#32『取り戻したモノ 失ったモノ』
「─────」
遠くで、誰かに呼ばれている感覚がした。
「───いちゃん」
またもや誰かに呼ばれている感覚する。
それに、身体が大きく揺さぶられた。
何だか眩しいし、肌寒い。
「───お兄ちゃん!」
次第に誰かが僕を呼ぶ声と、視界と、意識が鮮明になっていく。
どうやら、眠っていたらしい。
寝起きで思考が纏まらない僕の目に映るのは、何処か焦った様子で僕の身体を揺らす妹の姿……
──────妹?
「由希!?」
「うわぁっ!」
突然名前を呼びながら飛び起きた僕に驚き、由希が素っ頓狂な声を上げて後ろに仰け反る。
「由希だよな!?」
「……は、はい! 妹の由希ですけど……」
「由希っ!」
「お兄ちゃん!?」
失っていた存在が、目の前にいる。
二度と会えないと思った……妹が。
僕は喜びの余り、普段なら僕からは絶対にしないであろう行動── 由希へと思いっきり抱き着いた。
「由希だ……!」
両腕を由希の背中に回し、少し強く抱きしめる。
ほのかに温かい体温、それを感じとってこれが夢ではないのを確信した。間違いなく、僕はあの世界から脱出したんだ。
「……うぅ 嬉しいです……! ついに私の思いがお兄ちゃんに届いたんですね……」
一人暴走する由希を見て、僕は『あっ、やべ』と我に返る。
喜びの余り妹に抱きつくなんて、柄にでもないことをしてしまった。妹が僕に好意を抱いてくれているからまだ幾分か良かったものの、第三者から見てみればシスコン以外の何者でもない。
少し反省しながら抱きしめた腕を離し、僕はスマホを開いて日にちを確認する。
……間違いない、僕が別世界に迷い込んでいた間の二日間が、こちらの世界でも経過している。
「なぁ由希、一つ聞いていいか?」
「はい、なんでしょう?」
「この二日間、僕に変わった様子無かったか?」
「変わった様子……?」
由希は顎に手を当て、考える素振りを見せた。
それから時間にして凡そ三十秒程の沈黙が続き、『いえ、いつものお兄ちゃんでしたけど』という解答が帰ってくる。
「そうか……」
「どうかしました?あっ、もしかして記憶が無いとか!?大変です!」
「いや、ちゃんと全部覚えてるよ」
覚えているとも……、本当にちゃんと。
忘れる訳ない、この世界に戻ってくるまでの二日間を。
生きていて欲しかった人が生きていて、揃うはずの無かった家族が揃う。そんな"あるかも知れなかった可能性"を捨ててまで僕は戻ってきた。
後悔をしていない ……といえば、正直な所 嘘になる。
それでも、これは考えに考えて僕が選んだ事。
提示された二択の選択肢の中で、有り得た可能性 よりも、生きるべき現実・戻るべき世界 を取った。
ただそれだけの話。
「……良かったんだよな、これで」
そう自分に言い聞かせ、僕は元の世界へと戻ってきた事を噛み締めながら、支度をする為に部屋を出た。
◇◆◇◆◇◆◇
顔を洗い、完全に目を覚ましてからリビングへと向かう。
キッチンには母親が居た。そう言えば、二日前に戻って来る予定だった筈だ。
「おはよう隼人、早くご飯食べて家を出る支度しなさい」
「おはよう母さん。戴きます」
促されるまま椅子に座り、机に並べてあった食事を摂る。
"この世界"の母親と会うのは数ヶ月振り、でも新鮮味はない。全く同じ外見で、同じ名前をした人間とはつい昨日も会っている。
「これ、お弁当。ここに置いとくから忘れずに持っていってね」
「ありがとう。 母さんは次いつあっちに戻るの?」
「え?言わなかったっけ?こっちに戻る事になったの、それに由希の病院がどうにかなるまでは休もうと思って」
「……ごめん、そうだったけ忘れてた」
知らない間に話が進んでいる。まぁそれも仕方ない、僕からすれば"こっち"は二日ぶりなのだ。
でも、それなら本当に良かった。暫くの間はこうして早起きしなくても朝食は出来ているし、一人で全てやっていた家事の苦労も多少は楽になる。これで僕にも少し気持ちに余裕ができる。
