第54話 ロックンロールのエンドロール
リュウスケの目に映った光景は、まるで静止画のようだった。30畳ほどの部屋の奥に、美咲がデスクに座っている。デスクの前には、拳銃を美咲の額に向けたサチが立っていた。4人の職員と思われる男性たちが、取り囲むように、サチに向けて拳銃を構えている。香織の姿もあった。サチの横に立っていた。
リュウスケは、静かにドアを閉め、サチの背中を目指し、ゆっくりと歩みを進めた。香織が振り返った。目が合った香織にリュウスケは軽くうなずいた。
サチの後ろ姿が、目前に広がった。ショートカットの黒髪に語りかける。
「サチ、俺だ」
サチの両肩がわずかに反応した。
「父親にそんなものを向けちゃだめだよ。分かるな、サチ」
サチの両肩が震える。
「少しずつ、両手をゆっくり下ろすんだ。そうだ、その調子だ。ゆっくりでいい」
サチの両腕が、静かに下り、やがて腰のあたりで止まった。
「右手の拳銃を俺に渡してくれないか」
サチは右腕を後ろに反らせた。リュウスケは力なく握られた拳銃をサチの手から離し、手中に収めた。静かに床に置き、ラバーソウルで、拳銃を後ろに向けて蹴った、拳銃は部屋の奥へ滑っていく。奥の机にぶつかったのか、乾いた金属音が部屋に響いた。
サチは力なく、膝から崩れ落ちた。
「君たちももういい。拳銃を下げなさい」
白衣を身にまとった美咲が告げた。デスクの上で両肘をつき、両手を顔の前で重ねている。4人の職員が銃を下げた。
「片桐君、君は私の日記を読んだのかね?」
美咲が静かに口を開いた。穏やかな表情を浮かべている。
「読ませてもらった。丸二日かかったけどな」
「よかったら、感想を聞かせてくれないか」
「セカンド・チャンス政策の正体が安楽死であること、マインド・セッティングによる都民の感情コントロール、製薬会社との癒着、盗聴やゴーストライター。こいつらは俺たちも感づいていたし、想定内だったよ。だが、この資料を見たとき、はじめは意味が分からなかった。やがて意味が分かったとき、全身が震えたよ」
リュウスケは、携帯型プロジェクターのスイッチを入れた。室内に一枚の表が浮かび上がった。そこには眼球、心臓、胃、肝臓、腎臓、膵臓などの各臓器の名称、東南アジア諸国、南米諸国、アフリカ諸国の国名、試算金額が表示されていた。
「この試算金額の数字は、俺には到底縁のない、桁外れの金額だった。なあ、先生、教えてくれ、ヒロの腎臓はいくらで売れたんだ?」
「彼の腎臓はサンプルとして保管されている。それにこの試算金額が現実味を帯びる
のは、もっと先の話だよ」
香織の視線を感じた。香織は全身を震わせ、顔は蒼白に染まっていた。
「ところで片桐君、君にはパスワード解析の特別なスキルがあるのかね?」
「俺はそんなに有能な人間じゃない。小さな事実の積み重ねだよ。聞きたいか?」
「聞かせてほしい」
「被験者通知書を見たとき、苗字が同じだった。そのときは、単なる偶然だと思った。それよりもショックのほうが大きかったからね。その後、サチの寝言を聞いた。父親に謝罪し、許しを請う内容だった。わずかだが、心に引っかかるものがあった。それで、あんたの顔を確かめたくなった。講演会のパーティーであんたの顔を間近に見ることができた。瓜二つだった。特に酒に酔ったあんたの笑顔は、サチとそっくりだった。その後、被験者通知書のあんたの印、これをコンピューターで拡大表示した。印がぶれていた。おそらくあんたは、震えた手で印を押したんだろう。そう、今のあんたの手だよ」
美咲の両手は細かく震えていた。
「そうなれば、パスワードはひとつしかない」
美咲は静かにうなづいた。
「私は、この資料のすべてを公にします」
香織が震える声で告げた。
「言葉を慎みたまえ、桜木君」
美咲が、鋭く、怒声に近い声をあげた。
「失礼、声を荒げてしまった。桜木君、君も官僚だから分かると思うが、我々の組織においては、上司の命令は絶対だ。部下は従わなくてはならない。この日記の871ページには、君のフルネームが記載されている。もしこの日記が公になれば、君は大衆の手によって命を失う。上司は部下の命を守り、すべての責任を負わなくてはならないんだよ」
「国家ぐるみの国際的臓器売買に手を染め、実の子をウバステに送り込むような人間に、命を守ってもらおうとは思いません」
香織の頬を涙が伝う。
「桜木君、君の意見は前半は正しい。だが、後半は間違っている。少し長くなるが、聞いてほしい」
美咲は引き出しから、ワイングラスと、コルクの栓抜きを取り出し、静かにデスクの上に置いた。
