな大きなショッピングモールも私がいた頃はなかったもん」


 サチが画面を指さす。


「そっか、シゲさんの件はあったけど、ここは全然変わらないなあ」


 コーヒーを口に運んだ。


 CMが開け、今日の特集をテレビが告げた。画面が切り替わる。


「はい。私は今日、経済特区B13番に来ております。レトロな風情が漂うこの地区は、今、隠れた観光スポットとして、大変な注目を集めているんです。今日はこの地区の魅力にたっぷりと迫ってみたいと思います」

 

 紺色のスーツ姿の女性レポーターが、語りかける。


「何だよ、ここかよ」


 レポーターが、店を訪問している。


「まずは、駄菓子屋さんですね。他の地区では出会うことのないお菓子やおもちゃがたくさん並べられています。さっそく、お店の方にお話をお伺いしたいと思います」


 よく知った顔が画面に映った。


「おい、これ、ミキちゃんじゃねえか?」


「あ、ほんとだ。すごい緊張してるね、ミキちゃん」


 画面が突然、切り替わった。スーツ姿の男性アナウンサーの上半身が映っている。


「番組の途中ですが、ここで臨時ニュースをお伝えいたします。警視庁は今朝、元文部科学省勤務、通称、相沢和哉、本名、加藤裕太容疑者の身柄を拘束したことを発表しました。繰り返します」


 全身が硬直し、血の気が失せていくのを感じる。本当なのか。あいつが拘束。本当か。

 

リュウスケはソファーから勢いをつけ、立ち上がると、自室へ走った。ネットはどうだ。


 汗の滲んだ手でコンピューターの電源を入れる。ネットブラウザをクリックする。繋がらない。不具合か。


 スマートフォンで、ヒロキに電話をかける。


「あ、おはよう、リュウくん」


「ネットが繋がらない。どうなっている?」

 

 リュウスケは語気を強め、尋ねた。


「そうなんだよ。朝からお客さんから電話がどんどんかかってきてさ」


「テレビ見たか? あいつが、カズヤが拘束された」

 

 ヒロキの驚く声が聞こえた。


「お前は情報をかき集めてくれ。これはただのトラブルじゃない。おそらく連中がネットを封鎖したんだと思う。何か分かったらすぐに連絡をくれ。分かったな、ヒロ」


 通話を終えたリュウスケは、診察室で呆然と画面を見つめているサチに声をかけた。


「サチ、今日の予定は?」


「夜から明け方まで、ボーカルのレッスン。でもこんなことになって」


「行け、お前の大切な物を守れ。いいな。俺はベースメントに行く。守らなくちゃいけない物を守りに行く」


      ★


 リュウスケの視界に映ったのは、いつもと変わらないベースメントの景色だった。15席のテーブルに椅子、ステージの様子。すべてが普段通りだ。


「松浦さん、何か変わったことは?」


「特にないよ。それよりカズヤ君が」


「うん。ニュース見た。おまけにネットも繋がらないしさ」


「とにかく、この場所は俺が守るから」


「ありがとう。松浦さん。心強いよ。お客さんが全然いないけど」


「ああ、いつもならモーニングの客が来るんだけど。まあ、こういう商売だからね。ちょくちょくあるんだよ、こういう日が」

 

 リュウスケの胸に少しづつ安堵感が広がる。取り越し苦労だったか。

 

 わずかな声が、リュウスケの耳に届く。声は徐々に大きくなり、やがてリュウスケの聴覚を支配した。思考が理解する。これは怒号だ。

 

 次の瞬間、ベースメントの扉が開き、人間たちが一斉にホール内に押し寄せた。50人、いや100人以上の人間が、ステージに向かって突進している。全員が同じ表情を浮かべている。顔は深紅に染まり、目は血走り、口元が歪んでいる。そして、全員が低いうなり声をあげている。


 リュウスケの記憶から、あの光景がよみがえる。そうだ、セカンド・チャンス政策反対ギグをここで打ったときと同じだ。あのときは異様な笑顔だった。表情と声はまったく別物だが、この連中が正気でないことは、あのときと同じだ。


 首から都民管理カードを下げた群衆は、松浦を取り囲み、殴り、蹴った。そしてあっという間にステージを占拠し、設置されているベース、ギター、ドラムセットに手をかけた。


 リュウスケは切り裂くような叫び声をあげた。やめろ、ヒロの、カズヤの、俺の、たったひとつの武器から手を離せ。今すぐに正気に戻れ、壊すな、俺たちの宝物を。

 

 リュウスケはステージに上がり、ベースに手をかけている男に体当たりした。しかし、すぐに群衆たちに全身を拘束され、身動きが取れなくなった。手を離せ、絶叫した。


 気がつくとリュウスケは、ホールの最前に立っていた。目の前に映った光景は、無残に砕け散ったドラムセット、ギター、そしてベースだった。

 

 熱い涙が頬を伝う。全身を虚脱感が覆う。リュウスケの胸には、このステージを、三人の宝物を守れなかった喪失感と罪悪感が、梅雨空の雨のように、静かに降り続いていた。

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