#20 『辿り着いた"明日"』
瑠香との波乱の水族館デートから一夜が経った。
まるで何事も無かったかのように登校した僕は、教室へ着くや否や、周囲に居た同級生からの熱い視線を感じていた。こんなに注目されるのは、僕がクラスの人間から避けられる様になった"あの事件"以来だろうか。
この周囲からの視線の原因は、昨晩の出来事が既にバレているからか…… もしくは、目の前にいる冬葵が原因か……。現にこちらを見てきているのは女子生徒ばかり。
多分、『なんでアイツがあの冬葵君と?』的な事を思われているのだろう。
「隼人、本当に無事なんだよな?」
中腰になって、僕の席へと寄りかかる目の前の冬葵は、どこか心配そうな顔をして、そう僕に尋ねた。
「ああ、仮に異常があったら休んでる」
「だよな〜」
実際の所、本当は今日は休もうかと思ったのだが、周囲から好奇の目で見られる事よりも、一年生から続いている皆勤の記録が切れる事の方が、僕にとっては余っ程辛かったのだ。だから何事も無かったかのように、こうして学校にやって来た。
その結果、冬葵からは心配そうな目で見られるし、同級生や廊下ですれ違う人間……後輩や先輩関係なく好奇の目で見られている。
まぁ、僕は誰からどう思われようがどうでもいいが、心配なのは瑠香の方だ。少なくとも昨日の出来事が動画として出回っているなら、瑠香の姿も映っていたはずなのだから。
「なぁ、昨日の事ってもう話題になってるか?」
「そりゃまあな…… ほら」
そう言って冬葵が見せてきたのは、とある動画。
そこには、僕がナイフで腹部を刺される一部始終が記録されていた。
思い返してみると、周囲にスマホを構えた人間が何人か居たような気がする。それなら、動画を撮るよりも先に、警察か救急を呼んでほしい。
「隼人のこの動画、SNSに上げた奴がいてさ 最初に上げた奴はめちゃくちゃに叩かれてアカウント消して逃げたんだけど…… あの後色んな所で拡散されてる」
「消されたら増える……か。 まぁネットの基本だな」
一度ネットに上がった物はそう簡単には消えない。それに第三者によって拡散されることもある。
だからこそ、迂闊に住所や自画像何てものは上げるべきでは無いのだが、まさかよりによって自分が刺されている動画がネットで拡散される事になるとは……。
恐らくこの動画も、この先、跡形もなく消えることないまま、広大なネットの海を泳ぎ続けるだろう。
消そうとしても簡単に消えない上に残り続ける…… デジタルタトゥーとは良く言った物だ。
「ま、別に僕の恥ずかしい動画じゃないからな」
「でも、本当に良かった お前が無事でさ」
「だからって深夜に電話掛けるか?普通?」
日付が変わって深夜2時頃、焦った様子の冬葵に電話を掛けられお陰で今朝は変な時間に目が覚めたのだ。
しかもその後には梨花からも電話が掛かってきて、話に夢中で気がついたら夜が明けてしまっていた。まさか一日の内に『今何時だと思ってんるだ』という羽目になるとは思いもしない。
「仕方ないだろ、最初梨花から聞いた時マジで血の気引いたんだから」
「ま、梨花は声が泣いてたけどな て言うか梨花は?」
まもなくHRが始まるというのに、辺りを見回しても未だ教室に梨花の姿はない。
「休むってさ 眠不足だから」
「朝まで電話に付き合わされた僕は眠いけど来たのにか……」
「まぁ、それくらいショックだったんだろ で、あの動画に映ってた後輩ちゃん どういう関係?」
ここで、冬葵は、僕が一番聞かれたくなかった話題に切り替えてくる。
そしてそれを尋ねる冬葵の口元は何処かニヤついていた。
「……なんでもない、ただの友人」
「隼人もなんやかんやでモテるな〜」
「……だからそんなんじゃないって」
「分かった!分かった!」
と、ここでHRの予鈴が鳴る。
冬葵に対して言おうとした言葉は予鈴に掻き消され、冬葵は逃げるように足早に自分の教室へと戻っていく。
僕の心は何処かモヤモヤした状態のまま、教室へと入ってきた担任の『居ないやつは手上げろ〜』といういつもの一言と共に、また一日が始まった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
午前の授業が終わり、昼休みへ。
誰も昨日の事はわざわざ僕へと聞いては来ないが、いつもに増して教室は居心地が悪い。悪い事をした覚えは無いのだが、まるで悪者を見るような好奇の視線や、この雰囲気が僕はどうにも気に入らない。
なので、足早に昼食片手に教室を出ると、いつもの場所へと向かった。
「入るぞー」
やって来たのは図書室。一応断りを入れてから引くタイプのドアを開け、中へと入る。
この教室は校舎の中でも日当たりが最悪で有名。故に昼間だと言うのに部屋の中は暗いのだが、そんな暗い部屋の中で静かに本を読む少女が一人。
……結衣だ。
