第41話 芝居をうったベーシスト

 診察室の時計は午後4時30分を示していた。


「おーい、サチ」


 自室にいるサチを呼んだ。


「どうしたのー?」

 

 サチが診察室に現れた。


「ちょっと、出かけてくるから」


「分かった、香織さんとデートでしょ?」

 

 サチが悪戯っぽい笑顔をむける。


「そうじゃねえって」


「香織さんって、リュウちゃんの元カノでしょ?」

「それ、お前なんで知ってんだよ?」


「香織さんから聞いたの。リュウちゃんのこといっぱい聞かせてくれた」


「あいつ、何を喋ったんだよ、まったく」


「それは内緒」


「とにかく今日はデートじゃない」


「どこ行くの?」


「ああ、ちょっとお芝居の稽古だ」


 トロッコバイクに乗り、リュウスケはA2番で降りた。

 地上に上がり、高層ビル群の並ぶアスファルトの道を15分ほど歩いた。ここだ。

 

 入り口に「ニュー・センチュリー・ホテル」の金色のプレートを見つけた。

 

 上方に視線を向ける。五〇階以上はあろうかと思われる一流のホテルだった。

 

 中へ入る。赤い絨毯が敷かれた広いロビーで《セカンド・チャンス政策・学術講演会》の立て札を見つけた。7階ホールか。

 

 エレベーターで7階を目指す。ホールの扉を開けると、500人ほどの人間が、すでに椅子に腰掛けていた。リュウスケは、一番後ろの席に座った。

 

 ホールの時計を見る。午後5時。いよいよか。女性の司会者が壇上に現れた。


「本日はご多忙のなか、たくさんのみなさまにお集まりいただき、誠にありがとうございます。本日の講演者は厚生労働省・医政局長 美咲秀一郎様でございます。みなさまどうぞ拍手でお迎えください」

 

 割れんばかりの拍手の中、美咲がゆっくりとした歩みで壇上に現れた。この男か。


「皆様、美咲でございます。本日は皆様の貴重なお時間をお借りし、大変光栄に存じております。切迫した国家財政、人口減少、高齢化社会、格差社会による富の偏在、上昇し続ける失業率、蔓延する精神疾患、自殺者の増加。今、我が国が抱えているあらゆる問題、それらをすべて解決し、この素晴らしい国、日本を救いたい、その思いを胸に、厚生労働省では日々、セカンド・チャンス政策に取り組んでおります」


 すると、客席から怒号が上がった。


「綺麗事を言うな」


「安楽死だろうが」


「本当のことを言え」


 会場は騒然となった。警備員が声の主へ近づき、ホールの外へ連れ出した。


「みなさま、どうぞ心をお静かに。セカンド・チャンス政策に対して、様々なご意見をお持ちの方がいらっしゃることは、私も十分承知しております。国民のみなさまの意見に寄り添い、耳を傾けたい。そして活発な議論をしていただきたい。厚生労働省では、みなさまのご意見を賜る場を設けております。厚生労働省のホームページに、セカンド・チャンス質問箱というページがございます。すべてのご質問にお答えいたします。みなさまのご意見やご質問を心よりお待ち申し上げております」

 

 会場に拍手が響いた。

 

 美咲の講演は続いた。スライドを用いながら、記憶の置き換えについて、医学的根拠を示しながら、美咲は意気揚々と客席に向かって語り続ける。よくもまあ、こんなデタラメを並べられるものだと思う。

 

 美咲の講演は2時間で終了した。ホール内に拍手が響きわたる。


「本日の講演は以上となります。この後、隣のホールにて、立食パーティーがございます。お時間の許す限り、お楽しみください」


 リュウスケはホールを出ると、一階へ戻った。ソファーに腰を下ろす。ここで1時間、いや2時間待とう。

 

 やがて2時間が経過した。時刻は午後9時。そろそろだ。

 

 エレベーターで、7階を目指す。パーティーの行われているホールに入った。20席ほどの円形のテーブルにサンドウィッチなどの軽食、各種アルコールが並べられている。そんなものには用はない。目的の人物を探す。

 

 いた。ホールの一番奥に、取り巻きに囲まれている。リュウスケはゆっくりと距離を縮めていく。


「これはこれは。ここでお会いできるとは思ってもみませんでしたよ」


 美咲の方から近づいてきた。予想どおり、いい感じに酔っている。足下は少しふらつき、顔は真っ赤に染まっている。


 リュウスケは酒に酔った美咲の顔を凝視した。


「お噂はかねがね。私、こういう者です」


 名刺を受け取る。そうか、厚生労働省の3階がこいつのアジトか。


「ええと、少し酔ってしまったようだ。失礼、君の名前は確か」


「片桐竜介だ」


「ああ、そうだったね。すまなかった。今日の講演会はいかがでしたかな?」


「全部聞かせてもらった」


「片桐君、君は大学では何を専攻していたのかね?」


「大学は出ていない」


「これは失礼。どうも私の周りには、国立大学出身者ばかりでね。こういった質問が日常会話のようになってしまっているんだよ。そうかあ、それでは少し難しく思ったのではないかね。コンピューターを例にすると分かりやすいかもしれないね。使っているうちにやがてコンピューターは動きが重くなる。君も経験したことがあるだろう。そこで、重くなったコンピューターを軽くする方法にOSのクリーン・インストールというものがある。これがセカンド・チャンス政策の中心である記憶の置き換えというもの、あ、失礼。着信があった。いいかね?」


「構わないよ。通話が終わったら、続きを聞かせてほしい」


 美咲は上着の内ポケットから、スマートフォンを取り出し、話しはじめた。


「ああ、君かね、ご苦労様。今、ちょうど、日本の有名人の方とお会いしてね。とても気分がいいんだよ」


 そうだ、もっと自分に酔え、そして尻尾をだせ。


「うん。経済特区の定期報告書、それはまだ見てないなあ。いつ送ったのかね。今日かあ。今日は何しろ講演会の準備に追われていたので、メールは見ていないんだよ。口頭でも構わんよ。うん、そうか。君は本当に頼りになるねえ。君を情報管理官に推薦して本当に良かったよ。的確な情報を日々送ってくれる君なら」


 その瞬間、リュウスケは全身の力を抜き、目の前の美咲の身体に全身を預けた。リュウスケの身体を受け止めきれない美咲の身体が後ろに倒れ、リュウスケの身体も倒れる。


 その時、美咲の手からスマートフォンが離れた。素早く視線を画面に向けた。画面に表示された美咲の通話相手を、リュウスケは脳裏に刻み込んだ。

 

 サチの実験日は15日後に迫っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る