#31 『醒めない夢』

 結論から先に言うと、一夜経って朝を迎えても世界が元に戻っている様子は無かった。


「おはよう隼人、朝だよ」


 今日もまた、昨日と変わらず姉の春奈が僕の部屋にやってきて笑顔でそう語る。

『一晩眠って起きたら世界が戻っているかもしれない』なんて淡い期待は、目を覚ます共にいとも容易く打ち砕かれた。


「……まずいぞこれ」

「どうかした?」

「いや、なんでもない 今行くよ」

「分かった」


 春奈が僕の部屋を後にするのを確認してから、僕もとりあえずベッドから降りた。

 それから枕元に置いていたスマホを手に取り、電話帳を開いて『上野結衣』の名前をタップして電話を掛ける。

 朝早くで迷惑がるだろうが、伝えておかないといけない気がした。


『……もしもし』

「僕だ」

『上坂って常識ないの?』


 電話越しでも、結衣が眠そうなのが伝わってくる。

 知らなかったが、意外と朝に弱いのかもしれない。


「そんなもの、元の世界に置いてきた」

『その口振りからするに、元に戻らなかったんだ』

「ああ、だからめちゃくちゃ焦ってる」

『だからってこんな時間に電話してこないで』

「この思いをすぐに伝えたくて…… それに、今日休みだしさ。多分結衣と会えないから」

『そんなに会いたいなら会う?』

「生憎今日バイト入れてるんだよ、多分。」


 この世界でも、恐らくバイトはしているはずだ。

 しているのなら、今日は朝十時からシフトが入っている。

 ……何だか不安になってきた。


「……なぁ、この世界の僕もバイトしてるよな?」

『してるよ、駅前のファミリーレストラン』

「ならよかった」


 ホッと胸を撫で下ろす。

 これでもしバイトをしてないのに勤務先に行けば、従業員を自称する変な客になる所だ。


「とにかく、世界が元には戻ってないって事伝えたかっただけ。朝早くから悪かったな」

『……本当、電話掛けるならもう少し後にして』


 電話の向こうから、結衣の可愛らしい欠伸の声が聞こえてきた。どうやら本当に眠そうだ。


「ま、朝から結衣の声が聞けてよかった」

『……私も』


「『……』」


 そう言った手前、何だかお互い恥ずかしくなり、しばらく無言が続いた。


「電話切るわ おやすみ」

『もう起きる じゃあね』


 僕はそう言って会話を終わらせてから、電話を切った。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 駅前のレストランまで徒歩で二十分は掛かる。

 シフトは十時から。その為、九時半前には姉の春奈に見送られて家を出た。


 駅までのいつもの道を歩きながら、僕はボーっとしていた。

 由希が消え、春奈が生きているこの世界。

 それ以外は何ら変わった様子は無い。

 今日もこの時間にジョギングをしている近所のおじさんに、井戸端会議をするおばさん達。今日は土日休みなので、休みの小学生達が自転車で僕が歩く横を颯爽と駆けていく。

 本当にいつもと変わらない風景だ。

 きっとこの世界の誰もが、由希が居なくなった事には気付かず、また知らない。知っているのは僕一人だけ。

 やはりこの世界では、僕だけが間違っているのかもしれない。


「……でも」


 例え間違っているのだとしても、諦める気はない。

 ここは、間違いなく僕が暮らしていた元の世界では無い。

 確かに居心地はいい。生きていて欲しかった人が生きていて、家族もバラバラになっていない。

 その上、元いた世界とは大した相違点は無い。

 由希が居ないだけ。それでも、ただ一つのその違いが、僕にとっては大きすぎる。

 春奈には生きていて欲しい、由希にも生きていて欲しい。でも、きっと選べるのは一つだけ。

 その二つが両立した世界ならば、ここまで戻りたいとは二度と思わなかっただろう。


「……なんて考えている間に、着いちまったよ」


 気づけば、バイト先のファミレスの目の前まで来てしまった。

 今日は十時から十六時まで、忙しくない事を祈りながら店の中へと入った。


 ◇◆◇


 ピーク時の昼時を何とか乗り越え、少し遅めの休憩に入る。

 僕の期待に反して、店は大盛況。

 どれだけ忙しくても、暇な時と給料は変わらないと思うと悲しくなってくる。

 疲れきって椅子に項垂れながらも、考えるのは元の世界に戻る方法。どうやってこの世界に迷い込んだかさえ分かれば、答えにグッと近づける筈なのだが……


「……分かんねえ」


 何事もなかったはずなのに、目を覚ませば別世界。

 誰かに会った訳でも、面倒事に巻き込まれた訳でもない。強いて言うなら、僕の記憶から消えている初恋相手の"上野優衣"が少し怪しいが、まだ会ったことも無い。多分この件には関係ないだろう。

