第2章 無情の世界

第15話 大衆という名の敵

 カズヤはリュウスケから受け取った書類を目を見開きながら、熟読していた。3分ほど経過した後、口を開いた。


「これはイタズラでも偽物でもない。本物だ」

 

 ベースメントの時計は、午前1時を示している。


「カズヤ、どうしてそう言い切れるんだよ? 俺、朝になったら厚生労働省に乗り込んでこいつが本物かどうか確認を」


「時間の無駄だ」


 カズヤが遮った。


「これを見てみろ」


 カズヤはスマートフォンをリュウスケに手渡した。統治者のアカウントが表示されている。


【被験者の3名に、永遠の幸福あれ】


「このクソ野郎が!」

   

 リュウスケの胸に熱が沸き起こる。拳をテーブルに叩きつけた。電流に似た痺れが走る。


「このメッセージの投稿日時は1月4日の午前8時だ。お前がこの通知書を見たのも午前8時。つまり偽物を作ってお前のポストに放り込むことは、タイムマシンでも使わない限り不可能なんだよ」


「じゃあ、俺は一体、何をすればいいんだよ?」

 

 緊張が全身の筋肉を硬化させた。


「俺じゃない。俺たちだ。まずは情報の共有が先決だ。二人とも知っていると思うが、このセカンド・チャンス政策の正体は安楽死だという説がある」


「青木さんからも、お前からも聞いたよ」


「ねえ、カズさん本当なの? 安楽死なんて、そんな」

 

 ヒロキは狼狽の表情を浮かべている。


「二人とも昨年の12月29日の国営放送を見たと思うが、その後、奇妙な現象が起こった。今まで存在しなかった記憶の置き換えの論文がネット上にたくさん現れたんだ」


「それは、どういう内容なんだ?」


「適正な記憶を記録した超小型のチップを大脳の海馬に埋め込む技術なんだが、ドイツでは、実験が成功したらしい。俺は以前、セカンド・チャンス政策の正体が安楽死だと断定したが、分からなくなった。もしかしたらこの技術は実在するものなのかもしれない」

 

 カズヤはラッキーストライクに火をつけた。


「しかし、記憶の置き換えだろうが、安楽死だろうが、いずれにしてもサチはサチでなくなる。リュウスケ、お前はこの通知書の文章をすべて読んだのか?」


「いや、正直、読むのが怖かった」


 自分でも情けなくなるくらいの弱々しい声で答えた。


「実験実施日は追ってお知らせします。という一文がある。こいつが厄介だ。一年後かもしれないし、半年後かもしれない。あるいは一ヶ月後かもしれないし、三日後かもしれないわけだ」

 

 カズヤは煙を吐いた。


「俺たちは、サチを救わなければならない。リュウスケ、敵は誰だと思う?」


「厚生労働省と文部科学省の連中に決まってるじゃねえか」


「そうだ。ただし、もう一つ、敵がいる」


「誰だよ?」


「それは大衆だ。群衆心理と言ってもいい。さっきお前に見せた統治者のメッセージの支持者は3500万人だ。この連中を相手にしなければならない」


「カズさん、そんなことできるわけないじゃない。3500万人を倒すなんて」

 

 ヒロキの瞳は涙で潤んでいる。


「ヒロ、倒すんじゃない。利用するんだ。大衆というものは、何かのきっかけさえあれば、一斉に意見をひるがえす。今は賛成派にいる連中を反対派にひっくり返らせることは決して不可能ではないんだよ。もし3500万人が反対派に回ったと仮定しよう。そうなれば厚生労働省も文部科学省も、この政策を断念せざるを得なくなる」


「カズヤ、何か策があるのか?」

 

 すがるような気持ちでリュウスケは尋ねた。


「考えがある。少し時間が欲しい。準備や手間、根回しが必要なんだ。それと、サチをベースメントで預かってもらう」


「どうしてそんなことをする必要があるんだよ?」

 

 カズヤの真意が分からない。


「リュウスケ、お前は動揺するとすぐに態度に表れる。サチは勘の鋭い子だ。お前の動揺なんてあっという間に見抜く。もしサチに詰め寄られたら、お前はどうやって乗り切るつもりだ?」

 

 カズヤの指摘は図星だった。


「松浦さんにすべて話すのか?」


「そうだ。あの人なら信用できる。そうだろ?」


「にしても、どうやってサチをここに連れて来るんだよ? よっぽどの理由をでっち上げないとあいつは納得しないぞ」


「こういうのはどうかな?」


 ヒロキが口を開いた。


「えーと、リュウくんのビルで改修工事がはじまることにするの。サチコちゃんって基本的に夜型で、昼間は寝てることが多いじゃない。だから、昼間はとても眠れたもんじゃないから、ベースメントでしばらく寝泊まりしなさい、っていうシナリオ」


「現時点ではそれが最善かもな。いいかリュウスケ、絶対にサチに悟られるなよ」


「正直、自信がない」


 サチにどうやって接すればいいのだろう。心配する素振りでも見せたら、すぐに気づかれる。いつものように笑顔を向けられるのか。想像しただけで涙が溢れそうだった。


「弱音を吐いてる場合じゃないだろう? しっかりしろ。さっき俺が言ったプラン、形になったらすぐに連絡する」

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