第12話 霧の中の真実

 12月29日。午後8時半。リュウスケは三毛猫の腹部を丁寧に触診していた。


「高木さん、この子の血便を見たのはいつ?」


「お昼すぎだよ。もうびっくりしちゃって」


 高木はそう言った後、大きなため息をついた。


「これは便秘だよ。便が硬くなって、直腸や肛門を傷つけて血便になったんだ。だから内臓には問題はない。水分を多めに摂らせて、少し運動させれば大丈夫」


「そうかい。安心したよ。この子に何かあったらどうしようって不安で仕方なかったんだよ」


 高木は安堵の表情を浮かべた。


「一応、便を柔らかくする薬を出しとくからさ、一日三回、飲ませてやって」


 安心した高木の笑顔を見送ると、自室へ戻った。するとサチの声が聞こえてきた。


「リュウちゃん、そろそろ番組はじまるよ」


「そうか、すぐ行く」


 リュウスケは自室から再び、診察室に足を運んだ。ソファーに座っているサチの隣に腰掛けた。目の前のテレビのリモコンのスイッチを入れる。


「どんな番組なんだろうね?」


「まあ、見れば分かるだろう」

 

 今この瞬間、この国の4500万人がテレビの前で待機していると思うと、薄気味の悪さが胸に広がる。

 

 ニュース番組が終わり、画面が切り替わった。

 

 壮大なクラシック音楽が流れ、画面には虹や夜明けに輝く太陽、さらさらと流れる小川、光り輝く海、緑に囲まれた森の風景などがゆっくりとしたペースで切り替わっていく。


「ずいぶんと長いオープニングだな」


「そうだね」


 クラシック音楽が徐々にフェードアウトしていく。


 画面にぼんやりと文字が浮かび上がってきた。


【セカンド・チャンスの世界】


 リュウスケは青木の言葉を思い出した。人間の過去の記憶を抹消して、新たな適正な記憶に置き換える技術。


 オルゴールのメロディーにのせて、女性アナウンサーが語りはじめた。


「あなたは、後悔をしたことがありますか?」


「あなたは、過去の失敗に打ちひしがれてはいませんか?」


「あなたは、過去に戻りたいと思ったことはありますか?」


「あなたは、もう一度、人生をやり直したいと思いませんか?」


「そんな貴方の夢を叶える魔法の杖。それがセカンド・チャンスなのです」

 

 画面が切り替わった。外の大物俳優や大物歌手、文化人、一流企業の経営者、アイドルタレント、スポーツ選手。誰もが、セカンド・チャンスを賞賛している。


 海外からの反応も紹介された。アメリカやドイツなどの医療先進国の脳科学者たちが、こぞってセカンド・チャンスの技術について、興奮気味にコメントを発している。

 

 また画面が切り替わった。再びオルゴールが鳴った。女性アナウンサーが語りはじめる。


「何も恐れることはありません」


「不安になる必要もありません」


「あなたは生まれ変わるのです」


「セカンド・チャンスの世界、それはあなた自身が変わること。そしてこのかけがえのない国、日本を変えることなのです」

 

 15分ほどの番組だった。


「なんか、怪しい宗教団体の番組みたいだったね。私こういうの嫌い」


「気味の悪い番組だったな」


 リュウスケはその後、自室に入りデスクトップのパソコンを立ち上げた。普段はめったに見ない匿名掲示板にアクセスする。ネットの住民の本音が知りたい。


「セカンド・チャンス到来」と題されたスレッドを見つけた。タイトルをクリックする。


【もう、今でも涙が止まらない。感動すぎる】


【私、メンヘラだから生まれ変わる】


【俺、生まれ変わって、社長になるわ】


【人生逆転、ガチで嬉しいんだけど】


【いつ始まるんだろうね? これは期待できるでしょ】

 

 それぞれのコメントには番号が振られているのだが、よく見ると、欠けている番号がある。コメントナンバー50の次が53になっている。


 何故だ? 欠けたナンバーのコメントを誰かが削除したのか? 一体どんなコメントが投稿されていたのか?


「ねえ、リュウちゃん、私そろそろ寝るね。あんまり夜更かししちゃダメだよ」


 サチの眠たげな声が聞こえた。


「おやすみ、分かったよ」


 ベッドで仰向けになりながら、両手を後頭部に組んだ。


 自分は記憶の置き換えは不可能だと青木に断言した。だが、今日の放送では、海外の脳科学者たちが絶賛していた。


 本当なのか? 実在するのか? それとも青木やカズヤが言うように、実体は安楽死なのか? 一体どっちなんだ?

 

 リュウスケの脳裏に昨晩のカズヤの言葉がよぎる。


 「何か、嫌な予感がする」

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