 だとすれば……




『いい加減気付けよ、原因は自分だって』




 僕一人しか居ない筈のバックヤード兼更衣室に、"聞き馴染みのある"声が響いた。

 咄嗟に辺りを振り返るが、どこにも姿は無い。


「……気の所為か」


『気の所為じゃない』


 僕の言葉を否定する様に、再び、聞き馴染みのある声が響いた。

 この声は……







 ……僕自身だ。

 聞き間違えるわけが無い、この声は僕の声。


『間抜けな顔してるな』


 声の主は、まるで最初からそこに居たかの様に、僕の真向かいへと座っていた。


「……お前、僕か?」


『あぁ、"俺"はお前だ』


 目の前にいるのは、間違いなく"上坂隼人"そのもの。

 出会う筈のない、もう一人の"僕"。


「どうなってんだよ……」


 理解が追いつかない。急に違う世界に迷い込んだかと思えば、今度は目の前に自分が居る。

 冗談もいい加減にして欲しい、悪い夢なら覚めて欲しい。


『答えが欲しいんだろ、元の世界に戻る為の答えが』

「……お前、知ってるのか?」

『あんまりにももう一人の"俺"が不甲斐ないから教えてやるよ。


『この世界を否定しろ、"お前がこの世界に迷い込んだ様に"』


「……否定すればいいのか、この世界を」


『ここは、お前の心の迷いが生み出した世界だ 否定すれば戻れる。 後は上手くやれ』


 目の前の"僕"は、そう言い残すと共に消えていく


「おい、待てよ! 何を知ってんだ!」


 僕の静止を聞かず、"僕"は完全に消えた。


「……なんなんだよ、いきなり現れたかと思えば」




「おーい隼人」


 ボーっとしていた僕は、突然やって来た店長に呼びかけられ、ハッと我に戻った。


「は、はい!」

「お客さん、お前の事ご指名だ」

「ウチそういうシステムありましたっけ」

「ない。けど、お客さんがお前の名前出したから一応呼びに来た」

「了解です、今行きます」


 椅子から立ち上がり、大きく伸びを一つをする。

 ふと目の前へと視線をやる。先程まで、"僕"が居た場所には誰も居ない。

 何だったのだろうか、さっきのは。


 "元の世界に戻るには、この世界を否定する"


「……本当に戻れるのか」


 もう一人の僕の言葉に引っかかりを覚える。

 そもそも、アレは本当に僕なのだろうか。

 気になる事は山積みだが、一旦気持ちを切り替えて、僕はホールへと戻った。


 ◇◆◇


「あっ、隼人〜」


 僕をご指名のお客が居ると聞いてホールへと戻ったが、その正体は姉 春奈。

 今日は午前中に授業があるとは聞いたが、まさかバイト先に来るとは思わなかった。


「なんで姉ちゃんが……」

「可愛い弟がバイトしてる姿をこの目に焼き付けたくて! 写真撮ってもいい?」

「写真撮影はお断り」

「えー……」


 春奈は心底残念そうに項垂れる。

 もしも、元の世界で春奈が生きていたら……こんな風にバイトをしている姿を見せて居たのかも。


 "元の世界に戻るには、この世界を否定する"