「……上坂」
「あー……まぁ知ってると思うけど……」
言おうとした言葉を最後まで言う前に、結衣は持っていた本を閉じ、何も言わずに突然立ち上がる。
突然の行動に驚き、言葉を遮られる僕。
そんな僕の元へと、結衣は一歩……また一歩と近づくと、僕の真正面に立ち、ガシッと抱き着いてきた。
「っ……結衣?」
「嘘つきっ!」
二人しか居ない、静寂に包まれる教室に響き渡る怒りと悲しみと安堵が混ざった様な結衣の声。
初めて見せた結衣の姿や声に、思わず僕は言葉につまる。
「……」
「"危ない事はしない"って……上坂言ったのにっ……!」
いつもの結衣なら絶対しないであろう大胆な行動と、結衣の泣きそうな声は、"悪い事をしたな……"と思わせるには、それはもう充分すぎる物だった。
梨花といい、瑠香といい、結衣といい。女の子を泣かせるのは、流石の僕でも申し訳なさで一杯になる。
「上坂のばかぁ……」
「悪かったな結衣 けど、必要だったんだよ"あの行動"は」
『神崎瑠香が誰かに刺される』という未来までは僕らも分かっていた。
ならば"あくまで"未来を変えたいなら僕が犠牲になればいい。
結果、過程がどうであれ『神崎瑠香が誰かに刺される』という未来は変わったのだ。
とはいえ、だからと言ってただ刺されて死ぬのは後味も悪く、また僕自身も嫌なので、僕に出来る精一杯の自己防衛が"懐に分厚い辞典と下敷きを挟む"事だった。
結果的に、相手の持っていたナイフが刃渡りの短な物だったのと、相手側にも躊躇があり深く刺さらなかった事もあり無傷で生還出来た。
恐らくこれで、これから先の人生を生きていく上での運は使い切った筈だ、宝くじを当てて働かずに億万長者の夢は諦めるしかないらしい。
泣いたままの結衣を落ち着かせるために椅子に座らせて、ポケットから出した、昼食用に持ってきたクリームパンの半分を渡す。
いつもならば『物で釣るな』と言われそうだが、泣いて憔悴し、疲れたせいか、差し出したクリームパンを素直に受け取って両手でそれを頬張る。まるで動物に餌でもやっている気分。
「移動販売のクリームパンじゃなくて悪いな」
「……」
アレは易々と手に入るものではないので、渡したのは市販のクリームパンではあるものの、結衣は黙々と頬張る。
そして全て食べきった所で、結衣は改めて口を開いた。
「で、昨日は何があったの?」
「出回ってる動画は見たか?」
僕の言葉に、結衣は無言で頷いた。
「まぁ懐に辞典と下敷き挟んでてさ、お陰で無傷」
何の傷もない事の証明をする為、着ているシャツに手を掛け、腹部を見せようとした所で思わず手を止める。
危うく女子の前で脱ぎ出す変態になる所だった。
「その後は?」
「一応病院に連れてかれた。 検査したけど異常はなかったんだけど、その後に警察から事情聴取受けてさ…… 警察側からしたら"懐に下敷きと辞典を挟んでいた"事がめちゃくちゃ怪しかったみたいで」
「まぁ、だろうね」
「怪しまれるならいいんだけど、『これ盗品じゃないですか?』とか変な疑い掛けられて…… そこで瑠香の『私が先輩に借りてた下敷きと辞典を返したんですけど、入れる所がなくて』っていう一言で『なら……』みたいに疑いは晴れたんだけど」
今思い返しても意味のわからない言い訳で疑いは晴れたが、恐らく警察の人には『入れる所が無かったら懐に物を入れる変人』として見られただろう。
僕はカンガルーか、何でも入るポケットを持った猫型ロボットか何かか。
「まぁ、これで一件落着だろ 未来は変わったんだし」
「そうだといいけど……」
「いや、そうじゃないと困る もう刺されるなんて御免だ」
いくら無傷の生還をしたと言えど、もうこれから先一生、自分の腹部に刃物が刺さっている光景なんて見たくない。あの時の自分はどうかしてたのであんな行動が出来たが、今振り返ってみると命知らずも甚だしい……と思う。
まぁ、結果的にそれが未来を変えるトリガーになったなら無駄では無かったと思うが。
「これでやっとまた平和に暮らせる訳だ、しばらくは何も考えたくない」
「でも上坂、もうすぐ中間考査だよ」
「はぁ……忘れてたわ」
一難去ってまた一難、今度は、"自分の進路"という名の未来と戦わないと行けないらしい。
しばらく未来の事についてを考えるのは辞めよう。
◇◆◇◆◇◆◇
時は進み、放課後。
冬葵は部活、梨花は休み。そして結衣も野暮用があるらしく、僕は一人寂しく駅までの通学路をとぼとぼと歩いていた。
歩道から、道路を挟んだ先にある海の方から聞こえるさざ波の音に耳を傾け、ふと海を見た。
九月に入ると、流石に海で遊ぶ人間の姿は少なくなったが、相変わらずサーファーは波に乗っている。
『いくら何でももう寒いだろ』と、そんな事を考えながら歩いていると、後ろからやって来た誰かが僕の横でスピードを落とし、並んで歩いている。
