第28話 崩れはじめる砂の城
リュウスケは自室のベッドに腰掛け、考えを巡らせていた。時計の針は午前11時を示している。起床したのが午前7時。
もう4時間も考えていたのかと気づく。
状況は八方塞がりだ。サチが真実を知ってしまった。最も恐れていたことが現実になった。
サチは今、どうしているのだろう? 少しは落ち着いただろうか?
いや、そんなわけはない。逆にサチが自暴自棄を起こしてしまったら。最悪の事態が頭に浮かぶ。
リュウスケは首を左右に激しく振って、考えを打ち消した。あいつはそんな子じゃない。
カズヤとも、妙な距離感が生まれてしまった。日比谷野音で香織と話したことを思い出す。一秒でも早く、覚悟を決めなければならない。
それは分かっている。しかし、どうやって?
ヒロも心配だ。昨夜、ベースメントであいつは子供のように泣きじゃくっていた。もし、あいつがすべてを諦めてしまったら、完全に終わりだ。
スマートフォンがメール着信を示す。手に取ると、姉の真由美からだった。
「竜介、少しあなたと話したいことがあります」
その下には、待ち合わせの喫茶店の場所が表示されている。
姉とは定期的にメールをやりとりしているのだが、実際に会うのは3年ぶりだ。ウバステに移住するときに別れの挨拶を交わしたのが最後。
そうか、ここに来てもう3年か。
リュウスケは真由美に返信すると、外出の準備をはじめた。
扉を開けると。誰もいなかった。おそらく、みんな身の危険を感じたのだろう。
空を見上げる。曇り空だった。強い風が吹き、舞い上がった砂埃が目に入った。
地下鉄のホームに向かう。
「タケさん、お疲れさま。今日はA25番だわ」
「お、おしゃれなとこだね。また、デートかい?」
「姉貴に会うんだよ。久しぶりに」
真由美が指定した喫茶店はレンガ造りの小さな店だった。店内に入ると、テーブルが5つ並べてある。他の客はいなかった。コーヒーの香りが漂う。静かなクラシックが流れていた。
「あ、髪切ったんだ。姉ちゃん」
リュウスケはコーヒーを注文した。2歳年上の真由美はショートカットのせいか、3年前よりもかえって若返って見えたが、顔に疲れのあとが見える。
「いい感じじゃん。よく似合ってるよ」
「竜介は相変わらず、ロックの格好だね」
「で、どうしたの? 話があるって」
コーヒーを口に運ぶ。
「お母さんからは口止めされてるんだけど、竜介には話しておこうと思って」
真由美の表情が険しくなった。
「聞かせてよ」
「竜介、あなた何をしたの? 正直に話して」
リュウスケの胸に針で刺されたような鋭い痛みが走る。
「話せば長くなるんだけど、ウバステの家でさ、女の子を預かってるんだよ。で、その子がセカンド・チャンスの被験者に選ばれたんだ。メールで伝えたから姉ちゃんも知ってると思うけど、俺バンドやってるじゃん。それで」
「家が大変なの」
真由美が遮った。目が潤んでいる。
「毎日無言電話がかかってきたり、脅迫文みたいなのも送られてくるし、近所の人からも苦情がくるし、今日はテレビ局まで押しかけてきたの」
「それはいつ頃から?」
「5日前から」
実家まで特定されてしまったことに気づく。自宅前に誰一人いなかったのはこのせいか。
「聞いてるの? 竜介」
「ごめん。ちょっと驚いちゃって」
「どうして、突然こんなことになったのか、私なりに調べてみたの。アイ・シンク、匿名掲示板、リンクを辿って、あなたのやってるバンドのライブ告知も見た。竜介、あなたは何がしたいの?」
「だから、さっき話した女の子を救おうって」
「私はあなたのことを危険人物だなんて思ってないし、セカンド・チャンス政策も嫌い。だけどね竜介、お母さんのことを考えて」
「お袋の体調、悪いのか?」
内臓が萎縮するような感覚に襲われた。
「最近、ようやく一人で外出できるようになったの。カウンセリングの回数も薬の種類も少なくなって、私も少し安心できた。けど、5日前からあんなことになって、また以前の状態に逆戻り」
「お袋に話したのか?」
「お母さんから訊かれたの。お母さんだって気づくでしょ? テレビは毎日あなたの報道、ドアは朝からどんどん叩かれるし、電話は鳴り止まないし。それで全部話したの。そうしたらお母さんから、このことは竜介には言わないでって」
竜介の心に母親の姿が浮かぶ。小柄で笑顔の絶えない母。自分のベースを初めて褒めてくれたのが母だった。
「私はどうだっていいの。会社で陰口を叩かれようが、仕事仲間から距離を置かれようが。でも、お母さんはたった一人であなたのことを心配してるのよ」
真由美は涙声をあげた。
「竜介、約束して。もうバンドには関わらないで。私があなたにお願いしたことって今まであった? なかったでしょ。初めてあなたにお願いしているの。あなたが預かっている女の子とお母さんのどちらが大切なのか考えて」
リュウスケは真由美の言葉に返す言葉が見つからなかった。自分の存在が周りの人間を次々と傷つけていく。
バンド、スリル・フリークス、ロックンロール、今までずっと身近にあった言葉が急激に離れていくのを感じていた。
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