第23話 狂気のカウントダウン
午後5時30分、リュウスケはベースメントに到着した。まだ客は誰もいない。
「松浦さん、あいつらは?」
「ああ、地下の録音スタジオにいるよ。それより災難だったね。大丈夫かい?」
Tシャツにカーゴパンツ姿の松浦が心配そうに尋ねた。
「うん、俺はどうにか大丈夫。サチの様子はどう?」
「今のところ大丈夫だよ。毎日元気にしてる」
救われたように、リュウスケは息を吐いた。
「すみません、本当に。無理を押しつけちゃって」
「気にするなよ。俺も元パンクロッカーだからね。セカンド・チャンス政策反対、全面的に支持するよ」
松浦は拳で自分の胸を叩いた。
リュウスケは松浦に礼を告げると、地下室へ向かった。録音スタジオにカズヤとヒロキの姿があった。
「あ、リュウくんおはよう」
「無事着いたか」
「ああ、どうにかな。それより二人ともなんでこんなところにいるんだよ? もうじきリハーサルだろ」
「いや、今日はリハーサルなしでいく。ぶっつけ本番だ」
カズヤの口調には切迫感があった。
「どうしてだよ?」
リュウスケは声をあげた。
「お前の身の安全を最優先に考えた」
「リハーサルなんてほんの15分くらいですむだろう。増田さん、フリークスの音、全部分かってるんだから」
「その15分間ですら何が起こるか分からないんだよ。頭のいかれたやつが乱入してくる可能性もゼロとは言えないだろう?」
カズヤの指摘は的を射るものだった。
「そりゃまあ、そうだけどさ」
「今日のギグは、一瞬で終わるかもしれない」
カズヤが静かにつぶやいた。
「どういう意味だ?」
「どんな客が集まるのか、俺にもまったく見当がつかないんだ。俺たちの音を通じて、セカンド・チャンス政策反対を支持する客なのか、あるいはギグを潰しにかかろうとして来る賛成派の連中なのか、ステージに上がってみないと分からない。もし、少しでも不穏な空気が流れたら、俺がEのローコードを鳴らす。それが合図だ。すぐにステージを降りて、ここに逃げ込んでくれ」
「逃げ込んでも外から開けられたらアウトじゃねえか」
「松浦さんに頼んで、内側からカギをかけられるようにしてもらったんだよ。賛成派の連中は入れない。そうなったら持久戦だ。連中が諦めるのを待つしかない。すべてはサチを救うためだ」
時刻は午後7時になった。ホールにはジミ・ヘンドリックスの曲が流れている。曲が徐々にフェードアウトしていく。
「行くぞ。合図を忘れるな」
リュウスケ、ヒロキ、カズヤの順で地下室の階段を上り、ステージに上がった。
リュウスケはベースを手に取り、肩にかけた。ケーブルを真空管アンプにつなぐ。わずかなノイスがスピーカーから聞こえる。
リュウスケは振り向いた。視界が客席を捉える。
すべての客が微動だにせず、全く同じ笑みを浮かべている。歓声も拍手もなく、ただ笑みを浮かべているだけだ。それは静止画のようだった。
一体、この連中は何だ? 味方なのか、それとも敵なのか? 振り返り、ヒロキを見た。口を半開きにして、唖然としている。カズヤは下唇をかみしめていた。
リュウスケは、客席を凝視した。確かに全員、笑っているのだが、感情というものがまったく伝わってこない。顔の筋肉の動きだけで作られた仮面のような笑顔だ。
すると、最前列の客が、手を叩きはじめた。拍手ではない。60秒、59秒と笑みを浮かべたまま、まったく感情の感じられない声でカウントダウンをはじめた。
瞬く間にカウントダウンは客席全体に広がり、カウントダウンの声と手を叩く音だけが、ホール全体に響いた。こいつら、まともじゃない。
カウントダウンが30秒を告げた瞬間、レスポールのコードが鳴った。合図だ。
リュウスケが地下室へ続く階段へ向かおうと、ステージ中央に差し掛かったその時、リュウスケは歩みを止めた。足が動かない。
視線を下に向けると、四つん這いになった客が6人、リュウスケの両足首を掴んでいる。離せ、と叫んだ瞬間、6人は一斉にリュウスケの顔を見上げた。
6人とも同じ笑みを浮かべている。リュウスケの腹部からこみ上げてくるものがあった。嘔吐感だ。
カウントダウンは10秒を切った。リュウスケは足を振り払おうともがくが、万力のような力で足首は固定されている。このままゼロを迎えたら何が起こるんだ? まったく予想がつかない。
3秒、2秒、1秒、ゼロ。
その瞬間、リュウスケの足首は自由を取り戻した。そして、すべての客が拍手をはじめた。
呆然と立ち尽くすリュウスケの視界に白煙が映り、視界を遮る。発煙筒だ。
そして、ステージの上に炎が舞い上がった。スプリンクラーが作動し、リュウスケは天井から降る水を全身に浴びた。
やがて、炎は消え、視界が徐々に客席を捉えはじめた。
客席には、観客の姿は一人もなかった。
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