でも、由希の病気だけは一秒でも早く治って欲しい。
「ほら、隼人。電車の時間もあるんでしょ?ぼーっとしてないで、早く食べなさい」
「ごめん、そうするよ」
後は父親と……、春奈さえ居れば……。
そう考えると、再び失う事になった姉の存在を思い出して胸が苦しくなる。
「(全て覚悟の上で戻ってきた筈なのに、何を今更後悔してるんだ僕は……)」
◇◆◇
時刻はまもなく八時を過ぎる所。
夢乃原市の中心部にある『夢乃原駅』から、電車に揺られる事凡そ二十分。
住宅街の沿線を走る電車はトンネルを抜け、景色は青い海に変わった。
季節はまもなく完全に冬を迎える。数ヶ月前までは『暑い〜』なんて言っていた学生の殆どはネクタイを締めてブレザーを羽織っている。
勿論、それは僕とて例外では無い。
過ごしやすい秋が終わってしまい、寒さに震える季節がすぐそこまで来ている事実に不快感を覚えながらも、今日も吊革に捕まりながら、隣に立っている幼馴染の赤城冬葵と、生産性のない会話を繰り広げていた。
「なぁ、隼人」
「なんだよ」
「お前、俺に隠してる事あるだろ」
そう言われても、イマイチ ピンと来なかった。
なんせ冬葵には隠してる事が多すぎる、一体どれの事を言ってるのか、てんで検討が付かない。
「無い」
「嘘つけよ、俺見たんだよなぁ……隼人が上野さんとキスしようとしてるところ」
その言葉を聞き、思わず冬葵の方を見た。
まさか見られていたとは、よりにもよって一番見られたくなかった奴に。
「珍しく上野さんが隼人の教室来てたの見たから、コッソリ後尾けて見張ってたら、キスしてるんだもん マジでビビったぜ?あの隼人が遂に……! って」
そう語る冬葵の声は何処か楽しそうだ。
僕からすれば、一秒でも早く証拠隠滅のためにコイツを殺したい。
「あっ、心配すんな。誰にも言ってないから」
「言ってたら、即お前の事バラバラにしてる」
「おぉ怖。でもさ、安心したよ」
「何がだよ」
「やっぱり、ちゃんと"上野優衣"の事振り切れたんだって。」
また"上野優衣"。
何度その名を口にされても、僕には誰かも思い出せないというのに。
「本当に誰なんだよ 上野優衣 って」
「お前こそどうしたんだよ、初恋の相手忘れる程、記憶力無いわけじゃないだろ」
「覚えてないって事は、それくらい僕からしたら忘れたい記憶なんだろ。僕にはもう結衣が居るし、覚えてないから引き摺るもクソもない。それに、言っとくがまだ僕はキスしてない」
三日前のアレは、未遂に終わったのだ。結局の所、後一センチという所で予鈴に遮られて結局していない。僕のファーストキスはまだ守られたままだ。
「まぁ、隼人がキスしてる・してないはどうでもいいんだけどな」
「じゃあ言うなよ」
「まぁとにかく、幸せになれよ。てか上野さんの事幸せにしろよ」
「……言われなくても、そのつもりだ」
僕は冬葵にそう返すと共に、電車は『夢乃原高校前駅』に止まった。
ゾロゾロと降りていく学生達に続き、僕と冬葵もそれに続いて電車を降りると、学校へと向けて歩いていく。
今日もまた、一日が始まる。
◇◆◇◆◇◆◇
午前の授業を終え、昼休みに入る。
僕はこの二日間の事を結衣に報告する為、母お手製の弁当を片手に、教室を出て図書室へと向かった。
「入るぞ」
一応そう告げて、図書室へと入る。
中には相変わらず、静かに本を読んでいる結衣一人だけが居た。
僕は中へと入り、何も言わずに結衣の真向かいへと座って弁当を開くと、手を合わせて『いただきます』と言ったから弁当を頬張る。
それから五分程で弁当を平らげ、暇そうに本を読んでいる結衣へと話し掛けた。
「なぁ、いつも本読んでるけど何読んでんの?」
「これ?『記憶のない王子様』って小説」
「あぁそれか、前に僕も妹に買ってやったな」
全てが始まったあの夏休み前の事、珍しく『この本が欲しい!』という由希の要望に答え、なけなしのバイト代で買ってやった小説。
