第10話 ぴゃー命名
アリナとイオは帰っていった。
学ぶべきことを大分先まで終わらせているとはいえ、アリナとイオの自由時間は少ない。新緑の街道を孫と散歩はしばしの癒しじゃった。
一応、休日もあるはずなので、良さげな街が近づいたら調整できんか聞いてみよう。王室揃っての公務や神殿への慰問など、あの幼さで勉強の他にも忙しくしている。少し息抜きにでもなればと思う。
「残ったのはこやつか……」
肩越しに背中に張り付いている聖獣のほうに視線をやる。場所が場所だけに儂からは見えないが。
「まあ、多少愉快さは減りましたね」
儂の背中というか、儂を見てマリウスが言う。
どう考えても儂が愉快な姿だっていっとるじゃろ! おのれ……。
背中に張り付いておった聖獣は、今は儂の首の下あたりに頭だけのぞかせている。マントの上からマントの下に移動しただけともいう。踏ん張りながら張り付いているのは変わらない。
「肩辺りに移動するのかと思ったのですが、よほど貴方の背中が気に入ったんですかね? それともまだ貴方の手から逃げているのですかね?」
「知らんわ!」
笑いを含むマリウスの言葉にぞんざいに返す。
儂以外は触れんらしいが、儂も逃げられるので触ることはできても掴んで引っぺがすまで至らない。ほっそりからどっしり、なにやら胴体は伸び縮みするらしい。面妖な。
「結局名前はどうするのですか?」
「『ぴゃー』でいいじゃろ『ぴゃー』で」
「ダメに決まっているでしょう」
マリウスに素気無く却下される。
「ぴゃー」
「ほれ、『ぴゃー』でいいじゃろ」
「『聖獣ぴゃー』などと紹介するはめになるのですよ? 私は嫌です」
そう言われるとそうじゃの。
「……何がいいんじゃ」
あいにく名付けのセンスには自信がない。
「貴方に張り付いているんですから、スイルーン二世とかでいいんじゃないですか?」
「アホか!」
もっと嫌じゃわ!
「ぴゃー」
「ほら、いいようですよ」
「ダメに決まっとるじゃろ!」
ジジイが二人、街道をのんびり歩きながら言い合う。
儂は一人で歩くと、どうも気が急いてろくに風景も見ずに先へ先へと進む傾向がある。この旅にマリウスの同行があったのはいいことなのだろう。
「オスなんですか? メスなんですか? 聖獣の場合、無性もありえますが」
「どっちでもいい名前にすればいいじゃろ」
石畳に落ちている枝を拾う。
「白いですしねぇ。シンジュでいかがです?」
マリウスも足元の枯れ枝に手を伸ばす。
そろそろ野営の準備だ。
「真珠、海の至宝か。このぴゃーぴゃー鳴くモノに大層な名前じゃの」
「聖獣は大層なモノなのですよ」
このぴゃーが? いや知っている。精霊がそこにいるだけで、気候が安定し作物の実りが良くなる。害虫の発生は抑えられ、食料となる森の動物は増える。
苦労して畑を耕し、守り、その挙句の長雨に作物をダメにする。精霊がいるのならばその機嫌をとっていた方が、楽であるし確実だ。
「儂も含めて、人間は怠け者だからの」
できればそんなモノに頼らず、自身の努力の範囲で得られる物を掴みたい。だが、儂とて領地で二、三年も悪天候が続けば精霊を望みたくなるじゃろう。
「弱い生き物なんですよ」
マリウスが穏やかな笑顔で言う。
「――シンジュか」
「ぴゃー」
背中から嬉しそうな声が上がる。
「まあ、確かにコレの毛色は真珠じゃの。柔らかなのに光沢がある不思議な毛並みじゃ」
耳や手足、尻尾の先はその中でも珍しい青真珠の色――だった気がする。ずっと背中に張り付いておるので、最初の絡まっとる時しかまじまじと見とらん。
「本人もよろしいようですし、シンジュ様とお呼びしましょう」
「ぴゃー」
「様は要らんじゃろ」
「一般的に言って要ります」
二、三日前に強風でも吹いたのか、森に分入るまでもなく街道に落ちていた枝で焚き火を作るための十分な量が集まる。
「さて、この辺りに水場はありましたか?」
「確か、もう少し先で浅瀬を通る」
マリウスはあまり王都から出る立場ではない。出るとしても馬車の中だろう。
だから街や地形についての情報は集めいて頭に入っているものの、どうやら実際の旅に役立つ生活に密接する情報は持っていないらしい。
この辺りは起伏がなく、場所によっては小川が浅く大きく広がっている。その牛や羊なども渡れる、踝ほどもないフォードと呼ばれる浅瀬を街道が横切っている。
「じゃが水辺に近すぎるとまだ夜は冷える」
水辺からも街道からも近すぎず遠すぎない大きな木のたもとを今晩の野営地とする。
「夕食は何になりますかね」
「火を熾して待っておれ」
短弓の弦を貼り直し、さらに森の奥に進む。
弓と矢は少々嵩張るが、狩りには手軽だ。森の中では作り方を知っておれば、矢の補充も自分でできる。――弓と矢の印を持つ者に会ったことがあるが、なかなか便利そうだったの。
儂の印は左の掌。剣との契約の印で、魔力を通してここから剣を出す。この身が鞘で、普段は己が体を巡る魔力で剣を養っておる。
印は自分で手に入れるか、遺伝によって子の一人に受け継がれる。儂の剣は自力で手に入れた物だし、マリウスの杖は魔王討伐の旅の中で手に入れた物。シャトの勇者の剣は遺伝だ。
マリウスの印は左の鎖骨の下あたり、シャトは胸の中央にある。大抵は手や腕、胸の周辺にある――弓と矢の男は膝から出しておったので、儂の周囲に多いだけかもしれんが。
印を持つ者は少ないのだが、なにせ魔王討伐なんぞに関わってくる者はそれなりの実力を持つ者たちなので、儂の遭遇率は高かった。
つらつらと埒もない事を考えながら、見るともなしに獲物に向かって矢を射る。気配を探るのはもはや行動の一部、息をするのと同じ事。そして普通の獣や鳥を相手に矢を外したことはない。
あの大きさはヤマシギあたりかの。もう一匹何か仕留めんとマリウスが文句を言うな。
どさりと音のした方に歩きながら、鳥がいいか魚がいいか次の獲物を考える。流石に猪や鹿が獲れるのはもっと奥だ。いや、ここならば浅瀬を渡るために寄ってくるか?
久々の野営に少し心が浮き立っているようだ。
「ぴゃー」
「ぴゃーではない。獲物が逃げるじゃろうが」
問題はこの背中の物体をどう剥がすかじゃ。
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