第13話 使者への通達

 美咲は、デスクから内線電話をかけた。30畳ほどの室内で、ほとんどの部下は年末年始の休暇に入っており、閑散としていた。


「ご苦労様。今、少しいいかな。私のところに来てほしいんだ」

 

 数分後、部下が現れた。書類を携えている。


「昨夜の番組なんだが」


「もちろん拝見いたしました」


「君にクイズを出そう。視聴率はどれぐらいだったと思うかね?」


「さあ、私には見当もつきません」


「正解は84.5パーセント。戦後最高だよ」


「そんなに」


 部下の表情が、何かに圧倒されたような呆然としたものに変化した。


「統治者が前もって宣伝をしておいてくれたからね。どんな人物かは私も分からないが、もしも会えるのならば、心から礼を言いたいよ」


 美咲は右手の指先を頬に這わせながら呟いた。その口調は、自信と確信に満ちていた。


「局長、この書類なのですが」


 部下が両手で書類を手渡す。


「どれどれ、ああ、決まったんだね」


「はい。計画案通り、経済特区B13番の住民のなかから、コンピューターで無作為に三名抽出いたしました」


「君のことだ、間違いはないと思うが、一応確認させてもらうよ」


 美咲は受け取った三枚の書類に目を通す。一枚目、二枚目、そして三枚目を見たとき、めくっていた指先が止まった。


「局長、何か書類に不備でも?」


 部下の表情には、怖れが浮かんでいる。


「いや、なにも問題ないよ。今、捺印したほうがいいかな?」


「そうしていただけると助かります。年内には発送したいと思っておりますので」


 美咲はデスクの引き出しを開け、印鑑と朱肉を取り出した。一枚づつ捺印していく。


 三枚目の書類に捺印するとき、指先がかすかに震えていることを感じた。


 捺印が終わると、美咲は一枚の紙を引き出しから取り出した。


「先日、君に話した新しいポストなんだが、人事決済が正式に降りた。受け取ってくれるかね?」


 美咲は部下の氏名が記載された辞令を差し出した。


 そこには「経済特区B13番における情報管理官を命ずる」という一文があった。


 辞令を受け取った部下は、30秒ほど辞令に記載された一文を見つめ、口を開いた。


「局長、大変光栄に存じてはおりますが、私は本当に適任者なのでしょうか?」


「不安かね?」


「正直な気持ちを申し上げますと、果たして、私に務まるのかどうか自信が持てません」


 部下の瞳は泳いでいる。顔色も徐々に蒼白に近づいていった。


「マニュアル思考を捨てなさい」

 

 美咲は穏やかな口調で告げた。


「我々官僚の世界では、常にマニュアルというものが付きまとう。君も重々承知しているだろう。だが君が与えられた今回の業務については、マニュアルに固執していては、的確な情報を得ることができないんだ。まして経済特区B13番は、世間からウバステと呼称れる地区だ。たとえ、あらかじめ用意したマニュアルを準備したとしても、何の役にも立ってはくれないだろうと思う。私が君に情報管理官を託した理由は、君が潜在的に持っている、マニュアルにとらわれない姿勢に着目したからなんだ。この部屋の職員のなかで、そういう姿勢を持つ者は君一人しかいない。言葉を変えるならば、君が何の束縛もない自由な姿勢で業務に取り組んでくれれば、気がついた時には、君はスペシャリストに成長しているはずだ。私が保証するよ。経済特区B13番で起こっていること、たとえそれがどんなに些細な情報であっても、私は否定したりはしない。君が肌で感じた情報を少しずつストックしていけばいいんだ。どうだろう? 少しは気が楽になったかな?」


「局長、ありがとうございます。自分なりの方法で取り組んでいきたいと思います。気持ちも大変落ち着きました」


「それは良かった。ところで君はいつから休暇に入るのかね?」


「明日から、お休みをいただく予定です」


「君のご実家は、確か都内だったね」


「はいA21番に」


「今年は君も大変だったろう。ご実家でゆっくり過ごして、親孝行してあげなさい」


 部下が去った後、美咲は印鑑と朱肉を静かに引き出しの中へ戻した。


 そして美咲は、今日を皮切りに、鏡で自分の顔を見ることは永遠にないであろうことを悟った。

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