第5話 ノル・パンケーキ

「テルマは素通りで寄ったことがなかったが、なかなか栄えとるな」


 半日と少し、荷馬車に揺れて着いたテルマの町は、王都から一番近い。儂はいつもは騎乗で駆け抜けるので、馴染みがない。かろうじて、離れた街道から町の輪郭を視界の端におさめる程度だった。


「年に一度の祭りの時など、王都で宿が取れない者たちが利用するようです。王都に用事があって、長逗留をする方々も。王都は種々高いですし、時期によっては滞在に制限がかかる場合がありますしね」

隣でマリウスが自分の肩に手をやりながら言う。


 辺境伯を拝命する儂の家は、王都にも館を持つのでテルマに泊まった経験はない。


 貴族の中でも上位の家は、領地のものと比べられぬほど狭いが、城壁で囲まれた王都に単独で館を持つ。それ以外の貴族たちの多くは集合住宅テラスハウスに住む。単純に城壁内の土地は限られるからの。


 領地は代官に任せ、狭くとも華やかな王都に定住している者も多い。儂は現役のころも社交シーズンに嫌々来るだけで、領地に引きこもっておったがの。歌劇や演奏会、夜会なぞより遠乗りでもした方が断然良い。


 テルマに滞在するのは集合住宅さえ持たぬ貴族か、裕福な民か。


 荷馬車の二人は儂らをおろすと、さっさと逃げるように出発した。マリウスはいるだけで周りに圧をかける迷惑な男だ。


 降ろされたのは街に入ってすぐの広場。円形で噴水が真ん中にあり、馬車の類は左回りと決まっている。噴水が井戸に変わることもあるが、この国では典型的な様式だ。広場を囲む建物に近い側に、いくつかの露店が並ぶのもよくみる光景である。


「馬に乗っておった方が楽だったな」

荷馬車での移動は腰に響く。強張った体を伸ばし、そうこぼす。


「慣れの問題もあるでしょうが、同意いたします」

幼い頃から神殿に入る神官たちは、馬に乗れない者がほとんどだが、公爵の嫡子だったマリウスは馬もよく操った。


「神殿に入ってからはもっぱら馬車でしたが、あそこまで揺れませんしね」

「神官服はずるずるしとるからの」


 神官長の服は人々に与える印象という点ではいいのかもしれんが、機能的ではない。マリウスをはじめ、神官たちはあれで何故生活できるのか全くもって理解できん。


 今のマリウスは、ローブ、ズボンの上に短めの上着。短めと言っても、神殿にいる時のような引きずるほど長いものではないだけで、膝より下も隠しておる。脇にスリットが入っとるので、だいぶ動きやすくはなっとるのだろう。


「宿と食事か。宿はこの時間に取れるかの」

王都から大きな都市へ続く主要な街道には、等間隔で宿屋が整備されているが数は少ない。大抵の貴族の旅は、先ぶれを出して宿の確保や水の確保などをすることが普通だ。


 儂は狩りで山に籠ることもある。なので野宿にも慣れとるが、マリウスが野宿をしたのは魔王討伐の時くらいではないだろうか? 五十年も昔の話だ。これから先、野宿もあるじゃろうが、初日くらいは屋根のある場所で過ごしたい。


「この町は、宿も多いですし、混み合う時期は住人も旅人に部屋を提供することに慣れています。何とかなるでしょう」

マリウスが言う。


「屋台で買い食いでもして、聞いてみるか」

荷馬車の馭者か護衛に聞いておけばよかったのじゃが、マリウスが顔を見せてからビクビクしどうしだったからの。話しかけるに気が引けた。


 美味そうな匂いと音をさせていた屋台で肉の串焼きを買い、部屋が空いてそうで、そこそこの宿をいくつか聞き出し、とりあえず一番近い宿に向かうことに。


「おや、ノル・パンケーキですか」

宿屋の一階は大抵酒場で、露店よりはいいものが食えるのだが、マリウスが露店の端で足を止めた。


 パンケーキは普通ふわっとして甘いもんじゃが、ノルがつくと少々事情が違う。ノルはいうなれば、古い時代のとか古代のという意味だ。


 目の前に並ぶパンケーキも見た目からして現在パンケーキと呼ばれているものとは違う。断面がぺたっとしとって、真ん中に雑穀がはさんであるのが見える。正直に言えば、腹にはたまりそうじゃが、美味そうには見えない。


「ナッツペースト入りは出来ますか?」

マリウスが露店の爺さんに話しかける。


「……」

爺さんが無言でナッツペーストの入った瓶を屋台の見える場所に置く。マリウスがうなずくのを見ると、新しく焼き始めた。


 壺からパンケーキの生地液を、ゆすり混ぜながら石の浅い鍋にそそぐ。


「砂糖は?」

「いりません」

ぶっきらぼうに問いかける露店の爺さんにマリウスが答える。


 ふつふつと表面に泡が立ち始めるとナッツペーストを塗り、砕いたナッツをふりかけ鮮やかな手つきで仕上げてゆく。


「見事なもんじゃの」

遅滞のない職人の仕事はどんなものであっても見ていて気持ちがいい。


 あっという間に石鍋から出され、半分に折り重ねたものに三角になるようナイフが入れられ、その半分である3ピースほどがマリウスの手に渡る。残りの半分は、屋台の雑穀が挟まれたものの隣に置かれた。


「ありがとうございます」

銅貨2枚を払って売買の終了。ちなみに雑穀が挟んであるものは銅貨1枚だ。


「さ、おひとつどうぞ」

にこやかに渡してくるマリウス。


「いや、儂は……」

雑穀が挟んであるものよりマシだが、不味いのを知っているので遠慮したい。


「ノル・パンケーキは苦手で」

困ったように言うマリウス。


「何故買った!?」

わざわざナッツペーストと注文までして、積極的に買ったよな?


「ふふ」

ふふじゃない!


 結局押し付けられて、もそもそと口にする。カリッとする表面はともかく、中がもっちりと言えば聞こえは良いが、もにょもにょと生焼けみたいで好かん。


 ああだが、昔も食ったことがあるな。


 ここではなく、小さな村で。騎士団と別れ、魔王討伐パーティーの四人だけで訪れた最初の村。


 魔物の影響を受けて、きつい生活をしている村だった。それでも魔王討伐のきつい旅に向かう儂らに、少ない食料の中から出してくれた素朴な食事。村人の好意でナッツの入った――あの時は、マリウスが不味いとはっきり口にして、大慌てをしたんだった。


「ああ、やっぱり不味いですね」

笑いながら言うマリウス。


「確かに不味いが、残さず食えよ?」

「ええ」


 それぞれ無言でもそもそと口を動かす。懐かしい味だが、茶が欲しい。決して美味いとは言えないが、自然と口の端が上がって笑いがこみ上げる。


 隣を見ると、マリウスも懐かしそうに笑っていた。

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