 ……元の世界に戻るには、"春奈が生きているこの世界"を否定するという事。

 原因は分かった、元の世界に戻る方法も。

 元の世界に戻らないといけない、由希を取り戻さないといけない。でも、それは春奈を再び失う事になる。

 こうして生きている姉の姿を前にして、その決心が鈍りそうになる。


「隼人……?」

「……」

「おーい、隼人ー」

「……ん ごめん、ボーっとしてた」

「最近なんか隼人おかしいよ? ……このいちごパフェ一つお願いね」

「了解」


 それでも……僕は……


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 バイトを終え、僕は自宅へと到着。

 用意されていた夕飯を食べてから、風呂を済ませ、部屋に戻ってから結衣へと電話を掛ける。


『もしもし』

「僕だ」

『今度は何?』

「元の世界に戻る方法がわかった」

『へぇ、よく分かったね』

「もう一人の僕に教えてもらったからな」


 僕がそう言ってから、結衣は五秒ほど無言になった後、


『上坂、頭大丈夫?』


 と言い放った。

 確かにおかしい、なんなら未だに信じてない。アレがもう一人の自分だなんて。一人称も"俺"だし、何より口が悪い。


「僕だって信じたくないが」

『で、どうやって戻るの』

「この世界を否定しろ ってさ」

『何それ』

「分からない。けど、とりあえず今からこの世界の事を否定しまくって明日世界が元に戻る様に祈る。だから、最後に結衣に伝えとこうと思って」

『戻れなかったら?』

「その時はまた相談しに行くわ。慰めてくれ」

『……分かった じゃあね』

「ああ、お休み 結衣」


 プツリと電話が切れる。

 後は、この世界を否定しまくって世界を元に戻すだけ。

 部屋の電気を落とし、僕はベッドに潜ると、目を閉じる。


「……この世界は 僕の世界じゃない」


 僕には戻るべき場所がある。

 例え、元の世界がこの世界よりも救いが無くても、戻らないといけない理由がある。

 強くそう念じていると、突然部屋の扉が開く音がした。


「……隼人、起きてる?」

「寝てる」

「起きてるじゃん」


 僕の部屋を尋ねてきたのは春奈。

 よりにもよって、会いたくないタイミングでやって来た。


「お姉ちゃんが添い寝してあげるね」

「嫌だ」

「嫌だと言っても勝手に入ります〜」


 断った筈なのに、春奈は無理やり僕が眠る同じ布団へと潜り込んで来た。

 同じ布団に男女二人、実の姉とは言え何だか恥ずかしいので、僕は春奈とは反対の方へと横向きになる。


「ねぇ、後ろから抱き着いていい?」

「……どうせ嫌だって言ってもするんだろ」

「正解〜」


 横向きに寝る僕の背後から抱きつく春奈。

 柔らかな双丘の感触を背中に感じ、ますます恥ずかしくなる。

 同時に、幽霊だった春奈にこうして後ろから抱きしめられた事を思い出した。

 あの時と違う点を一つ上げるとするなら、背中で春奈の心臓の鼓動を感じていること。それは、この世界の春奈が本当に生きている事を示す。

 それは僕にとっても本当に嬉しい。春奈には生きていて欲しかったから。

 だけれども、僕は今からそんなこの世界を否定しなくてはならない。


「……ねぇ隼人」

「何」

「私ね、最近毎日不思議な夢を見るの」

「夢?」

「うん、何処かの屋上でね 男の子と出会って仲良くなる夢。」

「……」

「その男の子と色んな話をした、家族の事……好きな物から何まで。その男の子には心臓に病気を患った妹が居てね、名前は……」

「由希だろ」


僕は全てを見透かした様に、春奈の答えを聞かずにそう答えた。確実に合っているという、確信があったから。

であれば、必然的に春奈の言う男の子の名前も分かる。それは……


「……そう。男の子の名前も隼人。それで、花火大会の夜、何故か屋上にやって来た隼人と花火を見て、お別れをした」


 春奈が見た夢を、僕は知っている。

 数ヶ月前、幽霊だった春奈と過ごした日々と、その別れ。自らが体験した、不思議な女性との日々。


「ねぇ隼人」

「何、姉ちゃん」

「隼人は……私が見た"夢の世界"から来た隼人何でしょ?」


 春奈が口にした言葉に、僕はすぐ答えが出せなかった。

 今なら分かる。何故、僕が春奈"さん"に『幽霊なんですか?』と問い掛けた時にすぐ答えが返ってこなかったのか。人間、核心を突かれると驚いて答えにくくなるのだ。

 そんな中で僕が出した答えはやはり


「そうだよ」


 という肯定。

 今更否定しても意味は無い。


「やっぱりそうなんだ」

「ああ、だから僕は戻らないといけない。僕の世界に。」

「……今の隼人が居た世界の私はどうなってる?」

「……僕が産まれてすぐ亡くなった」

「そっか」

「僕は……頭の中では元の世界に戻りたいと思いながら、一番生きていて欲しい人が生きているこの世界から戻りたくないって考える自分も居た」


 今なら分かる気がした。何故目の前にもう一人の僕が現れたのか。

 きっとあれは、僕の迷いから生まれた分身。相反する思いを持つ自分自身。

"元の世界へと戻りたい"と願う僕と、"いつまでもこの世界で姉と過ごしたい"と願う僕。


「……私がこうやって隼人の部屋に来たせいで、揺らいじゃった?」

「正直、ね。けど、やっぱり僕は戻るよ。"ここは僕の世界じゃない" 」


 そう口にした途端、突然急激な眠気が僕を襲う。

きっと、春奈を前にして"世界を否定した"事が引き金になったのだろう。

 全てを曝け出した以上、まだ伝えたい事は沢山あるというのに……、身体がこの世界にこれ以上留まる事を拒んでいる。


「……姉ちゃん」

「隼人?」


 変わらず後ろから抱きしめられているはずなのに、身体から春奈の感触が……体温が消えていく。

 重りが乗っているのかと錯覚するほどに、瞼が重い。

恐らく、この世界に居られる時間はもう無い。けれどもこれは僕が選んだ事だ。

僕は完全に意識が途切れる前に、最後の力を振り絞って春奈の方を向き、せめてもと伝えたい言葉を口にする。


「……また姉ちゃんに会えて、良かった」

「……うん、私も会えてよかった」


 僕の言葉を聞き、春奈も満足そうな優しい笑顔をしながら、僕を頬を撫でながらそう言った。

 あの日、春奈を見送った立場の僕が、まさか今度は見送られる側になるなんて。


「……おやすみ隼人、大好き」


 薄れいく意識の中で、最期に映ったのは春奈の優しい笑顔。

僕は、自然と出てきた涙が一粒顔を伝って流れたのを感じた後、静かに目を閉じる。


『元気でね、私の可愛い弟くん』


意識が深い闇に落ちていく寸前に、春奈の声がした。

一度手放した意識はもう戻らない、僕は"大切な人"に再び出会えた事を噛み締めながら眠りについた。


​────意識が、世界が、溶けていく。




 続く。


























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