第1話 来たる時

「……」

姿見に映るのは、儂。


 ジジイの朝は早い。若い頃はいくらでも寝られたものだが、歳をとると寝るにも体力を使うらしい。


 起きて着替えた後、鏡を見るのは日課だ。いつも通り、顔を洗うための水差しとタオルを抱えた侍女は目を伏せて控え、侍従のバートは儂が礼服の仮縫いから逃げ出さないよう見張っている。


 王都でのパーティーに出席しろと何度か招待状が届き、その度に面倒で断っていたのだが、とうとうシャティオン様が――シャティオン=ブラッドハート=シュレル、この国の前王が、強権を発動した。


 鏡越しに見ていた二人から、自分の顔に視線を戻す。


 引き結んだ口元、皺を刻んだ顔。よわい72歳、少々頑固ジジイに見えなくもないが、いい年の取り方をしたと思う。


 背の中ほどまで伸ばした髪は首のあたりで一本に結んである。こめかみのあたりに一本黒い毛を見つける。


 ぶちっ!


 ぼふん。

 白い煙、いや光に包まれ一瞬姿が隠れる。


「おお……?」

光がおさまり、鏡の前でぶちっとした毛を指でつまんだまま鏡を眺める儂。


「大旦那様!?」

バートが叫ぶ。


「わ、わか……っ!」

侍女が声を詰まらせる。


 光のおさまった後の儂は、若返っている。髪は白いままだが、皺だらけだった顔はつるりとして血色がいい。瑠璃紺色の瞳、やや目つきの悪い顔が鏡の中からこっちを見ている。


 儂が魔王討伐で勇者に従った時の年齢まで戻っている。外見で違うのはおそらく髪の色くらいだろう。体形も戻り、服の胸と肩から腕の当たりがきつい、胴回りも少々。


「今日の仮縫いはなしだな」

少し前に採寸した服のパーツでは、どう考えてもサイズが合わない。


 堅苦しい服もなし、パーティーへの出席もなしだ。大体、引退したジジイの儂を引っ張り出そうとするのが間違っている。

 

「……エディル様を呼んできます」

バートが部屋を出てゆく。


 冷静でいるようで、扉を開けっぱなしなところを見ると動揺しているらしい。まあ、いきなり主人が若返れば普通はそうじゃの。


「閉めておいてくれるか?」

「は、はい……!」

侍女を見て頼めば、慌てて扉を閉めに行く。こちらもだいぶ動揺した顔をしておる。少々可哀そうだったか。


「我ながら見事な白髪」

姿見に映った自分を見て言う。一筋の黒もない。


 バタバタと廊下を早歩きする音が聞こえたかと思えば、締めたばかりの扉が勢よく開かれる。


「父上!?」

姿を見せたのは儂の息子。


「珍しく行儀が悪いな?」

駆け込んできた息子に、ちょっと驚いた。


 いつも澄まして歩く普段の息子からは考えられん。儂に似ず、行儀がよくって出来のいい息子だ。


 晩婚だった儂にも息子が二人、娘が一人できた。次男曰く「面倒で逃げ出した」長男は領地の経営より、王に侍る騎士になることを選んだ。


 まあ、儂も領地経営はバートに任せっぱなしだったので気持ちはわかる。


 息子は扉を大きく開けた格好のまま、動きを止めている。家を継いだのはこのエディルだ。


 黒髪、瑠璃紺の瞳、儂の色を一番受け継いでいる。ただ、儂と違ってそつがないし、普段は穏やかで沈着冷静、雰囲気がだいぶ違う。


「行儀など今はよろしい! 何故、若返ってらっしゃるのですか!」

そのエディルがいつになく大声をあげる。


「本当に……。大旦那様、何があったのでございますか」

バートがエディルの後ろから顔を見せる。


 儂より二つ上、バートとは長い付き合いだ。辺境伯を押し付け……賜った時からずっと助けてもらっている。今は儂の専属侍従をしているが、長らく我が家の家宰を務めてきた。


「儂はこれから旅に出る」

「は?」

突然の宣言にエディルが間の抜けた顔をさらす。


「そのお歳で……いえ、今はお若いですが」

バートも困惑顔。


「魔王討伐記念のパーティーはどうするのですか!」

エディル、儂の心配の前にそこか。


 まあ、引退した儂が家のために社会に係ることなぞ、その辺のことしかないが。


「欠席、欠席。この姿で参加できるわけがない」

手をひらひらさせて言う。


「いえ、シャティオン様はお喜びになるのでは? 魔王討伐時の絵姿がそのまま目の前に、と。剣を構えた姿など色々ポーズの要求が――いえ、なんでもございません」

口元を押さえて、斜め下に顔を向けるバート。


 おい、バート! 不吉なことを言うな! ものすごく具体的に浮かんだではないか! 


「シャティオン様は、勇者一行の中でも昔から父上のことがお好きですしね。着替えの1度や2度で済めばよろしいですが。今度のパーティーも父上の正装が見たいだけのご様子でしたし」

深くうなずくエディル。やめろ、肯定するな!


「とにかく! 儂は旅に出るし、パーティーには出ぬ!」

シャティオン様のおもちゃになるのはご免だ。


「……」

「……」

ジト目でこちらを見てくる二人。


「な、なんじゃ……っ」

思わず身をそらして半身を引く。


「遠見会話のオーブを用意いたしますので、シャティオン様――いえ、陛下への申し立てはご自分で行ってくださいね。バート」

「はい、旦那様。すぐにご用意を」

にっこり儂に笑いかけたエディルが名を呼ぶと、バートが一礼して部屋を出てゆく。

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