「今から二年前、冬の日だった。私は妻と幸子の三人で、テレビの音楽番組を見ていた。幸子は夢中になって、画面を見つめていた。そして幸子が、将来は芸能の世界に進みたいと言った。十代の少女の言うことだ。はじめは微笑ましく幸子の話を聞いていた。ところが幸子は本気だった。そこから、些細な口喧嘩がはじまった。そして私は幸子に、本当に芸能界に行くつもりなら、この家から出ていきなさい。そう言い放ってしまった。翌日、妻から、幸子が家出をしたことを伝えられた。あらゆる手や人間を使って、幸子を探した。だが、どこにも見つからなかった。そこに私の盲点があった。経済特区B13番は探さなかったんだ。まさか官僚である自分の娘が、ウバステなどと揶揄される貧民街にいるとは思えなかったんだ。これは私の思い上がりだった。だから、被験者通知書に幸子の名前を見たときには、文字通り、全身に戦慄が走った。それでも私は印を押した。片桐君、君の指摘どおり、震える手でね。そのとき、私は悪魔に自分のすべてを売り渡したのだと思う。だが、私にもほんのわずかだが、良心のかけらが残っていたらしい。恐怖、後悔、自責の念に苛まれた。そのうちに、暴走する自分の魂を止めてくれる存在を求めるようになった。片桐君、君のような存在をね」
美咲は、白衣のポケットから、財布を取り出し、職員に声をかけた。
「君、すまないが、地下の店で白ワインを一本買ってきてくれないか。一番安い白ワインを頼む。今の私には、一番似合っている」
職員は受け取った一万円札を手に部屋から出ていった。
「あんたは、官僚というよりも、研究者なのかもしれないな」
美咲が顔を上げ、リュウスケに視線をむけた。
「俺はモグリの獣医だが、犬や猫、小動物、すべてのカルテを大切に保管しているよ。自分の生きた証だからね。もし、自分が死ぬときには、誰にも知られない場所に隠すだろうと思う。あんたも同じなんじゃないか。自分の研究を、それが正しいのか間違っているのかは関係なく、どこかに隠しておきたかった。その気持ちは俺も分からなくはないよ」
美咲は穏やかにうなずいた。
やがて部下が、白ワインを美咲のテーブルの上に置いた。美咲はコルク栓を抜き、白ワインをグラスに注ぎ、一気に飲み干した。
「今まで飲んできたワインの中で、一番美味いよ」
グラスをデスクに置いた。
「桜木君、最後に教えてほしいことがあるのだが」
「何でしょうか?」
「今日、日比谷に集まった都民の感情は、一体どういった種類の感情だったのだろうか。私は、午後11時、日比谷に何万人もの都民が集まったとき、サーバールームに向かった。画面を見ると、都内全体が白く染まっていた。ガイドラインにも記載されていない色だ。クリックしても色が変わらなかった。そして、片桐君たちの演奏がはじまった。私は画面から目を離すことができなかった。指一本動かすこともできなかった。次第に私の心の中に、今まで経験したことのない感情が生まれた。ただの興奮とも違う、怒りとも驚きとも違う。この感情について、君の意見を聞かせてほしい」
「それは、初期衝動だと思います。もし、都民がカードを破壊しなかったとしても、制御不可能であったと考えます」
「そうか、初期衝動か。人間の感情というものは深いものだね。私は信仰を持たない人間だが、私はもしかしたら、神に無謀な戦いを挑んでいたのかもしれない。桜木君、ありがとう。いい土産になったよ」
美咲はデスクの上の小型のアルミケースを開け、注射器を取りだし、首にあてた。
「パパ」近寄るサチを、片手の手のひらで制し、首に注射針を刺すと、親指でゆっくりと薬品を注入した。
「さて、私は一五分後に目を閉じることになる。諸君、すまないが、その間、親子二人にさせてくれないか。この子、幸子と仲直りがしたいんだ」
リュウスケたちは、黙って部屋を出ていった。
15分の経過は、泣き叫ぶサチの声が知らせた。リュウスケと香織は、室内に入った。
美咲はデスクの上にうつ伏せていた。背中をサチが抱きしめ、嗚咽している。
香織がサチのそばに駆け寄ろうとするのをリュウスケが制した。
「あいつは、ずっと泣くのを我慢してきたんだ。せめて今は泣きたいだけ泣かせてやったほうがいい。それとな、香織」
頬を涙で濡らした香織が振り向いた。
「お前には、さんざん頼み事ばかりしてきたが、これが最後だ。サーバールームに俺を連れて行ってくれないか」
香織は黙って、リュウスケの手を握り、部屋の奥のサーバールームに足を運んだ。
「座ってくれ。初期化のプログラムがあるはずだ。それを立ち上げてくれ」
香織が、フォルダーの中のアイコンをクリックする。
【パスワードを入力してください】
「パスワードはローマ字でサチコ。最初の文字だけ大文字だ」
【セカンド・チャンスプログラムを初期化しますか?】
香織が、はい、のアイコンをクリックした。
【本当に初期化しますか?】
はい、のアイコンをクリックする。
サーバーが低いモーター音をたて、処理を始めた。三分ほど経った頃、サーバーは沈黙した。
【すべてのプログラムを初期化しました】
★
自宅ビルの屋上、給水タンクに上半身を預けたリュウスケは、視線を横に向けた。サチが膝を抱え座っている。
「ねえ、リュウちゃん。ずっと気になってたんだけど」
「何だよ?」
「スリル・フリークスって名前、誰がつけたの?」
「俺だよ」
「どういう意味?」
「スリル気違い。ストーンズの歌詞から取ったんだ」
季節はずれの雪が舞い落ちた。リュウスケはポケットから、ブルースハープを取り出し、メロディーを奏ではじめた。メロディーは、空に向かって伸び、やがて雪の中に消えていった。
<完>
ウバステ-実験都市のブルースー 言の葉工房 @thrillfreak
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