こんな事をするのは梨花くらいにしか思いつかないのだが、今日は居ない。だとすれば……
僕はチラッと隣を見ると、それは瑠香だった。
「……瑠香か」
「先輩、一緒に帰りませんか?」
「良いけど、友達は?」
瑠香を見て感じた違和感の正体。それは、いつも瑠香の周りに居るはずの友人の姿がない事。普段は学校に居る時も、登校も下校も一緒の筈だ。
……まさか、学校の変人枠の僕と一緒に居るのがバレ、友人からも距離を置かれたのでは……。
嫌な予感が頭を過る。
「昨日の先輩の動画、私のクラスでも出回ってて、それでそれを見た友達が 私と先輩が付き合ってる って思いこんで……」
「あー…… 瑠香も映ってたもんな……」
「はい! で、『今日は私達とじゃなくて先輩と帰りなよ!』って言われて……」
「そりゃあ……また変な勘違いされたな」
とはいえ、安心した。
瑠香が友人から避けられている訳では無い事に。
「……まぁ私は別に勘違いされたままでもいいですけど」
「え?」
「い、いえ! なんで、一緒に帰りませんか?」
「そうだなぁ、一緒に帰るか」
そうして瑠香と並んで歩く、駅までの通学路。
他愛のない話に花を咲かせながら歩いていると、あっという間に駅に到着。
瑠香の自宅は駅から五分ほどの場所にある故に、電車に乗って、夢乃原駅に着いてしまえば即解散になる。
それが……今日は何だが惜しい気がして、僕らはせっかく歩いてきた駅を引き返し、理由もなく先程見ていた海岸へと向かった。
時刻は十六時になる。いつもならば駅に到着して帰路に着いている筈だが、僕らが居るのは砂浜の上。
ズボンが砂で汚れるとは分かっていながらも、砂の上に腰を下ろして、体育座りで、海辺に足を海に付けている瑠香の様子を見守る。
「先輩も一緒にしませんかー?」
「いや、僕はいい」
「えー……」
瑠香は少し残念そうにこちらへと戻ってくると、僕と同じ様に砂の上に腰を下ろす。スカートの中が見えるのを気にしてか、しきりに足の位置を試行錯誤しているが、周囲にはもう誰もいないし、僕の座っている位置からは、残念ながら角度的に見えない。
忙しない動きを何度かしてから、ようやく納得の行く状態になったのか、身体の動きを止めて、代わりに口を開いた。
「私、先輩には本当に感謝してます! もしあの日、先輩達に会わなかったら こうして今日の私は生きてなかったですから」
視線を海の方へと向け、瑠香はそう語る。
視界の先には、真っ赤に燃える太陽が水平線の向こうへと吸い込まれようとしていた。
「そういやずっと気になってたんだけど、なんであの日 図書室に居たんだ?」
僕はずっと瑠香に聞きたかったことをようやく口にして問う。
僕が結衣と『見えないはずの物が見える』事について話していた時 、偶然その場に居たのが瑠香。
図書室には滅多に人が来ない。現に僕は二年間学校に通っていて、昼休みに図書室に来た人間を目撃したのなんて片手で数えられる程の数しかいない。それ故になんで図書室に居たのか知りたかったのだ。聞くチャンスなど幾らでもあったが、いつか聞こうと思って後回しにてすっかり忘れていた。
「『誰かに刺される未来』を見てから、私、ずっと護衛に関する本が無いかなって探してたんです」
「それでか……」
腑に落ちた。とはいえそんな本、高校の図書室にある物だろうか。
「まぁ、結局見つからなかったんですけど…… でも、探している時に先輩達の話している内容が聞こえて もしかしたら、この人達も私と同じ様に『見えない物が見える』かも!って……」
その出会いの結果、神崎瑠香は上坂隼人と上野結衣による干渉によって未来は無事に変わった……筈。
未来なんてものは、案外小さな出会い一つで大きく変わるものなのかもしれない。
それに、未来は変えようと思う意志があれば変えられるという事を学んだ。
あの日、未来が変わったのは、瑠香が"生きたい"と思ったからだ。その思いを知り、僕は覚悟を決めて立ち向かった。
危ない目にはあったが、ある意味いい経験になった。とはいえ二度目はごめん蒙りたい。
「これからも、私は生きたい って思い続けます 先輩とはまだ話したい事もありますし、行きたいところもありますから!今度は上野先輩も一緒に!」
「ああ、だな」
一週間以上にも及んだ、未来との戦い。
一緒に笑って……泣いて…… こうして、僕らが辿り着いたのは、悲しい結末ではなく、"共に笑い合える未来"。
危険な目には遭ったが、終わり良ければ全て良し。
こうしてやっと、僕も……そして瑠香もいつも通りの日常へと戻れる。
どうか、これ以上の厄介事が起こりませんように……
そう願いながら、僕と瑠香の二人は時間の許す限り、砂浜で海を眺めていた。
続く
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