第9話 世間知らず

「シャトが何の執着もなく人に与えるせいで、だいぶ苦労しました」

懐かしそうに掌の牙を転がすマリウス。  


 シャトは、本人の責に寄らぬことで困っている人を見かけると、放っておけない男だった。たとえ騙されても、少し怒った後に、困っている人は居なかったのかと笑う。


 例えば博打でスッた者に金を与えることはしなかったが、その娘に親が原因の危難が降りかかっていると知れば、娘に金をやる。


 そんなシャトを見て、当時はイライラしたもんじゃ。ところで背中にくっついたヤツが、全く離れる気配がない。


「おぬしも旅の初めは豪遊しまくっていたではないか」

顔はマリウスに向けたまま、背中に手を回してもぞもぞと。どこを掴めばいいのじゃ?


「生活基準で物を選ぶとそうなっただけです。すぐに何にどれだけの金がかかるか、所持金はどれほどか学びましたよ。公爵家での生活は、直接金のやりとりをすることはほぼ無いですからね。心付けの支払いも侍従がしますし、代金は信用買いで後から請求ですから」

マリウスが肩をすくめてみせる。


 そもそも一人で出かけるような立場ではなく、必ず護衛兼務の侍従がついているような生活の男だ。世間知らずは仕方がない。


 店での買い物よりも、領地や国同士の物の流通を考え、全体を富ませることによって民の生活を向上させることが公爵の仕事だ。民の生活くらい知っておけとは思うが。


 そういう意味ではシャトは王には向いていなかったかもしれぬ。身を切って個々を救い上げたがために、度々魔王討伐の足を止めることになった。個々は見捨てて、さっさと魔王を討伐した方が全体のためには明らかにいい。


 ――今考えると勇者には向いていたのだろうな。一緒にいる時はイライラしたもんじゃが。儂の考えでは個々を見捨てず、人々に希望をふりまくのが勇者だ。


「直接……。お金に触るのですか?」

不思議そうに首を傾げるアリナ。


 二人より、もっと世間知らずがいた……っ!


 しかし、会話に耳を傾けつつ視線は儂の体を抜けて、背中の辺りに固定されている気がする。焦点があっておらんぞ!


「現金掛け値無しというものですわ、確か」

どこで覚えたのかイオが答える。


「最近巷では、新しい物でもそのような商売が流行っているようですね」

おっとり笑うマリウス。


 たいていのものは注文があってから作るし、新しい物は信用のおける――体面を気にする貴族や金のある大商人に持ち込まれる。そしてそれらは月末か年払いだ。


 そういうわけで、中古品は別として、新しい物はツケ払いが普通だったのだが、商品の値段にのせられていた、代金回収漏れ分の掛け値を無くして、安い代わりに現金払いというものが街で流行っている。


「元狩り人が始まりと聞くな」

背中にひっついているものを何とか剥がそうと試みながら、会話に加わる。


 狩り人は、魔物を狩って生計を立てる者たちだ。ピンキリだが金はあるがいつ仕事で怪我んするか分からないため、信用は低い。


「ところで、諦めたらいかがです?」

背中に手を伸ばしてもぞもぞしている儂に、マリウスがにこやかな顔を向けてくる。


「おのれ……!」

「おじい様、手伝います」

見かねたアリナが申し出て、儂の後ろに回る。


 儂の孫娘は困っておる人に手を伸ばせる優しい子に育っておる。嬉しくなりながら、膝を落としてアリナの手が届くようにする。


「あ……?」

アリナから小さな戸惑いの声が漏れる。


「おや、触れませんか」

「アスターのおじ様は触れてらっしゃるようですが」

マリウスとイオが儂の背中を覗き込んで言う。


 目の前で人が困っていても、手伝わない二人である。


「流石、聖霊ですねぇ。格好は愉快ですが」

笑いを含んだ柔らかい声。おのれ、マリウス!


「何とかしろ。神殿の領分じゃろ!」

「聖霊の意志に添うのが本分ですよ」

しれっと言い返される。


 背中にはり付いておる聖霊を敬う気もないくせに……っ!


「ぴゃー」

ぴゃーじゃない、主張するな!


「同行を許可すれば、少なくともその愉快な姿からは解放されますよ」

にやにやと――上品な顔はそう見えないが、絶対ににやにやしながらマリウス。


「貴様……」

マリウスを睨みつけるが、どこ吹く風だ。


 このぴゃーぴゃー情けなく鳴くモノを連れて行けと? この旅に女神ラーヌの聖獣を?


 過去の旅は女神ラーヌに導かれ、魔王トーラーの元にたどり着いた。今回の旅も否応なく女神の気配と魔王の残滓ざんしをそこかしこに感じることになるだろう。


 それでも。儂がこの旅の道中に思い出したいのは、過去の旅であって、新しい女神の試練やしるべではない。それらはむしろ邪魔だ。


「おじい様……。必死にしがみついていて、かわいそうです」

悲しそうな顔で見上げてくるアリナ。


「うっ……」

孫、儂の可愛い孫が!


「アリナ……」

アリナの肩を抱きこむようにして落ち着かせつつ、儂に非難するような視線を向けてくるイオ。


「意地悪な老人ですねぇ」

顎を上げこちらを見て、目を細めて笑うマリウス。


「く……っ」

「ぴゃー」


 ぴゃーではないわ! おのれ……っ!


「わかった。連れてゆく、連れてゆけばいいのだろう!?」

あーもう、くそっ!


「おじい様!」

ぱーっと花が咲いたような笑顔を見せるアリナ。


 うう、うちの孫が可愛い。


「ぴゃー」


 ぴゃーではないわ!

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