第16話 関係性
「聖獣? しばらく見ない間に、ずいぶん愉快じゃない」
黒いドレスの裾がふわりと広がり、イレーヌの足が地に着く。
真っ黒な髪、真っ黒なドレス、真っ黒な靴。こちらに差し伸べた手、露出している顔とほっそりとした首が薄く輝くように白い。
妖艶と言い切るには幼さの残る、イレーヌが好んでとる女の姿だ。
「……細いわね?」
ローブをめくって、儂の背中を覗き込むイレーヌ。
細いのか。
「シンジュ様は人見知りをなさる。あまりジロジロ見るのはご遠慮ください」
マリウスがイレーヌに微笑みながら、そっと儂のローブをイレーヌの手から奪い下ろす。
「あら、聖獣が見えるように在るってことは、見てもいいということだわ」
下されたローブをまためくるイレーヌ。
「これから見えなくなるかもしれませんよ? 距離の詰め方をお考えください」
マリウスがローブの裾を奪い、下ろし整える。
「シンジュとは言い得て妙ね。色から名付けたのでしょう?」
そしてまためくるイレーヌ。
「お前ら、儂のローブをばさばさやるでない!」
さっきからぴゃーに杏をやったり、姿を見るためにめくられているのは、儂のローブだ。
「ぴゃー」
背中からかそけき声。
「嫌がっております」
ローブをぐいっと引っ張るマリウス。
「まだ観察が終わっていないわ」
離さないイレーヌ。
「貴様ら! こんなことに身体強化を使うでない!」
着ている儂を無視して、引っ張り合う二人。
魔女イレーヌ、元神官長マリウス。系統は違うが強力な魔法の使い手二人。結果、ローブが破れた。
「適当に買うからです。貸しなさい、繕いついでに付与を施しましょう」
「かつての魔王討伐メンバーが着るには安っぽいローブね。せめて強化してあげましょうか?」
「素直に謝らんか!」
口々に言いながら、手を伸ばしてくる二人に怒る。
仕方がないのでローブを脱ぎ、元のマントをはおる。ぴゃーの耳が見えるらしいが仕方あるまい。
休憩はおしまいにし、再び馬上へ。
「それにしても本当に若返ったわね。昔のままだわ」
イレーヌは
「箒に乗るのが上手くなったではないか」
「五十年も経てば、さすがに慣れるわ」
「大人しく
魔王討伐の途中、盥から箒に乗り換えた。「最先端なの」と言っていたが、おそらく戦いのために速さを優先させた結果だ。魔法はよくわからんがの。
「盥に戻したらどうじゃ? もう大した戦いはあるまい」
「気に入ってるからいいのよ」
肩をすくめて答えるイレーヌ。
「イオも練習をしているようですが、盥は乗りこなすのが難しい代わり、一度覚えてしまえば乗り心地はいいそうですね」
言いながら、マリウスが馬上から香草の種を蒔く。
今はよく見る野草で、儂らのような旅人が摘んでスープに放り込むくらいだが、天候が落ち着かず、魔物の襲来が続いた時代は、森や草原から姿を消した。作物の収穫がままならず、食べられるものはなんでも食べたからだ。
魔王が消え、人々の生活が落ち着き始めた頃、神殿が旅人に種を蒔くよう奨励した。しばらくは世話のいらないような、丈夫なワイルドベリーや香草、木の実を選び、神殿で配っておった。
まあ、おそらくコイツの発案なんじゃろな。チラリと横の男を見て思う。
「なぜ若返ったか聞いてもいいのかしら?」
「女神への望み。まあ、若返ったのは副産物じゃが。今度はのんびり過去を辿って、美味いものを食って、行くのを諦めた場所に行き、明るい風景を見て明るい風景を見て歩くつもりじゃ。五十年でだいぶ変わったじゃろう」
「あら、素直に答えが返るとは思わなかったわ」
きょとんとした意外そうな顔のイレーヌ。
「五十年間、お互い望みを明かすことはなかったですからね」
「ふふ、私はまだ内緒」
口元に内緒話の合図のように指を当て、笑うイレーヌ。
「では私も内緒と行きましょう」
微笑むマリウス。
口元だけ笑いの形にしたまま、互いに目を逸らさない二人。笑い合う二人だが、微笑ましい雰囲気では全くない。
「お前ら、鬱陶しいからやめろ」
この二人は昔からそっと張り合う。儂は無関係なはずなのに、気づくとやんわり巻き込まれている。
「何のことです?」
「普通の会話をしていて鬱陶しいと言われるのは心外だわ」
マリウスの願いはつい最近聞いたのう、と思いつつ、二人の答えに少しげんなりして黙る。
「そういえば、そろそろイオに自分の杖を探させないと」
「杖を? ずいぶん早いな」
「あら、イオの能力からしたら遅いくらいよ。杖があった方が能力の制御も楽だもの」
儂の左手に納めた剣のように、自分に合った武器を探すことは、強くありたいものの憧れ。特に魔力持ちは、持っていた方が魔力も精神も安定するため、自分に合うものを探し出すのは必須に近い。
まあ、職人が作った杖で間に合わせる輩が大半だが。
「イオも旅立ちますか……」
感慨深げに言うマリウス。
「そういえば貴方が旅立ったせいで、副神官がだいぶやつれてたわよ?」
「彼なら立派な神官長になりますよ、神は試練を乗り越えた者がお好きですから」
イレーヌが目を細めてマリウスを見るが、当の本人は笑顔でどこ吹く風。
「好かれる相手は選びたいところだな」
「ぴゃー」
ぴゃーに同意されても困る。
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