第32話 ズレ

 イオの手から杖が飛ぶ。


「お姉さま!」

それに驚き、心配してアリナが小さく叫ぶ。


「よそ見をするでない」

アリナの剣を絡め取るようにして落とす。


「あ……」

剣から離れた自分の小さな手を見て、小さく呟くアリナ。


「どれ、休憩にするか」

半刻ほど打ち合って、剣をしまう。


「ありがとうございました! やっぱりおじい様はお強い!」

途方にくれたような顔から一転、笑顔でアリナが礼を言ってくる。


 ぷにぷにのほっぺたに眉をよせて真剣な顔で剣を振るう孫も可愛いが、弾ける笑顔も可愛いの。遊びから剣を好きになる過程ならともかく、アリナは真面目に剣の修行中じゃがか口には出さんが。


「力負けをするなんて。魔女の弟子として失格ですわ」

イオが杖を拾って絶望的な顔をしている。


「スイルーンは今代の剣ですよ。体も全盛期のようですし、多少の後押しで対抗できると思っている方がおかしいですよ」

マリウスが読んでいた本をパタンと閉じる。


「愉快な格好ですがね」

そして余計な一言。


「ぴゃ〜」

同意するな、お前だお前。儂が愉快なことになってる原因は!


 相変わらず寝る時と食う時以外は背中にしがみついて離れない。戦闘中、手足はがっしり踏ん張っとったが、尻尾があっちへ行きこっちへ行きぷらぷらと。


 剣の打ち合いはアリナと儂。ただ、イオの修行も兼ねてアリナに身体強化、身体増、闘気などの魔法をめいいっぱい掛けていた。


 身体増は、対象となる本人は通常通りだが、体を重くする魔法だ。小柄なことが有利に働くこともあるが、さすがにアリナは軽すぎる。普段は速さと踏み込みの強さで、剣に力をのせているようだが。


 闘気は、気迫を相手への物理的な圧に変える魔法。魔法を使わずとも、儂もアリナも似たようなことができるのだが、アリナのそれをイオが魔法でさらに後押ししていた。


 儂が圧を弾き飛ばした結果、イオの杖も弾き飛ばされたのじゃが。


「おや、本命が来たようですよ」

マリウスが木々の先に目を向ける。


「おじい様、私が」

「私も」


 アリナとイオが前に立つ。


 ここに来たのは魔物の討伐のため。住人の話では、この森に棲みついたのは姿は牛に近く、気が荒くて足が風のように早い。人の声を聞きつけると、まっすぐ走ってきて跳ね飛ばし、咥えてそのまま走り去ると言う。


「足止めは不要ですわよね?」

「はい。あちらに勢いがあった方が都合がいいです」


 イオの確認にアリナが頷く。


 今回のように接近が速い敵相手には、よく敵と味方の間に薄い膜のような魔法を使い、勢いを殺すことが多い。


「参ります!」


 普通の牛より一回りほど小さく、足の太い魔物が立木から姿を見せた。あっという間に距離が詰まる。


 アリナが踏み込み、魔物と剣が交わる瞬間イオがアリナに掛けた魔法を強化する。


「お見事」

ほぼ真っ二つになった魔物を見て、気がない声音で言うマリウス。だがその顔は、ほのかに口の端が上がり笑みを浮かべている。


 魔物を見た時から、実力的に慌てなければ二人なら大丈夫と分かっていた。分かっていたが、孫や孫の年の幼児を魔物の前に立たせることは、嫌じゃ。全部自分で倒してしまいたい。


 もしアリナたちが不覚をとったら、儂が間に合わなかったら。――しなくていい心配もする。それでも飛び出さずに見ていられたのは、マリウスこいつがいるからじゃ。多少の、いや大怪我を負ってもこいつなら一瞬で綺麗に治す。

 

「よくやったの」

儂の元に走ってきたアリナを抱きしめる。


「お姉さまのおかげです」

「イオも」

アリナの頭をなでながら、イオに目を向ければ、スカートの端をつまんで軽く腰を落とす。


「さて、解体はどうするか」

「今日はよろしいでしょう。日が暮れますよ」

そう言いながらマリウスがアリナとイオに清浄の魔法をかける。


 特に返り血も浴びておらんが、儂との手合わせで汗をかいたからじゃろう。清浄は体や服の汚れ、雑菌を落とす。 普通は長旅での中、清潔を保つことは難しく病にかかったり、傷が膿むことも多い。


 以前の旅でもこの魔法は小まめにかけてくれた。なにせ本人が一番風呂に入れんことにキレとったからの。


「私が運びますわ」

イオが箒やタライのように浮かせて運ぶことになった。


 町への道中、街道では何人かがギョッとした顔でこちらを見た。本来はもっと人が行き来する道なのだが、この魔物はこの道を横切ることが多く、人が避けるようになってきたところだ。


 森の魔物が討伐されたよい宣伝じゃ。滞りがちになっていた町への物流もこれで元に戻るじゃろ。


「真っ二つ……」

「幼女と魔物の上下……」

「美少女二人と魔物二つ……」


 ……。


 街道で行きあう人の声が聞こえてくる。儂とマリウスは斬られた魔物を見慣れておるので全く気にしておらんかったが、もしかして絵面がひどい?


「――魔物の血にも内臓にも、動じないというのも変ですね」

誰が、とは言わずマリウスがつぶやく。


「女神の影響か」

「魔物にだけ、ですしね」

ラーヌ・シャルドネに選ばれた者は、魔王トーラー・バルベーラの眷属を殺すことにためらいも罪悪もない。


「それはともかく、私たちの感覚も早急になんとかしないといけません」

そう、ズレているのはアリナとイオだけではない。


 真っ二つにされて浮いている魔物、その隣で二つを一定の高さで揺れなく運ぶことに集中しているイオ、さらにその隣でイオをにこにこと見ながら褒め称えているアリナ。そしてその後をついていく青年の儂とジジイのマリウス。


 先ほどまで何の疑問も持っておらんかった!


「そうじゃな」

「ぴゃー!」


 ぴゃーの同意と道ゆく人の視線が痛い。

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