確か内容は……悪い魔女の力で記憶を失った王子様が、旅をして出会った最愛の人のお陰で記憶を取り戻すお話。オチは王子が自らの記憶を奪った悪い魔女を許し、友人になってハッピーエンド みたいな話だったと思う。由希に渡す前に簡単に読んだので、内容は何となく覚えている。
「僕も読んだけど、意外と面白かったな」
「へぇ、上坂も本とか読むんだ」
「その台詞、お前と初めて話した時以来だな…… 別に僕だって小説くらい読むぞ。にしても、まさか魔女の正体が王子の初恋相手だったなん……」
そこまで言った所で、真向かいに座っている結衣の目付きが鋭くなった。
これはあれだ、恐らく意図せずネタバレをした。結衣の殺意の籠った目付きがそう教えてくれる。目は口ほどに物を言う と言うが、正しくその通りだ。
「オホン ……そういえば、この二日間の僕におかしい所は無かったか?」
わざとらしい咳払いを一つしながら、無理矢理とは分かっていながらも話の転換を試みる。
「上坂がおかしいのはいつもでしょ」
「お前それ、彼氏に言う台詞か?……」
「強いて言うなら、いきなりそんな事を聞いてくる所かな。私が覚えている限り、この二日間の上坂はいつも通りだった」
「"妹が消えた"とか言ってなかったか?」
「……また厄介事?お祓い行ったら?いい所探そうか?」
「生憎その厄介事だ。この二日間、"由希が存在しなくて、姉が生きている世界"に迷い込んでいた。で、別世界の結衣にも『お祓い行ったら?』って言われた」
少し項垂れながら、僕は結衣にこの二日間の事を話した。
「よく脱出出来たね」
「"もう一人の僕"から脱出方法聞いたからな。"この世界から出たいならこの世界を否定しろ。お前がこの世界に迷い込んだ様に"ってな。」
「上坂。」
「?」
「精神状態、大丈夫?」
「……」
返ってきた言葉は、想定内のもの。
でも客観視してみれば、確かに僕の言っている言葉はかなりヤバいのも事実だ。漫画やアニメの見すぎと言われても仕方がない。
「生憎、正気だ。」
僕が狂っていた だけで済むならどれだけ良かった事か。
「証拠は?」
「ない。"別世界に居た"っていう僕の証言だけだ。なに、別に信用しろとは言ってない。」
「信用しないとも言ってない。で、今度はどの女の子が原因?」
「なんで女の子確定なんだよ」
「神崎さんも、私も、夏希も、上坂が変な事に巻き込まれる時は大抵女子絡みでしょ?」
視線を窓の外へと移しながら、結衣はそう語る。
確かに、これまでを振り返ってみればそうだ。
とはいえ、思い当たる節が見つからない。どうして僕は、"上坂由希が存在しない世界"へと迷い込んだのだろうか。誰かに会った訳でも、結衣や由希に原因があるとも思えない。
「だとすれば……」
だとすれば、原因は"僕"か。
そう考えれば何となく納得がいく気がした。理由はハッキリとは言えないけれど。
「上坂?」
「ん?あぁ、なんでもない」
「その割には考えている様子だったけど。……まぁいいや、それでこの二日の記憶がないって事は、"今の上坂"は約束覚えてないんだね」
「約束?」
「うん、今週の土曜日にデートするっていう約束」
生憎、その約束は知らない。僕の奴め、そういう事なら机の上にメモくらい残してくれておいてくれればいいのに。
「結衣様とデートできるなんて幸せです」
「上坂なんかキモ」
「お前酷いな。ま、楽しみにしとくわ。結衣のフリフリのスカート姿」
「スカートを履くなんて一言も言ってない」
「馬鹿、ツインテールにはフリフリのスカートって決まってんだよ」
「誰が決めたの」
「僕だ」
「アホだね上坂は」
二人しか居ない図書室に、午後の授業開始五分前を告げるチャイムが鳴る。
僕と結衣は椅子を元に戻すと、お互いの教室ある校舎に戻るまでの短い間だけ、指先だけで手を繋いで午後の授業へと向かった。
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