第20話 4000万人の敵意
翌朝、カズヤからの着信でリュウスケは目を覚ました。午前5時だった。
「うーん、どうした? カズヤ」
「お前、無事か?」
カズヤの切迫した声が聞こえた。
「無事もなにも、今、お前に起こされたとこだよ」
「サチは今、どこにいる?」
「ああ、昨日話したよ、で、夜に引っ越した」
突然、リュウスケのベッド脇のガラス窓が割れた。床には、拳大の石が転がっている。
「おい、今の音はなんだ?」
カズヤが鋭く尋ねた。
「誰かが、石を投げ込みやがった。一体なんだよこれ」
「とにかく、統治者のアカウントを見ろ」
リュウスケはスマートフォンから、アイ・シンクの統治者のアカウントにアクセスした。
《危険思想保持者 片桐竜介 ウバステ在住》
俺が危険思想保持者? どういうことだ?
「見たか? リュウスケ」
「なんで統治者が俺の名前を知ってんだよ?」
「おそらく、ロックス・オフのフリーギグ告知経由だと思う」
「だから、昨夜お前に言っただろう。ロックンロールに余計なものを持ち込もうとするからこういうことになるんだよ」
リュウスケはスマートフォンに向けて声を荒げた。
「喧嘩してる場合じゃない。とにかく今日は一歩も外に出るなよ。明日はギグだ。どうにかしてベースメントに来い」
カズヤはそう告げると、電話を切った。
釈然としない気持ちを抱えながら、リュウスケは机のコンピュターに向かった。
眠気はすっかり醒め、全身に緊張感が走っている。
気がつくと、匿名掲示板を見てみたい欲求が湧き上がってくるのを感じた。だが、どんな内容が書かれているのかは想像がつく。
でももしかしたら、自分の味方がいるかもしれない。二つの思いが心の中で激しく錯綜する。コンピューターの起動時間が、いつもより長く感じられた。
心を決めた。ネットの炎上など、三日もすれば収まるだろう。
リュウスケは起動したコンピュータから、匿名掲示板にアクセスした。
《テロリスト 片桐竜介について語ろう》
《危険すぎる男 片桐竜介》
《片桐竜介を国外追放に追い込もう》
《片桐竜介を自殺に追い込む方法》
掲示板のほとんどが、リュウスケの名前で埋め尽くされている。もうやめようと思うのだが、マウスを握る右手の指先が、勝手にスレッド名をクリックしてしまう。
《こいつマジで最悪最低。アタマ狂ってる》
《こいつのライブ、観たことあるけど、ただ騒いでるだけ。すぐに家帰ったわ》
《爆弾とか持ってんでしょ?》
《警察、とっとと捕まえろよ、こんなゴミ野郎》
《なんかニセ医者らしいね》
《自殺すればいいのに》
見なければよかった。後悔の念が全身に広がる。心がどんどん薄らいで、消えてしまいそうな感覚を覚える。まるで他人ごとのようだ。背中に一筋の汗が流れた。
再び、スマートフォンで、統治者のアカウントにアクセスする。支持者の数は4000万人を超えていた。
自分は4000万人もの人間に危険思想保持者だと思われているのか。リュウスケの心にどす黒いコールタールのような粘液が広がる。心に杭を打たれたようだ。
俺は何もしていない。ただサチを救いたいと願っているだけだ。
スマートフォンが鳴った。サチからだった。
「朝早くからごめんね。リュウちゃん平気? ネットが炎上してるけど」
「ああ、俺も見た。心配するな。ネットの連中は飽きやすいから」
こう答えるのが限界だった。
「ロックス・オフの記事も見たけど、どうして反対ギグなんかするの?」
「いや、カズヤと色々と話し合ってさ、メッセージっていうかさ、そういう方向性もアリなんじゃないかって話になったんだよ」
サチに悟られないことを祈りながら答える。
「ふーん。でもなんかリュウちゃんらしくないね」
「俺も少し大人になろうと思ったんだよ。サチ、明日の予定は?」
「昼間はバイト。夜からダンスのレッスンに行くから、ライブは観れないけど、頑張ってね」
「そっか、ありがとう。お前もレッスン頑張れよ」
通話を終えたリュウスケは大きく息を吐いた。すると、入り口の方から音が聞こえた。診察室へ向かうと、それは入り口のガラス扉を乱暴に叩く音だった。
閉じていたカーテンをわずかに開き、リュウスケは外の様子をうかがった。50人、いや100人以上の人間が入り口に押し寄せている。テレビカメラやマイクを持ったマスコミ関係者、スマートフォンを片手に持った野次馬と思われる人間たちが一斉に扉を凝視していた。
人間たちの目には、軽蔑、好奇心、疑念、敵意、あらゆる悪意が浮かんでいるように思われた。
他人の視線がこんなにも恐ろしいものであることを、リュウスケは初めて知った。全身の筋肉が弛緩していくのを感じる。頭が真っ白になり、平衡感覚を保つことができない。そのまま、リュウスケはソファーに倒れこんだ。
身体を動かしたわけでもないのに、呼吸は荒く、早い。鼓動も扉の向こう側にいる連中に聞こえてしまうのではないかと思うくらい激しい。
目の前にテレビがある。リモコンを手に取りたい欲求とリモコンを破壊したい衝動が胸の中で激しく衝突する。助けてくれ、香織。心の中で叫ぶ。
リュウスケは机の中からヘッドフォンを取り出し、テレビのジャックに差し込んだ。リモコンを手に取る。手は汗で濡れている。
スイッチを入れた。民放各局すべてがリュウスケについて報じていた。レポーターが、近所の住人にインタビューしている。みな口を揃えて「そんな人だとは思ってもみなかった」と答える。つい昨日まで、路上で世間話をして笑い合い、ペットを連れて来る飼い主の安心した笑顔に触れてきたというのに。
心理学者がコメントしている。過去のトラウマがどうしただの、犯罪指向型人間の特徴がどうしただの、勝手な理屈を並べている。
どこで手に入れたのか、スリル・フリークスのライブ映像まで放送された。ご丁寧に外の音楽評論家のコメントまで紹介されている。演奏以前の問題だと喋っている。
リュウスケはもつれる足で、ロッカーを開き、睡眠導入剤を1シート分取り出した。その後、逃げるように自室のベッドに潜り込んだ。
冷え切ったベットの中で全身が震え、上下の歯が音を立てる。寒さのせいではなかった。 自分はこんなにも弱い人間だったのか。脳裏にカーテン越しに見えた視線がへばりついて離れなかった。
逃げてしまいたい。だが、逃げ場などどこにもない。リュウスケは1シートの睡眠導入剤を10錠、口にした。唾液で飲み込もうとしたが、口は渇ききっていた。それでも無理矢理飲み込み、眠りの誘いが来るのを祈るように待った。
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